文学碑には「海の捨児」の前半の部分が刻まれていた。
私はこの静かな哀切の詩が好きだった。それは早くから故郷を出た私の心情とよく合い、故郷に愛着し、その愛着は決して帰らないこと知っている冷めた私を甘く悲しく包んでしまう。伊藤整もまたそのような思いでこの海鳴りの聞こえる丘を遠い空の向こうから見つめ続けていたに違いない。そして今、こうして私が踏みしめている雪の一握でさえ、伊藤整にあってはひそかに恋人を見るような悲しさを与える故郷の香りであったろう。
伊藤整が海の捨児であるなら私は一体何に捨てられたのだろうか、ふとそんなふうにも思ってみる。
その碑を後ろに回るとそこには伊藤整の生い立ちが簡単に記されてあった。後年は芸術院の会員に推されたとあったが、私はそれを知らなかった。
「若い詩人の肖像」という伊藤整の一冊に感動しここにやってきた。それだけが私の知る全てであったから、このような輝かしい業績を見せられた時、何かそれは私の中にある伊藤整とは別人のように思え、私の伊藤整が急に見知らぬ昔の人になってしまったような違和感を覚えてしまう。
その気持ちは失望に近かっただろ。私はこの詩だけを見るべきだったと思った。この考えはそうはっきりした形で表れてきたわけではなく、漠然とした一種の甘えの構造でありたわいない私の感傷であった。にもかかわらず私は、この文学碑はもっとさりげないものであるべきだと半ば確信するように思うのだった。
HPのしてんてん
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