画廊ぶらんしゅでの個展、1週間が終わりました。本日は休みでゆっくりしております。
画廊では聞かれない限り言わないのですが、絵画を通して私の宇宙観を書いてみたいと思います。
この正面の絵画はご覧のように3点の組作品と二点の絵からなります。
組作品は宇宙の図、龍の図、輪廻の図で、それぞれの図の間にたまごの絵を配しました。
この図は人間が発明した言葉の誕生を現します。
言葉がなければ、人は宇宙や自分のことを感じることは出来ても理解することは出来ません。私達の認識は言葉によってはじめて成り立ち、言葉によって世界を思いえがき、交流することが出来ると言って過言ではありません。
それぞれの図の間に言葉のたまごがあるのは、世界は言葉によってつながっていると思えるからです。
宇宙はおそらくこのようなイメージで存在する。空間は宇宙空間であり、私達が体感している闇と言ってもいいでしょう。その空間に物質が浮かんでいる。これがマクロでは天体であり、ミクロでは素粒子という事になります。
宇宙が動いているのは、この空間があるからだと思われます。空間には宇宙が動くためのすべてのエネルギーが存在しているのです。
物質を思い浮かべれば、必ずその周りには空間が存在します。空間に包まれていない物質を考えることは不可能でしょう。宇宙にあるすべての物質はつまり空間に浮かんでいるのです。
すると次のことが分かります。物質は宇宙に無数に存在しますが、それを浮かべている空間はどこにも隔たりのないただ一つの存在だという事です。
物質を観ると、個々の無数の真理が見えるかもしれませんが、空間を観るとそれはただ一つの真理が働いていると言えるのです。
ところが空間だけを認識することは難しい。それを認識するための概念がないからです。
しかし空間をエネルギーの場所だと考えれば、そこに無限のエネルギー波を思い浮かべることが出来ます。何億光年もかかってやっと一つ振動する波長も、何億分の1秒で振動する波長も、同時にこの空間に存在すると考えられるのです。そこに空間を認識する概念が生まれます。つまりスケールの概念です。
銀河を浮かべている空間は何億光年もかけて振動する空間であり、素粒子間にある空間は何億分の1秒で振動する空間という訳ですね。振動する空間のエネルギー波を思いうかべるだけで、私達は様々な空間の世界を思い浮かべることが出来るのです。過去を思い浮かべることが出来るのと全く同じように、素粒子の浮かぶ空間を思いえがくことが出来ますね。
違うのは、過去や未来は今この瞬間には実在しないのに対して、スケールの概念で思い浮かべる空間は、この私を包んでいるこの瞬間の実在する空間そのものだという事でしょう。
こうして私達はそのままでは認識できない空間の中身を想像することが出来るのです。つまり空間を中心に見つめる世界観という訳です。これを五次元と呼びます。
一方、私達はこの物質と空間から出来ている宇宙の中で、肉体を得て人間として生きています。地球の上で、生まれ成長して死ぬ。この輪廻を繰り返している訳ですね。この輪廻を単純化して見れば、物質の変化という事になります。そしてこの輪廻を認識する概念を私達は時間と呼んでいるのです。
私達はこの四次元(三次元+時間)の概念で世界や自分の人生を考えています。それが輪廻の図なのです。この輪廻は物質を中心に見つめた世界観とも言えます。地球の上に立っている。天地の狭間で私達は生活している。この認識はとても強固な世界観となっているのですね。たとえ私達の考える天空が、地球の反対側の人間が考える天空と上下関係が真逆であっても、それを不思議と考えることはないのです。
この四次元の世界観は物質の世界観と言えます。
五次元宇宙は空間を認識する宇宙であり、輪廻の図は物質を認識する宇宙であると考えれば、それはどちらも実在する物質の世界と考えることが出来るのですが、人間は言葉を介して精神世界を造り上げる。それが龍の図に他なりません。
龍はよき意味の想像の生き物であり、精神世界を象徴しているのです。この精神の世界にも実は輪廻が存在している。生まれる精神があれば死にゆく精神もある。しかしそれは肉体を持たないエネルギーだと考えられます。(龍の図では、若い龍だけでなく、生まれる形と、死んだ龍の姿も描きこんでいます。写真では分からないかもしれませんが)
つまりその正体は、五次元宇宙の空間エネルギーであり、物質人間の輪廻を受け入れようとする願いなのだと思えるのです。
龍は宇宙エネルギーそのものであり、人はそのエネルギーとつながっている龍を意識することで空間をかけ巡るのです。
その空間とは五次元空間です。つまり龍となった人間の精神は、天空に拡がる宇宙空間だけにとどまらず、体内にあるの素粒子空間をも跋扈して世界の広さをと意味を私達に教えてくれる。
こうして龍は、時間軸とスケール軸の作りだす五次元座標が示す世界。つまり人間が想像しうる最大の限りを尽くした世界を認識させてくれるのです。
鉛筆作家としてあえて言っておきますが、
前回私が論理と絵画が一つになったと書いたのは、このような論理にあるのではありません。絵画がついに論理を越えてくれたと思えるからです。
その雰囲気は、絵画の前に立っていただかないと分かりません。絵画に論理はいらないという事がきっと伝わるのではないかと思える展示となった。
一週間展示作品を眺めてきて、そう感じられました。
明日からまた会場です。
この機会に是非、五次元龍の跋扈するエネルギーを感じてみてください。
この作品は、きちんとした展示環境を整えてくれるところがあって、展示に関する条件さえ合えば無償譲渡(寄付)も考えます。
よき縁がありますことを願っております。
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