宇宙龍 未完 (S30号)
まだ完成とまで行きませんが、あとは少々の手直しと仕上げを残すのみとなりました。
前回記事
邂逅展に向けて(宇宙龍)
この試作から全面的に描き直し、
特に目を、この龍にとってどうしても必要な眼差しは何かを意識して描きました。
前回、モジリアニの目についてのエピソードを紹介しながら、龍の眼差しについて考えてみました。
私に向けられた眼差しは、目の向こうに他者がいるのですね。
それは、他人にみられている自分の姿を意識させるのです。
完全な個室、
たとえばトイレにいるとき、私たちは他者の目を意識しませんね。すると同時に、私たちは今自分がどんな姿をしているか考えもしません。自分に対して無反省にくつろいでいられます。
しかしその場所が人目につく場所だったら、突然私たちは自分の姿を意識しますね。
自分は今どんな格好をしているのか、どんなふうに見られているのか、笑われるのではないかと、自分を反省しはじめるのです。
眼差しにはそんな大きな意味があるのですね。
龍からやってくる眼差しはどうあるべきなのか、作家としてのお前はいったい何をそこに求めているのか。その思いなしに既成の目でごまかしている。
これが私の自問自答でした。
のしてんてん絵画は、風景画ではない。
それは私の心の中を描いたものなのです。
けれども、安易な龍の目は、風景画に留まっている。
それがこの絵のちぐはぐ感なんだ。
モジリアニの目を思い出してから、ようやくそのことに思い至ったのです。
じっくりとモジリアニの目を見てください。
この目は、どれだけ眺めていても批判的な眼差しはやってこない内観する目です。
同時代のキスリングの作品と比較しても
その違いは歴然としていますね。
黒いまなこを消しました。
しかしめしいた龍ではない、内観しながら眼差しを向けてくる目。
そんな意識で描いたものです。
このブログでは、いろいろ書いてのしてんてん(私の心の世界)を発信していますが、言葉では何とも言える感がいつも付きまとっています。
その意味で、絵はそのまま今の私を表してくれます。
作家として信じる唯一のことですね。
成功も失敗も、謙虚も思い上がりも、すべてこの一枚に現れていて、
それを人前にさらす勇気が作家というものなのでしょう^ね^
感想を頂けたら幸いです。
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お正月というとんでもない会期で行う邂逅展ですが、奈良まちにある大きな画廊です。一つの展示室に11人の作家が、思い思いに自分の個展を同時開催する。そんな新しい試みでもあります。
私は龍の成長過程をそのまま展示いたします。
感謝、感激です。
ふと思いがやって来た龍を描いたのが半年前。
そこからいろいろ皆さんからイメージを頂いて、そこから発想が展開して昇っていく感じには、今までの孤独な創作とは違う体験がありました。
もちろんそれは、孤独の力を持った上での話です。
心が一つになって何かが生まれるというのは、孤独の力が必要なのだということが、学んだ一番大きなものです。
共に健やかな人生を楽しみたいです^ね^
知らず知らずのうちに、私たちはとても面白い創作活動に参加していたのですね🎵
もちろん描いたのはマスターこと北籔和画伯ですが。
私たちの声がひとりの絵描きさんの心へ有機的にかかわり合い、ひとつの世界が生み出された…のだとしたら。
とてもエキサイティングな瞬間に立ち合え、感激です。
余談ですが私は普段、『感激』とか『感動』とかを安易に使わないよう、意識半分無意識半分で戒めているのですが。
今回は『感激』がぴったりくると思います。🎉
龍を描くというコンセプトを公開して私は間違いなく皆さまに導かれました。
Unknownさんのご指摘は、進む道案内をしてくれましたし、まかこさんは私の心の中に応援歌を注いで頂きました。
そして、折師さんやむっちゃんさんからは、自分の絵を外から眺める目となって私に大きな気付きを与えてくれました。
なんということでしょう。
これは、ネット社会のもっとも大きな利点を私たちが実践したことにならないでしょうか。
龍の絵は、私たちが生み出した作品。
これは数世代前には考えられなかった新たな創作活動なのではないのでしょうか。
そこから何が生まれるのか誰にも分かりませんが、しかしのしてんてん龍は、間違いなく皆様の感性が私を震わせたという実感を、どうしてもお伝えしたいと思います。
本当に皆様、
ありがとうございます。
(のしてんてん龍)
「どこに心を寄せて良いのか戸惑う」
これはとても正直な感想だと思います。私にはそのように伝わりました^よ^
それが素晴らしいのです。私がむっちゃんに伝えたいのは、その正直な気持ちに自信を持って心を掘り下げてほしいということです。
指摘されて作品を見直しました。するとむっちゃんの言うことが私なりによく分かりました。
画面のすべてに力を入れ過ぎているということです。
想いが先行して作品のバランスを崩している。顔も手も、瞳も爪も、皆が声高にセリフを言っている舞台のようなものですね。コーラスになっていない。そこにむっちゃんの心が感応したのだと私は理解しました。そしてそれを伝えてくれたのです。
その感性はとても大切なものです。
ですから、何かが足りないから自分にはワカラナイ的な発想だけがよけいなのです。
私が頂けないのはそこだけです。
そして頂いたものは、確かに私を成長させてくれました。
ありがとうございます。
あらためて御礼申し上げます。
おはようございます!
いつも学ばせていただきまして、
ありがとうございます☆
この度は私の稚拙な感受に
ご同意くださいまして恐縮です^^;;
確かにのしてんてん龍は、
のしてんてん五次元宇宙龍に成長中☆
従来の宇宙概念の及ばない未知領域に、
渦巻きうねりながら一瞬無限大潜行(閃光)中と
私は感じています。
これからもよろしくお願いいたします。
今日もどうぞ素敵な時をお過ごしくださいませ☆
感謝一念
真鹿子 拝
永遠の小学生(爆笑、苦笑)・むっちゃんです。
unkownさんのコメントを読み、えー、なんかピンとこなーい、というモヤモヤがわだかまる、理由の一端が見えた気がいたしました。
ピントがぼやけているような印象を持ったのも。
悪いとか駄目とかをストレートに感じる訳ではないし、魅力を感じない訳ではないからこそ、余計モヤモヤする。
もしかして例のとある小説家さんのモヤモヤ作品も、同じような効果を狙っているのかもしれませんね。
だけど今のところ、残念ながらやっぱり私にはピンときません。
『宇宙龍』もあの小説も。😅
その牛の目がとても好きでした。
その目は曇りのない潤んだ漆黒の玉のようでした。晴れた日など会いに行くと目の中に青空があって、その真ん中に私がいることに、生物的な神秘と不思議を感じていたのを今も懐かしく思い出されます。
「瞳」は英語でpupil です。pupilはラテン語で、小さな女の子、小さな人形、といった意味があり、相手の瞳を見るとそこに自分の姿が小さな人形のように映る
というUnknownさんのお話をうれしく受け取りました。ありがとうございます。
その派生語としてpeople 【人々】、public 【公共】
も大変興味深いですね。その考えを延長させると、人々とは、目に映った他者の姿であり、それは実体ではなく、見るものが感応した映像だということですね。
それに、Unknownさんの
自分を認識することのない得体の知れないものがそこにいる、というわけですから必然的にこちらの視線が瞳から外れて輪郭へ移ってしまい、その存在を一層際立たせる作用をもたらすのでしょう。
という発想はとても斬新で素晴らしいですね。
相手の眼差しから解放されると、月を愛でるように相手の全体を見ることが出来る。
余談ですが、仮装して自分を隠すことでも得られる効果と言えるでしょうか。
逆から言えば、眼差しは私たちの心に対して想像以上の強い作用を受けているということなのでしょう^ね^
まかこさんがいつも言っている、95%は未知ということにも符合します。
眼差しを太陽とすれば、それを遮った闇の中に浮かぶ満天の星。95%の一端がそこに浮かび上がる。
瞳のうすれた目は、95%を意識しなさいと言うメッセージなのかもしれません^ね^
ありがとうございました。
眼球の瞳で龍の全体像が、得体の知れなさとして、よりリアルに感じられることに同意します。
瞳が無いということに関しての得体の知れなさを調べてみたのですが、
「瞳」は英語でpupil です。
pupilはラテン語で、小さな女の子、小さな人形、といった意味があり、相手の瞳を見るとそこに自分の姿が小さな人形のように映るからそうです。
その派生語としてpeople 【人々】、public 【公共】と解釈して差し支えないのであれば、それはすなわち、自分の姿が映る瞳がそこにない、とうことは、自分が相手に認識されていない、自分を認識することのない得体の知れないものがそこにいる、というわけですから必然的にこちらの視線が瞳から外れて輪郭へ移ってしまい、その存在を一層際立たせる作用をもたらすのでしょう。
見る者に対して得体の知れない不安をもたらすことは龍としての本質であるような気もします。
気遣いなく、想いのままいただくメッセージがとても貴重だと思っています。
その点はどうぞ気になさらず自由に書いてください^ね^
と言いますのも、私の視点からはけっして観ることが出来ない絵の見え方なのですから、良し悪しにかかわらず私にとって貴重な情報なのです。
事実、むっちゃんさんの指摘で気付かされた点がありました。
するとそれは吸収され私の視点が広がるのですね。
折師さんの御意見も貴重です。
間違いなく私の心に一つの波紋が広がっているのですよ。
人と人の関係というのは、それぞれが前向きに目を向けている限り、真意を語ることで成長していくのだと思っています。
ありがとうございました。
私個人の、ド素人レベルですが…むっちゃん様に近い感想になります…。
モリジアニの絵の背景を持ってしても、「内面の眼差し」というヒントを持ってしても…掴めない…未熟なもので…。
俗物的ですが…「理解を一回り超えている概念の宇宙竜」に感じてしまいました…。ポージングや背景、表情からメッセージを感じる、それこそ心を描いたものなのでそのまま感じ取る…はずが未だ至らず…。
本当にむっちゃん様の言う通り、数年後に見えてくるのかもしれない気がします。超然的なものを感じる、されど手に届く手がかりがなく…手がかりがわかりやすい目を含めた表情がある前作の方が身近に感じてしまう…。
もしかしたら他の作品も含めて、そして身近で見る事でようやくつかめる気もします。
自分はどうなんだと言われればぐうの音もでず、勝手な事ばかりで申し訳ありません…。超全的な魅力を持ついい作品なのです。されど理解が追いつかず…そういった感想になりました。
魅力は間違いないので、今後どんな進化を見せていただけるのか…それは本当に楽しみにしています!!
私自身、はじめて見たのが高校時代だったのですが、薄気味悪さを感じたのを覚えています。
異質ですよね。
描かれた婦人と
絵になった婦人、
そんなふうに考えたことはありませんでしたが、内観する目には生々しさがあるのですかね。
見たままの絵ではなく、絵を通して心動かされると言いましょうか。
それが様々な妄想を生んで不気味感となる。
なんとなく分かるような気がします。
モジリアニの目ですが
慣れれば、とても優しい目に見えてくるのですけれど^ね^
幼い頃から小学校低学年ぐらいまで、一人で二階に上がることに薄気味悪さを感じていた理由がやっと理解できました。
描かれた婦人の絵が飾ってあったのではなく、絵になった婦人が飾られていたということにようやく気づきました。
ただ真摯にやっていくしかありませんが、
長くやっていれば
むっちゃんの心にピンと来る作品も出来るかもしれません。
頑張りますね。
『ナウイズムの人』がそうであったように、『宇宙龍』も生で見ないと真価はわからないだろうな、と思いますけど。
小学生低学年むっちゃんとしては、えー、なんかピンとこなーい、キライかも~です。
焦点がぼやけている印象が。
モヤモヤを感じた、とある作家さんの小説にも似て。
悪い、とか、駄目、なのではない。
どこに心を寄せて良いのか戸惑う、そんな感じです。
もちろん、私の個人的感想です。
ピンとこなかったのは残念ですが、考えさせられる点もありますね。
精進いたしますので、次をご期待下さい。
わたし的には、この絵でようやく入り口にたてた感じがしています。
いよいよ龍が、のしてんてん絵画の世界に違和感なく入って来てくれる気がしています。
会期までには、小品を数枚挑戦します。
今回の絵の感想、小学校低学年レベルの言葉で表現?するなら『キライ』です。
ピンとこない、グッとこない。
描き手さんがそう描きたい、ギリギリの表現として選んだのがそれ、なのだろうとは感じられます。
それ自体を否定する感情はわいてきません。
でも、そこに深い感性を見出だす人もいれば、よーわからん人もいるでしょう。
そして私は『よーわからん』人のようです。成長の過程?であり、十年後にはピンとくるのかもしれませんけど。
でも、わかる(感性を持った)人が見たら、たった今ピンとくるしグッとくるんだろうなと思いました。
ということはモンダイは受け手側かな?と思いましたので、なーんか歯に衣着せたコメントになり、失礼しました。
感想なんだから、最初から単純にそう言えば良かったのでしょうね(笑)。
私は今現在、宝珠をつかもうとしている龍の絵の方が好きです。
グッときます(^o^)。
惰性で描くというこということが作品を小さくさせているということは分かっているのですが、それが自分で気づけないのですね。
時間がかかります。
けれど毎日の今を眺めていれば少しずつでも進んでいける気がしています。
これからもがんばりますね。
いつもありがとうございま^す^
もし魅かれるものが見つかったら儲けものです^よ^
気負わず絵を楽しんでみてください。
それと、ついでですから、他の絵本も手に取ってみたら、案外心惹かれる絵が見つかるかもしれませんよ。
絵にしろ文学にしろ、音楽もしかりですが、作り手と、受け取る側には橋のない川が流れているのですね。
その川をいかに渡るかなんですけれど、その方法はただ一つ、自分の側に大きな杭を打ち込むことです。
ですから、
単に私が未熟だから理解出来ないのかもしれません。
精神的にガキだからわからないのかもしれません。
は頂けませんね。
むっちゃんにとって、あなたの感性がすべてです。そこに杭を打ってください。
自分の感じるものを信じなければ、橋のない川は渡れません^よ^
他人の作品を読むにしても、同じことですね。
対岸の夢幻に杭を打っても役にたちません。そう感じている己の心に向かって深く深く杭を打ちましょう。
ありがとうございま^す^
しなやかに躍進なさいましたね☆
のしてんてん画伯限定!
この摩訶不思議奇跡宇宙で
のしてんてんさんしか表現できない
のしてんてん絵画☆
のしてんてん画伯の独自性が
際立ってきたように感じられます♪
のしてんてん宇宙龍の眼球の変化に依って、
宇宙龍のリアル度が強化され
絵画全体がより深遠になりました。
またのしてんてん宇宙龍の眼球宇宙は
宇宙円相ミクロからマクロに至るまで
限りなく視野に入れ、
今まさに宇宙未知領域革新に挑もうとしている
意気込みが感じられます☆♪
まかこ眼球サイボーグレンズを通しての
感想ですけれど (=^ェ^=);;
のしてんてん宇宙龍の息吹音、
龍鱗の擦れる音
重厚なるうねり音渦巻き音
太陽フレアの雄叫びも聴こえます♪
ますますのご活躍お祈りいたしますね☆
今日はこちらは雨模様ですが、雨もまた善し
午後からも素敵な時をお過ごしくださいませ☆
いつものしてんてん熱気!
ありがとうございます。
感謝一念
まかこ 拝
ミッションへのお返事、遅れてしまいました、失礼しました。
今度の金曜日辺り、時間が取れそうなので図書館へ行ってきます。
いもとようこの絵は知らなくもないです、多分。
子供が赤ちゃんの時にもらった絵本の挿し絵を描いてた方だと思います、うろ覚えですが。
ほのぼのとした可愛らしいタッチの絵で、確かに私の好みのタイプの画風かもしれません。
ちゃんと手にとって確認してきます。
『宇宙龍』の方向性が定まったようで、おめでとうございます。
黒い点のマナコがあるよりない方が、確かに神秘的と言いますか、受け手に自由がある印象を受けました。
ただ、それが内観するまなざしなのかどうかまでは、私にはよくわかりませんでした。
実物を見せていただいたら、また違うのかもしれませんけど。
単に私が未熟だから理解出来ないのかもしれません。
前回の、宝珠をつかもうとしている龍の絵は、光に指向性がある後に描かれた絵の方が断然良い、と、私は1個人として思いました。
でも今回はよくわかりません。
モジリアニの目の深さもピンとこないので、精神的にガキだからわからないのかもしれません。
ただ、マスターにせよモジリアニにせよ、作者がそう描きたかったから描いたのだろう、とは思います。
作者がピンとくるように描く(広い意味で)しかない、それが創作という世界でしょうから。
以下はホント雑談、ただ多少はリンクしているかも?なので書きます。
私は個人的に、ライトノベル中心のとあるWebマガジンを読んでいますが、その中の一人の作家さんの作品に、どうしても違和感と気持ち悪さを感じ、ここのところモヤモヤしています。
何冊も本を出している、幾つかシリーズ物も持っている、中堅からベテランになりつつあるプロの作家さんなのに、Webマガジン上に連載されていた中編小説のまとまりがなんともしっくりこないのです。どうにもシロートくさい。
ぶっ飛んだキャラクターの登場人物が沢山出てきて活躍?するお話なのですが、彼等彼女等が漫然と出て来て漫然と好き勝手に語り、アレアレと思っているうちにどっか行ってしまう、という印象の作品なのです。
少なくとも私はそういう印象を受けました。
ここのサイトが催している公募にもし、この作品が応募されていたとしたら。
最終候補にさえ残らないのでは?とすら、失礼ながら思いました。
まあ、それがあえての作者の狙い、なのかもしれませんけれど。
作品のテーマは『ヒトというのはそもそもわかり合えない。バベルの塔が神の怒りに触れ、互いが同じ言葉を話せなくなる罰を受ける前から、たとえ同じ言葉を話していても、わかり合えないのでは?だからこそ自分で考え、自分で立ち、自分の行動に責任を持って生きろ。相手がわからない、そして相手が自分をわかってくれなかったとしても、自分がしっかり立っていれば相手を尊重して共に生きられる』というところだろうな、と感じました。
そこはわかるのですが……そこへ至るプロセスが。
現実(というには、あまりにもキャラクター達がぶっ飛んでるのですが)を漫然と描写した、という感じで、誰に心を寄せて読んだらいいのか戸惑う、という感じで、読者が置いてきぼりになるのです。
正直、途中から読むのが苦痛になりました。
そこのWebマガジンには新人の作家さんの作品も幾つかありますけど、そんな変な違和感を感じる作品は新人作家さんの作品にもありません。
『読むのが苦痛』になる話ばっかり書いてるお前が、他人の作品とやかく言うな、ですが(苦笑)。
書きたい世界観やテーマは面白いのに、お話としては面白くない。
私自身の袋小路をそこに感じ、モヤモヤしているのかもしれません。