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般若心経を読み解く?25 (五次元的解釈)新感覚空体3

2020-12-26 | 般若心経を読み解く(五次元)

空体のイメージ 物質を生み出すこと

 

「人は何処から来て何処に行くのか」

ゴーギャンの絵画にこの言葉が記されて以来芸術家はこの問題を強く意識するようになったのではないだろうか。少なくとも私はそう思っている。

 

人は何処から来て何処に行くのか、その問いに対する答えを求めて心の旅を始める。そこから見えてくる風景をありのままに描き続ける。それが私の最大の目標なのである。

私は何ものなのか、なぜこの世界を感じているのか、なぜ苦悩がなくならないのか。なぜ私は「あなた」ではなく「私」なのか。答えの出ない問いが次々と出て来る。

芸術家の使命はその問いに答えを出すのではない。分からないことを分析し解体するのではなく、分からないということを確信してありのままに生きることだ。結果は作品に現れる。あたかも泥沼を受け入れて咲く花のようでなければならないのだ。

では、分からないということを1ミリも疑わずに分からないことを受け入れ、確信して生きるためにどうしたらいいのか。

私のとった道は、「分からない」ということを徹底的に知ろうとすることだった。分かるというのは認識の働きである。それは知識より前に存在する、命と密接につながった何かである。ならば認識の構造を体験的に知り、認識の届かない場所、すなわち分からない世界がどれだけあるのかを知りたい。つまり認識の限界が何処にあるのかを探査する心の旅を続けることだったのである。

私の持って生まれた感性、その背景が何であるのかは分からないが、その感性が確かにこの世界を感じていて、まぎれもない私の心が自分を取り巻く風景を認識している。その旅の途中で、量子力学の知的な認識世界に出逢い、やがて心の世界を舞台にした般若心経に流れ着いた。

 

「分からない」ということを疑いなく受け入れるためには、この「分からない」ということが真実であるという証拠を手に入れなければならない。そのためにはこの旅によって己の認識が完全なる限界に行き着くまで押し広げる必要があったのだ。そして5次元の考え方が、ついに私の求める認識の限界に行き着いたのである。

 

認識の限界を知るに至った私の体験。その思考過程を次にあげてみよう。

① 三次元(縦・横・奥行き)の無限の彼方にある限界。どう考えてもその先を認識できないことが分かった。上下にも左右にも、前にも後ろにも、永遠に移動できる広がりがあって、その先はどこまで行っても終わらない。果てのない無限があらわれるのである。なぜなら、限界点を認識した途端、その点の先が認識の背景に現われるからである。たとえば黒い花を認識するというのは、黒である部分と黒でない部分を分けるということである。これは闇の中で黒い花を認識できないということを考えると分かるだろう。逆に言えば、限界点を認識するということは、その認識が限界点でない背景を作りだしていることになるのである。それが無ければ限界点は認識できない。つまり認識という働きそのものがこの無限を作りだしているのである。つまり三次元の広がりはその先を永遠に知りえないのである。ここに三次元世界に対する認識の限界があるということなのだ。その限界を超えて私達はいかなるものも知ることはできないのである。

②時間(過去・現在・未来)の無限の彼方にある限界。その中で過去と未来の認識については永遠に知りえない限界点があることが分かる。上記の理由で永遠の過去も知りえないし、永遠の未来も決して知ることはできないのである。どこまで行ってもその前には過去があり、その先には未来がある。認識はそのように働いて時間を世界に顕しているのだ。

しかし現在には知りえない限界というものがないのだろうか。知り得ない現在というものは有るのか無いのか。それがいつまでも分からなかったのである。

③現在を知ろうとする認識には限界はないのだろうか。実は「今この時」を知る認識にも知り得ない無限の広がりが現れるのである。それは5次元の概念によって明らかになるのだ。それが空間に対する認識に他ならないのである。

④普通、何もない空間を認識する方法はない。無いものは認識できないのだ。たとえ空間を意識したとしても、空間の実態をつかむことはできない。しかしスケールの概念がそれを可能にしたのである。ついに空間を認識する方法を見つけた。スケールの概念によって、空間には無限に極小に向かっていくその先にある限界と、極大に向かう限界が存在する。その限界は認識する過程で現れることが分かったのである。それは ①~②の原因と全く同じであり、認識の構造そのものが持っている特異点のようなものなのである。認識の構造上、行き着いた地点を認識した途端、さらにその先が背景に現われる。極小に向かえば、さらにその先により小さな存在が想定されるし、極大に向かえば、その先にさらに大きな存在が顕れる。これが私達の認識というものなのである。

 

⑤空間はスケールをどこまで縮めても、逆に無限に拡大しても行っても空間である。しかも空間はどこまで行っても切り分けられないたった一つの存在なのである。

しかしこのスケールの考え方には次のような異論もあるだろう。空間は今この瞬間の広がりであるから、スケールを持ち出すまでも無く、①の三次元の無限で充分証明されていると。

それはもっともらしい理解ではある。しかしそれでは空間の中身が見えないのだ。そのことで広がりの無限は分かっても、空間それ自体の姿を思い浮かべることができない。つまり空間そのものを認識できないということなのである。

ところが空間をスケールの概念でみると、素粒子宇宙や銀河宇宙が一つの空間に同時に存在していることを認識することができる。その空間を極大から極小まで連なる一本の柱のように思い描くことが出来るのだ。これが5次元による空間認識なのである。

⑥するとこの認識にも、極小に向かう空間と極大に向かう空間が現われる。つまりそれ以上認識できない無限が現れることになる。そうすると、③の疑問を解決することが出来たことになる。すなわち過去・未来と同じく、現在にもまた認識の限界があったのである。

⑦結論として、人間の認識はすべての面で限界がある。すなわちどんなことをしても、我々人間にはこの限界を超えて世界を知り得ないのである。すなわち分からないのだ。

これを逆に言えば、人間の知りうる最大の領域が五次元思考によって認識できるということなのである。

 

人間は5次元思考によって認識世界を最大限まで広げることが出来るのである。

それを科学的に裏付けてくれるのが量子力学であった。

そして般若心経は、この認識の限界を完全に理解し受け入れることで、人は空に至ることが出来ると説いているのだと了解できるのである。

般若心経に描かれた彼岸とは、人間の認識の届かない場所を指している。しかもそれは手の届かない遠い場所でもないし、過去・未来と言った夢想で描き出した場所でもない。まさにこの身に触れて存在している、実在の場所なのである。つまりそれが「空」に他ならないのだ。結局のところ般若心経の「空」とは空間のことであり、この身体に命を宿している「空体」そのものだと考えられる。

すなわち般若心経の涅槃とは空体に生きることを言うのである。

これが心の旅で行きついた私の結論なのである。

 

長い間のお付き合いありがとうございました。

 

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(以下参考記事)

(新感覚空体)

般若心経を読み解く?24(五次元的解釈)新感覚空体へ2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)23 新感覚空体へ

(Q&A)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)22 Q&A4

般若心経を読み解く?(五次元的解約)21 Q&A3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)20 Q&A2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)19 Q&A1

(私の体験)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)18 私の体験6

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)17 私の体験5

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)16 私の体験4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)15 私の体験3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)14 私の体験2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)13 私の体験

(量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)12 量子力学との合流4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)4

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)5

般若心経を読み解く?  五次元的解釈)6

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 

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6 コメント

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Unknown (ZIP)
2020-12-26 20:15:43
分からないということを受け入れる為には、少なくとも、分からないことに付き合い続けることでその分からないことに対する自分の接し方が分かってくることが条件でしょう。
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ZIP様 (のしてんてん)
2020-12-28 10:10:38
当然そういうことになりますね、ZIP様。いつもありがとうございます。


分からないというのは、実は私自身の本質からくるものです。分かる必要もないのに、人間は分かろうとする。世界を分けたがるのですね。あたかもそれが自分の力で生きている証でもあるかのように。
苦悩はそのつけのようなものですし、よいとらえ方をするなら、それは人間を真実に誘う道路標識や危険信号のようなものでしょう。
自分の接し方の一端がそこにあるのではないかと思うのです。

意識が完全に空体に移ると、分かることとわからないことが都合よく一つになります。そんなことはどうでもいいことなのですね。力まず卑下せず求めず無理をせずありのままでしょか。
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Unknown (ZIP)
2020-12-28 13:16:55
分からないことが分かっている
それが解らない人もいれば、
分かっていることが分からない
それが解らない人もいるわけです。
返信する
ZIP様 (のしてんてん)
2020-12-28 15:40:11
人によって、認識できる問題もあれば認識できない問題もある。
認識を操って世界を知る。上手な人もいればそうでない人もいるということです。

しかし一方、認識の仕組みに限界があるというのは、認識操作の如何にかかわらず知りえない世界があるということですね。人間の限界を超えているということです。

この認識の限界を超えて行く力が空間の中にあるのです。

返信する
Unknown (ZIP)
2020-12-28 16:27:03
限界がもし認識できるのであれば、
それは超えるべきものか、
それとも超えてはならないものか、
人は解ろうとするでしょう。
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ZIP様 (のしてんてん)
2020-12-28 16:55:40
むしろ認識を捨てるということでしょう。

認識の限界を具体的に認識できるものではありませんからね。しかし間違いなく認識には限界がある。それはその認識自体が消し去るものです。在る一つの認識はその背景を消し去る訳です。逆に言えば背景が無ければ認識は成り立ちませんね。

認識を越えるというのは、消し去ったものをも含めて全体を体感するということなのです。

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