「見えないなぁ、ここらあたりに文学碑があるはずなんですがねぇ・・」
運転手は車から降りようともせず、ハンドルを握りながら窓の外を窺う格好をして言った。
言われるままに辺りを見回したがそれらしきものはなく、私は少し運転手に疑いを持ち始めた。
しかし車はそれ以上私を乗せて動く気配を見せず、彼はとにかくここから少し歩いた所だと主張した。
私はその話を信用しなかったが、しかしどこでもいいだろうという気がして、とりあえず運転手の言うとおり歩くのも悪くあるまいと考えて車から降りた。
私はそんなにも伊藤整の生家や文学碑に執着を持っているわけではなく、何より伊藤整という青年から生まれた詩の、その風土を感じ取りたかったのである。
私が降りると、車は逃げるように去って行った。後には森閑とした雪原が残り、運転手がそこを下りて行くんですと指示した小さな並木が眼の下に見えていた。
その並木はわずか5~6メートル程海に向かって延びた数本の杉木立だったが、そのほかには何も見えず、ただ1台、錆びた車が半分雪に埋もれているばかりだった。
そしてそこから先は斜面にそってブドウ棚が杭と針金だけを見せて雪の中にあった。まるで布団何枚も敷いたように広がり、国道に沿って建ち並ぶ家々の屋根に行き当たるまで続いている。そして当然のことのように、文学碑なるものは見当たらなかったのである。
HPのしてんてん
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