交差点で進路を迷っていると、一人の老人が坂を上ってきた。私が老人に道を聞くと、この道をまっすぐじゃと、しわだらけの顔をほころばせて教えてくれた。
私はその老人を一目見て気に入った。足もとが不自由らしく、訥々と杖をつきながら老人にはきついこの坂を上っていく。
私はその老人の歩調に合わせて、わざとのんびりした足取りで歩き、ゆっくりと喋った。
老人は小樽商科大学を知っていたが、伊藤整のことは知らなかった。老人は三年前にこの小樽にやってきて、その折に仕事を失ったのだと言った。
「この年になると仕事はありませんわ。」
そう言って老人はさみしく笑った。自然に出るのだろう涙で濡れた目の縁が、明るすぎる太陽の光を受けて時々光った。
ポツリポツリと、自分の生い立ちなどを断片的に話す老人に、私はたまらなく愛着を感じた。老人は一言も私の事を聞こうとはしなかった。ただ静かに、曲った腰から上目使いに私を見て笑うのだった。いじらしいという表現はこの老人に不敬ではあったが、しかし私は素のままでそのように思うのだった。
私はまた、伊藤整の本の中に、この坂道のどこかにパン屋があって、そこから小林多喜二が同じ学校に通っていたという意味の記述があったことを思い出し、そのことを聞いてみた。
「ああ、たぶんこのあたりにあるんじゃが、・・・」
老人はしばらく考えて、私はその場所を知らないが、これから行く場所で訪ねてあげようと私を誘った。しかし老人の息が切れているのを感じ、これ以上の労苦が気の毒にも思えたので、私は感謝の気持ちをこめてそれを断った。
やがて私たちは小さな路地に入る分かれ道で二手に別れた。老人は別れしな笑って手を振った。私は思わず手をあげてそれに応えた。それからもう一度振り返ったとき、老人はそこからゆっくりと路地に入っていくところであった。
HPのしてんてん
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