東大寺大仏殿 朝露の背面風景
習慣で、5時には目覚め体が動き出す。散歩しなければおさまらない。(東大寺に隣接した観光ホテル タマル 食事もおいしく対応も親切で気に入りました。)ので、
2時間ほど東大寺の敷地を散策しました。
奈良はこんな森のイメージがよく似合う。
森が語りかけてくる気がします。日本型エルフが出てきそうです。
朝はまだ、鹿も眠りについているようです。
整備されたアスファルトの遊歩道にかわいいいがぐり、マリモのようです。
鳥の声だけが柔らかい光の中で動きます。
つい高みに誘われて、二月堂に足が向きます。
参拝する地元住民の姿が薄明りの中で穏やかに浮かび、観光の裏側で何かホッとする気分になりました。
大仏殿の向こうに奈良平野が広がっています。2月堂の高見の舞台は自由に出入りできますので、好きな時間にこの風景を楽しめるのです。
奈良のお水取り修二会の舞台、ここを松明が駆け巡り、火の粉をまき散らして火の海になる写真を思い出します。
目を上げると龍。三鈷杵を巻き取り、如意宝珠を握りしめた姿。角が鹿ですね。
二月堂からさらに高みに誘われて山に入ると、ほとんど観光客の足が届かない、東大寺敷地の境界が、なんとなく山の中に現れます。
朝明けの森の中に石仏が浮かび上がります。写真では表現できませんが、確かに気の輝きが見えるのです。石仏が内側から光を発しているような風景です。
思わず何枚か写真に収めました。
内側から光るという感覚、引きつけられます。
そして
今日もよき一日でありますように
鹿角龍☆初見です!
けれども鹿の角の龍、
なんだか不思議です。
鹿が龍に成りきろうとしているのでしょうか
龍が鹿に成ろうとしているのでしょうか
そのように感じてしまい^す^;;
いずれにしましても、
鹿角龍☆
珍しいですね♪
今朝の、一番のニュースとなりまし^た^!
確かに、なかなか自分の分を確保するのは至難の業、彼らは巧みに素早く当然のごとく食べてしまいますから^ね^
ですが、人間に交じっている鹿は熟練鹿で、こどもや人見知りする鹿は、ひっそり暮らしています。
私、そんな鹿と真鹿子さんが重なって見えてものですから、今度必ず一枚、とっておきます^ね^
奈良は、北の5%に観光が集中して残りが森というイメージですので、まさに聖域です。足を踏み入れるとホッとします。
奈良に行ってきました
ありがとうございま^す^
石仏の気の輝き☆すばらしいですね♪
きっと気交流☆
のしてんてんさんの気の輝きに呼応して
輝いておられるのだと思います。
石仏とのしてんてんさんの気脈が
通じているのでしょうね。
奈良は私も好きで
しばしば探索させて頂きましたけれど、
春日大社の境内でもある御蓋山には驚嘆いたしました。
まるで異次元の森、街中であるにも関わらず、
時空間を超えた不思議な森。
春日山原始林と同様、神域ですから、
狩猟や樹木伐採は永きに渡り禁じらていますけれど、
それにいたしましても、
観光地でもある街中の原生林の静寂、精気には
圧倒されました。
やはり奈良は聖域ですね。
神様の御使いの鹿も素敵です☆
でも鹿せんべいを持っていますと、
すぐさま鹿たちが集まってきて、
もっともっととせがみ、
すぐに鹿せんべいをたいらげてしまいます。
いつも庶民である真鹿子鹿には、
一枚も頂けません。いつの日か鹿たちと一緒に、
鹿せんべいを頂きたいと鹿夢を見ている真鹿子ですけれど
食いしん坊で恐縮で^す^;;
確かに奈良は奈良全体が聖域
香具山、畝傍山、耳成山、飛鳥、
平城京跡、吉野山、もう全てが聖域ですね。
貴重な記事をありがとうございます♪
午後からもどうぞ素敵な時をお過ごしくださいませ☆
感謝一念
まかこ 拝
白目がないのは、牛でもそうですが思惑が見えてこないのかもせれませんね。
「いつかたどり着きたい」
私もそう思いながら生きてきました。
心の谷間に苦しむ時代
それを嫌悪する時代
押しつぶされそうになる時代
いやな自分に対立する時代
嫌悪を許す時代
己を認める時代
空を知る時代
賢明に生きれば、心はみな同じように流れていくものだと思うのです。
そして求める心が自然に消えるとき
たどり着いたしるしなのかもしれませんよ。
共に進みましょう^ね^
人が決めた人種を排して、分け隔てなく接する鹿…当たり前なのだけど、人が同じことをするのがどれだけ難しいか…。
そして前回の大仏、今回の朝日の仏…”人の心に響く気”がある…。
その域にいつかたどり着きたいなぁ…と、まだ遥か先ですが(汗)