12月3日から、ギャラリーシステマで、面白い展覧会が開かれます。18日まで。
ただしその間の土日だけです。つまり平日はお休み。
紙を使って何をしてもいいというコンセプト
それだけで作家は奮い立つ。
自由を与えられて、案外自由を自分のものに出来る人は少ない。
この花を描けと言われればなんの苦も無く描けるが、
なんでもすきに描きなさいと言われると、何描いていいかわからない・・・・。となる。
仕方なしに何か描いてみても、それが正しいのかどうかと考えて、いつまでたっても自問自答の解決しない堂々巡りを繰り返す。本当に何を描きたいのかわからない。
自由とは結局、どうやって自分を納得させるかに尽きる。
これだ!という魂の叫びみたいなものと出会うと、自由は大きく生きてくる。
つまり、創作の深さは、その納得のさせ方に現れる。
自分で自分をどう納得させられるかにかかっているのだ。
その納得する次元は様々ある
低次元には、無理やり自分を何かの形にはめ込んで納得する方法がある。塗り絵のようなものだ。
どこかでもやもやした気持ちがあっても、何をしていいのかわからなくても、とりあえず教えられた形に自分をはめ込んで、恰好だけはつける次元と言ってもいいだろう。
高次元では、自分の形をつくりあげて納得する。独自のスタイルを確立するということだ。
何をしていいのかわからないという心をごまかさず、そこで納得しなかったら、苦労はあるし、いばらの道と思うこともある。しかし通りすぎたものだけが独自のスタイルに出遭うことが出来る。そしてそのスタイルに納得する次元である。
そして、
超次元がある。そこではでは、己のすべてを投げ出す。実在(自由)を好きなようにさせるやり方だ。何かを創造しようとうのではなく、なにかになる。己自身になろうという意識だ。
そこでは生きることが作品となる。今この瞬間が作品そのものという訳だ。
己を100%受け入れ、己のやりたいことを、やりたいようにやる。爪の先まで自由な己とともにある。究極のナウイズムがそこにある。
紙という土俵の上で自由を与えられた。
ときめかない作家はいない。皆自由を求めているものたちだからだ。
だから面白い。
自由と遊ぶ姿が、集まってくる作品から飛び出して踊り出すような展覧会。
そんな夢想をしながら
私も今、せっせと作品を創っている。
どんな作品かだって?
ナウイズムだよ、ナウイズム。
きっと、しょうもない作品で^す^
そして、コメントで何か花を添えられれば笑
「自由を与えられて、案外自由を自分のものに出来る人は少ない。 」
その後からの「低次元」「高次元」「超次元」へのまとめ、さすがです。
痛感することは、「自由に」という難しさ。…真っ先に思い浮かんだのは”子供の凄さ”…なんで昔はあんなに自由にアイデアが浮かんだんだろう?
本で「経験は、排気ガス。あるほど判断が鈍る。」そんな言葉がありました。…自分のいつの間にか、同じような作品ばかり作っている身としては痛い言葉。
何を焦っているのか、時間効率ばかり気にしている自分汗。”それでも気にするな”は難しい。
私にとってまだまだ「高次元」、そして「超次元」は遥か先ですが、面白い記事をありがとうございます!
おはようございます!
超次元絵画☆楽しみです♪
ところで、
「きっとしょうもない作品」は、
どちらかと言えば
マイナスですか?
マイナスならば可能性大!
マイナスは究めるとプラスに転じます。
つまり、マイナス×マイナス=プラスの
超プラス超次元絵画となる可能性大です☆♪
トンチンカン真鹿子などは、
小学校の頃から、
トンチンカン真鹿子でして、
例えば算数の
-3×-3=9
+9ですよ
何でやねん!
-5×-5=25
+25ですよ
何でやねん(((((((・・;)
と、
未だにこのマジカル数理
まじか??と
理解できないのですが
何でやねん♪
面白い言葉ですね。
あるほど判断が鈍るのは、排気ガスを吸い込むからではないでしょうか。
進んだら排ガスはセオリー。進む人ほど排ガスは多いのですから、後ろを向いて吸い込まないようにしましょう。
それに、後ろから追いかけられる感や、乗り遅れる感は、無駄にアクセルをふかして、それこそ不完全燃焼ガスを発生させますから、ゆっくりナウイズムでいきましょう^よ^ね^
落ち込んだ人と落ち込んだ人が集まったら、余計に落ち込んだ暗い場になる。
(-1)+(-1)=(-2)
落ち込んだ人と落ち込んだ人が心を交わらせたら、互いに支え合ってひとつの希望が生まれるかもしれない。
(-1)×(-1)=(+1)
つまり掛け算とは、個体を引っ付けるのではなく、心をあわせるということで、納得いただけないでしょう^か^・・・・
私がつくっている、
しょうもない作品は、もちろん(-)ですよ。
私の理想は、まかこさんだけに明かしますが、
(-)の心を(+)に変えることが出来る作品なのです。
ですから、(-)は大切な要素。
ハッピーアートなのです^よ^
以前、あたたかいメッセージを下さった人生の素人さんへ、エールを送らせていただきます。
『子供の時は自由だった』
素晴らしいじゃないですか!
いや~、自慢じゃないですけど、『子供の時』から自由じゃなかったです、私(笑)。
むしろ、最近の方が自由カモ……な、おばちゃんであります。自由になりつつある……くらいでしょうけど(笑)。
同じような作品ばかりになる時期、ありますよね〜。
っていうか、私なぞ10代からおんなじような作品ばっかし書いてて、イヤんなってやめる……を繰り返してました。
でも、やめたら確実に後退しますね。
『子供の時は自由』を知っているあなたなら。
私などよりよっぽど、アドバンテージ、ですね。お若そうだし。
エールを送らせていただきます。ナウイズムで、フレー、フレー!人生の素人さん!
有り難うございます☆
のしてんてん先生が、
わたしの小学校の先生でしたら、
わたしはもっと良い子に育っていたでしょう。
けれどもこれからも摩訶不思議奇跡宇宙
まじ!マジカル数理の理念を大切に、
マイナスハート×マイナスハート=プラスハッピーハート実践☆
心掛け掛け算を心掛けます^ね^!
いつも有り難うございます。
今日も善き日をお過ごしくださいませ♪
のしてんてん画伯のブログのコメント欄で部外者が特定の方へメッセージを書くのもナンですが。
以前、あたたかいメッセージを下さった人生の素人さんへ、エールを送らせていただきます。に対して。私の今できる精一杯。
こうした真摯なコメントをありがとうございます。
そして今日と言う休日を自分なりに過ごして、のしrてんてん様のこの記事とコメントをもう一度見返して…
「今を、前を向いて歩こう。この出会いを追い風に。前を向ける間は前を向いて今目の前にあることを。」
この場を作っていただき、本当にありがとうございます。この心が続く間は…今できる事をやる。ありがとうございます!!
お客様同士、楽しく語らうのは素晴らしい光景ではないでしょうか。
私、マスターとして、カウンター越しにそんなお客様同志の語らいを見るのは至福の時間。
喫茶室をひらいた甲斐があったというものです。
時々私も茶々を入れて、参加いたしますから、どうぞ気兼ねなくお話し下さい。
共によき人生を送るために、
心と心のつながりに乾杯^で^す^
先生は真鹿子様に返上いたします。
と言いますのも私、自分の絵画を(-)というイメージで見たことがなかったのです。
まかこさんのことばがなかったら、ずっとこの気づきはありませんでした。
自分の絵の暗さをうまく説明できなかったのですが、それがすっきりと納得できたのですから、真鹿子様は大先生です。
ありがとうございました。
この発見は、いつか記事に書いて、私の心の成長を見て頂こうと思っていま^す^よ^