ことり、という音にはっとした。
テーブルの上にマイセン風の、縁に金を施した華奢なカップとソーサー。艶やかなコーヒーがそれに満たされ、かすかに湯気が上がっている。
「どうぞ」
マスターの声。思わず見上げると、彼はにこりと笑う。
「うちではブレンドコーヒー、おかわり自由なんですよ」
いつの間にかテーブルの上は片付けられていて、新しいコーヒーだけが載っていた。
私は思わずもう一度、マスターを見上げた。彼はただ目許を緩めて目礼し、カウンターへ戻った。
おずおずと新しいコーヒーに手を伸ばす。
苦みの後ろにあるほのかな甘み。そして程の良い渋み。すうっとのどを通り、香りが鼻に抜ける。生き返ったような気分で私は、ほうっとひとつ、息をついた。美味しい。
とても美味しいコーヒーだ。
入り口近くのレジへと向かう。雨も上がったようだ。
いつの間にか『レイちゃん』は店からいなくなっていた。どうやら私は暫くの間、眠っているのに近いくらいぼんやりとしていたらしい。
お会計を済ませた後、
「はい」
と、レシートにしてはやや大きい、真四角のしっかりとした紙がマスターから渡された。
「初来店のお客様へお渡ししている、ちょっとした記念品なんですよ」
素っ気ない白い紙で出来た使い捨てのコースターのようだが、鉛筆で絵が描かれていた。
黒いお盆に乗ったゆきうさぎ。
緑の色鉛筆で描かれた笹の葉の耳と、赤の色鉛筆で描かれた南天の実が愛らしい。
簡単な線でさっと描かれているだけなのに、このゆきうさぎが水気の多い雪を押し固めて作られているのがわかる。今にも端から溶けてゆきそうなあやうい感じが、一瞥しただけで伝わってくる。
隅に小さく、W、とだけサインされている。
絵にしろサインにしろ、素人ではなさそうな手練れの筆致だ。
「お客様の印象をイラストにして、おひとりおひとりにお渡ししているんですよ」
お客様の印象はゆきうさぎでした、というマスターの言葉に私はうろたえた。
「ずいぶん……可愛らしい、んですね」
なんだかほほが熱い。恥ずかしいような不本意なような、嬉しいような腹立たしいような、複雑な気分だ。それなりに荒波も幾つか越え、おねえさんというよりおばさんと呼ばれる方が相応しい女なのだ、私は。今にも溶けそうなゆきうさぎの儚さや可憐さなど、薬にしたくとも無い、筈。
マスターはただ、優しく目許を緩ませた。
「これを機会に、よろしければまたお越しください。お待ちしております」
ありがとうございました、という声を背に、私は店を後にした。
以来、私は『喫茶・のしてんてん』には行っていない。
正確に言うのなら、行けないでいる。
自宅からそれほど遠くない筈なのに何故か、あのレトロでちょっと浮世離れた店が見つけられない。
本気で探せばきっと見つかるのだろうが、なんとなく日常の雑事に流され、まあいいかとも思っていた。
そんなある日だ、社員食堂で昼食を食べた後だった。
自販機で買った不味いブラックコーヒーをすすりながら私は、食堂にあるテレビを見るともなくぼんやり見ながら休憩していた。
季節は移ろい、そろそろ陽射しが春めいてきていた。
薄雲が晴れるようにお馴染みの憂鬱は影をひそめ、今の職場が完全に私の日常になっていた。
ふと思い付き、あれ以来なんとなく財布に入れたまま持ち歩いている例のコースターを取り出し、目を当てた。
財布の札入れに入れているから折れ曲がったりはしていないが、全体的に薄汚れ、ヨレてくるのは致し方なかろう。もっときちんと保管した方がいいのかなと思う反面、別に処分してもいいかなとも思う。
(このゆきうさぎの絵のコースターがなかったら)
『喫茶・のしてんてん』は、昔見た夢のひとつのような気がしないでもない。
「あれ?これってもしかして……」
たまたま後ろを通りかかった、隣の課の若手くんが足を止めた。
「その『W』のサイン。うわ、もしかしてホンモノですか?」
「え?」
私が驚いて顔を上げると、彼はやや気まずそうに笑みを作った。
「あ、いえその。別に俺、よく知ってるって訳じゃないんですけどね。俺の学生時代の友達にひとり、マジで絵をやってるヤツがいまして。そいつの好きな絵描きさん……えっと、ナントカって名前だったけど忘れたな、その人の作品なのかなって。そのWのサイン、見覚えがあったもんですから」
「有名な人なの?」
驚いて私が尋ねると、有名とは言えないんじゃないですか、と、無残なまでにさばさばと彼は答えた。
「でも知る人ぞ知る、そこそこ以上に評価されてる絵描きさんだとは思いますよ、現に俺の友達もファンてのか尊敬してるみたいですし。大きい作品と並行して、修業時代からずっと『心の似顔絵』ってのを描き続けてて、でも描いた端からヒトにあげちゃうもんだから現物は少ないって話、そいつから聞いたことがあります。だからそれ、幻の『心の似顔絵』じゃないかなって思ったものですから」
……うわ。びっくり。本気でびっくり。
素人じゃないとは思っていたけれど。あのマスター、名のある人だったんだ。その人の貴重な作品を私、無造作に財布に突っ込んでいたの?
そう思った次に、この絵には一体幾らくらいの価値があるのだろうかなどと、さもしいことをちらっと考えた。
「そうなんだ。この町にはそんなすごい人が住んでいたんだね」
私の言葉に、彼は怪訝そうに眉を寄せた。
「は?いえ、その作家さんはこの町に住んでなんかいませんよ。それにもうとっくに……」
そこへ、おおい、と、彼の上司が彼を呼ぶ声が響いた。わざわざ食堂まで部下を呼びに来たのだ、急ぎの仕事が出来たのかもしれない。彼は慌てて、すみません失礼しますと私へ頭を下げ、足早に去った。
狐につままれたような気分で、私はもう一度、手元の絵に目を当てた。
『その作家さんはこの町に住んでなんかいませんよ』
『それにもうとっくに……』
(それにもうとっくに……?)
どう、だと言うのだ?
筆を折ったとか?それとも……。
耳の中で不意に、あの日の『レイちゃん』の口笛が鳴った。確か有名なアニメ映画の主題歌で……。
「あ!」
小さく叫び、意味もなく立ち上がる。
(あれは)
ひょんなことから異界にまぎれ込んでしまった少女が、両親と自分を守る為に必死で生き抜き、たくましく成長する話。海外でも高く評価された作品で……早足で食堂を抜け、何かに急かされるように社外へ出ようとした寸前で、私は思いとどまる。
まだ勤務時間中ではないか。
きびすを返し、窓越しにふと陽を見上げた。
春は、もうすぐそこだ。
第一幕 了
不思議を残して一幕の終了です。
感想など、よろしくお願いしま^す^
いや、むっちゃん、よく頑張りましたね。
最後までありがとございました。
(って、これから始まるんだけど)
よろしく^ね^
お釈迦様のてのひらでドヤ顔している孫悟空、雇われママのむっちゃんでございます☺。
お楽しみいただけましたでしょうか?
孫悟空?は楽しく遊んでおりますが、皆さま方はいかがでございましょうか?
→ この声はぜったい、のしてんてんさまのだ ♪
孫悟空さま、お釈迦さまの特徴を良くとらえてらっしゃいますね ♪
※ そういえば、のしてんてんさまのお声、まだ聴いておりませんでした・・
最後までお付き合い下さいまして、まずはお礼申し上げます🍀。
なにしろ、お釈迦様の弟子になっていたずらに時間がたっております。
お師匠の見識にははるかに及びませんが、お師匠が言いそう・やりそうな事はサスガになんとな~く、わかる孫悟空でございます☺。
あれ?孫悟空のお師匠って、三蔵法師だったっけ?
まあいいや(オイオイ、良くないだろ)。
えーと、セルフノリツッコミ、初級はこんなものでしょうか?
遊んでないでブレンドコーヒー、持って参ります 😄。
”巧み”を感じました。自然と、されど鮮やかに嗅覚味覚を散りばめる
こういった文章を読んだのは人生初(※実は本当です笑。)
不思議を残して第2幕へ、最後の流れから次は春が舞台。楽しみです!
以下、駄文?
ちなみに私は”甘い香りが大好き”だったりします。…もうおっさんなのに恥じらいもなく”キャラメルマキアートを頼む”
※友人から「…基本一番オススメか超甘いのしか頼まないよね…」と笑
あ、蜂蜜沿えホットミルクを、また。
蜂蜜添えホットミルクでございますね、かしこまりました。
最後までお付き合い下さいまして、まずはお礼を申し上げます🍀。
それに過分なお言葉、思わず二度見してしまいました(笑)。
しかし、あなたが心にもないお世辞を言ったりなさらないと信じ、ここは素直に大喜び致します☺。
わーい、キャッホー✨🎶
のしてんてんマスターと皆さま方のお許しがあるのでしたら、孫悟空の雇われママ、続けさせていただきます☺。
最後に私の方に振るなって、いうの。
こそ―ッと、カウンターの窓からのどいていたのに、
それにしても、マジ、かわかみれいの文章は、まだまだ成長していかなければならない要素があるかもしれませんが、良いものがあるということが、皆様のおかげで分かった。これが一番だったと思います^よ^
ってアンタ、カウンター任せるのが楽ちんだからじゃないの
魔、それは置いといて、次なる2幕はこれを越えるものでお願いしますよ。
成長の兆しがあればまたやりましょう。
それこそマスターの『よし』無しには、何事も進まないではありませんか?
わが弟からの指摘。
① 『ジャンバー』ではなく、『ジャンパー』では?
『ジャンバー』は大阪や北海道など、一部地域での言い回し、のようですね。
この辺は書いた後、しばらく経って気になり、調べて『あ、しまった』。
可能でしたら、皆さま方、脳内で『ジャンパー』と変換していただけますと幸甚でございます…。
② 主人公の『私』の性別が最後近くに女性だと明示されたが、叙述トリックか?
まったく考えていなかった指摘に驚きました。最初から最後まで、私は女性主人公として書いていましたから。
主人公の性別、分かりにくかったでしょうか?
小物(買い物袋)とか洗濯物がどうとか、いかにもおばさん姉さん😅な味を出したつもりでしたが。
それがかえって、叙述トリックくさかったのでしょうか?
まあ、彼(弟)の個人的な感覚かもしれませんけど。
それはともかく。
マスターには『成長の兆しが見えたら』と、さらっと、そりゃ店先借りるんなら当然のことながら、オトロシ~ことを言われてしまいました。
遊ぶ限りはガチで遊ぶ気構えですが、如意棒も縮みそうな感じにビビりつつ、頑張るつもりの孫悟空でございます☺。
老眼の私にはどこが違うのか分かりません。
主人公、私は女と思いました。
それにしてもむっちゃん、男ならいえないことを言いましたな。
えっ?なに?なに?