
(19)ー1
ストレンジの王宮はまるで廃墟のようなたたずまいになっていました。
壁が崩れても、石畳に兵士の屍骸が転がっていても、誰もかまうものはいないのです。
機能的に、通行の邪魔になるものだけが取り除かれ、それ以外の場所にはたくさんの戦死者が鎧兜や折れた武器などと共に転がっていました。
悪臭が立ち込め、尋常の者なら一刻も耐えがたいでしょう、空気が腐っているのです。
反乱軍の兵士は怒りで心が潰され、この地獄のような宮殿を顧みるゆとりもないのでしょう。
ありていに言えば生きるしかばねのようになって、通路の辻々に立っているのです。
侵入者を見つければ見境なく攻撃する操り人形のようになっていました。
誰でも腹が立って、つい何かにあたってしまうという経験はあるでしょう。
ところがその度を越えた怒りが次々と湧きあがってくると、心は砕けてしまうのです。
戦う相手がいなければ、何かを叩き潰すしかありません。
壁をたたき割り、狂気のように屍骸を蹴り、切りつける者もいました。
血眼になって憎しみをぶつける相手を探し求めるようになっていたのです。
王が忽然と消えて、捜索は宮殿、城内から城下町にまで及びました。
必死の捜索は、むごいことに民の大虐殺にまで発展しました。
いつの間にか全ての王軍は反乱軍に組織されてしまいました。
兵士から言えば戦う相手がなくなってしまったのです。
怒りをぶつけるものがなくなると、反乱軍はもはや制御できないほど、無意味な憎悪に翻弄され自制心を失ったのです。
怒りにとりつかれた兵士たちは、ついに理由なき戦いを始めるようになりました。
生き残った村々を襲い略奪すると、
さらに獲物を求めて森の動物たちにまで憎しみを抱くようになったのです。
リスのような小動物でさえ寄ってたかって叩き潰そうとするのです。
白鹿が現われてかわいそうなリスを助けました。
兵士たちは頭が爆発するほど逆上して無数の矢を白鹿に浴びせかけたのです。
白鹿とリスは深手を負いながらも狂気の兵士たちから逃れ、深い密林に姿を消しました。
すると白鹿の死骸を見るまで怒りはおさまりません。
兵士たちは動物たちの棲家を手当たり次第に荒らし始めました。
怒りのエネルギーがどんどん高まっていくのが分かります。
それは肉体を蝕み、兵士たちの心はすでに破壊され尽くしていたのかもしれません。
そんな兵士たちを束ねることが出来るのは恐怖だけでした。
王宮の一角に魔法で閉じられた部屋がありました。
「親分、兵士たちのイライラはもう限界ですポンポン。」
「それよりまだ王の居場所が分からないチュのか。」
「この宮殿と城内、それに城下町などをくまなく探しましたがカウ、逃げ出せるところは見つからないですカウカウ。」
「隠された地下道が必ずあるだチュ。姫はまだ口を割らないだチュか。」
「もう親分でなければだめですポンポン。」
ポンスケが困った顔をして言いました。
「どんなに攻めてもカウ、脅してもカウ、どうしても口を開かないのでカウす。」
「情けない子分どもめ。」
チュウスケは、兵士たちから笑い声を奪い怒りを植えつけました。
最初は成功したものの、王が逃げ出すという予想外のことが起こり、計画が狂ってしまったのです。
一気にストレンジ軍を手に入れ、全軍をバリオンに差し向ける手はずでした。
それなのに逃げ出した王軍の残党がゲリラ戦で抵抗を始めました。
まるでモグラたたきのような攻防戦が続いて一向に治まらないのです。
そればかりか、残党の抵抗が次第に強くなっているのです。
一気に王宮を占拠した勢いで、気力をなくした王軍など簡単に制圧できると考えていました。
今抵抗しているのは王の身辺警護の衛兵ぐらいなのです。それなのに逆に勢いを盛り返してくるとは、予想外のことでした。
これでは王を仕留めなければらちが明かない。しかし逆に言えば王さえ殺せばいいのです。
王軍を手中におさめながら足踏みしているのは、衛兵が予想以上に強者たちなのかかもしれません。
このままでは王が生きている限り抵抗は終わらないでしょう。
事態が長引くにつれて、チュウスケにも不安と焦りが生まれてくるのでした。
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(ちょっと一休み)
龍制作中
途中経過です
第一部の作品とつないでみて、調子を整え
消したり描きくわえたりして
ようやく
龍の絵第二部がほぼ完成しました
壁面に全景は無理ですので、床に並べます
キャンバスに 0.5mのシャーペンで描きます
ここまではまだ仕上げ処理をしていないので
鉛筆そのものの色とてかりで画面は弱い
とりあえず描線は良しとして
これを
PC処理をして正方形に変形させ、第一部作品とつないでみた
こんな感じになりました
これで次の第三部に取り掛かれる
次なる左側の。第三部作品のテーマは
「生まれる」
さあ、キャンバスを張ろう!!
今まで内心、鉛筆だとしたら
太さが一定するねーなど
ちっと不思議に思ってました。
鉛筆は強弱、太さに変化がありますよね。
シャーペンは細い線が一定して出せるけど
繊細さはあっても温かみが無いような気がします。
でも、あの壮大な線の数だと
鉛筆では限りがあるのでしょう。
今回は、
この一定の太さはなぜだろうか、と疑問に思っていたことの答えがありましたね。
一定、不定、その線の太さが
絵の温度に関わるなーと思ったりしますね。
心の線を引く。これがすべての発端でした。
最初、大きなキャンバスを描くとき、当然のように鉛筆の芯の太いものを求めました。最大のものは、幅12ミリのデッサン用鉛筆がありました。
しかしそれでは描線がぼやけて、心と直結しないのですね。時間はかかってもストレートに心の動きが乗せられる普通の鉛筆がよいとわかったのです。これはすぐに判断できました。
ところが鉛筆は2・5ミリほどあるので、それを削って先端をとがらせなければなりません。
描いていても使っていると太さが変わって、描線が鈍くなっていくのです。描線に現れる心がぼやけるので作品が深くなっていくにつれて、鮮明さの欲求が強くなって、しょっちゅう削る作業が増えてきたのです。
それでも当時シャーペンで描くことは考えられませんでした。機械的で冷たく折れやすいので、心を託すには問題外の代物でした。
しかしより細い線を求めるようになっていくほど、削る作業の無駄な時間に音を上げるようになり、たまたま転がっているシャーペンに目が行ったのです。
これを使いこなせないかと思ったのですね。
技術的に描線は濃い芯の方がいい。しかしそうなるほど芯は折れやすい。
試行錯誤の末、0.5mmのBに落ち着いたのです。
心の線を引くというテーマは、実はここからシャーペンンを乗りこなす過程で、徐々に自分のものになっていったように思います。長くなりますが書いてみますね。こんな機会を頂けたまたとないチャンスですから。
デッサンとは程遠いシャーペンのマイナス機能。これをすべて逆転してプラスに変えたのが、シャーペンの歴史なのです。
①折れやすい。それゆえに、自分の体が繊細かつ敏感にキャンバス面と芯の融合を意識させてくれる。
②機械的で冷たい描線。それゆえに、自分の心をごまかせなくなる。無機質ゆえに純粋な心がそのまま描線となる可能性が高いわけですね。
③芯をBに固定すると濃淡が出しにくい。それゆえにデッサンの濃淡を鉛筆に頼ることができない。つまり濃淡のすべては自分の体が担わなければならなくなる。
特に弱い線はピアノッシモを引くように、息を止めて、シャーペンの重さを持ち上げて残った重さだけで線を引く。一番疲れる作業です。
あれやこれやと、シャーペンのマイナス面のおかげで、私の絵は、自分の全身を使ったアクションとなりました。そう意識できるようになったのは、シャーペンを随分乗りこなして思い通りに線が引けるようになったころの話ですけれどね。
キャンバスに塗るのではなく、線を引く。それもなるべく細い線で心のままに描く。
このテーマが、こんなシャーペンとの歴史になったわけです。
いやーこんな話ができるなんて、桂蓮様、よくぞ引き出してくれました。なんだかちょっとすっきりした気分。こんな自分をゆっくり見ることがなかったもので、ありがとうございまし^た^
鉛筆とシャープの歴史を知らなければ
疑問に思っていても
ことばにしなかっただろうと思います。
上記の返事を次の番外記事にして
公開するのはいかがでしょう。
私は子供の時から
文字を書く鉛筆とシャープの芯について
なんとなく考え続けています。
今は当然のようにシャープを使って
鉛筆と遠ざかってますよね。
のしてんてんさんでしか書けない記事になるでしょうね。
空の芯
色の芯
なんとなく納得してしまいました。
これが人間の宿命ですね。
こんな歴史があっても、私にしたら息をするように普通なのです。
桂蓮様に思い出させてもらわなければもはや空気のような歴史でした。
今在る自分と言う存在そのものが、普通感覚のために見えなくなったしまった歴史が他にもたくさんあるのでしょうね。
シャーペンの場合、あらためてその歴史を意識することで、より表現がクリアになる気がします。
お勧めのように、記事にして自分を見つめなおしてみるのもいいと思いました。ちょうど新しい作品「生まれる」に挑戦するタイミングでした。
ありがとうございます。感謝いたします。