のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

第 二 部  六、新月の夜  (王の寝室 )

2014-12-05 | 小説 黄泉の国より(ファンタジー)

王の寝室

 

  ひんやりした鏡のような大理石が敷き詰められた、歩くのがためらわれるような廊下をエミーは歩いていた。

 「もっとあごを引いて、目線を床の方に落としますのじゃ。」エミーを先導していた従事長が振り返って言った。

  「はい、」エミーは言われるままに姿勢を正した。

 ようやく王様にお目通りがかなったのだ。城に入って一週間を大きく越えていた。王子からの伝令がやって来て、従事長は襟を正した。そしてエミーに、王の前での作法を二度繰り返させてから王の寝室に向かったのだった。

 エミーの心は不安で揺れていた。王様の前でうまく歌えるのだろうか。エミーにはとても母ヅウワンのように歌える自信はなかった。城に上がる前に何度かサンロットの指導を受けたが、それで自分の歌唱力が上達したかどうかは疑わしかった。

 もしうまく歌えなかったらどうなるのだろう。王子様の期待を裏切ってしまったらどういうことになるのか、そう考えるとエミーの不安は募るばかりだった。前で組んでいる手のひらがべっとり汗で濡れていた。

 「エミーを連れて参りました。」従事長が大きなドアを開けて報告した。

 「おお、来たか。中へ。」王子の声がした。

 「さっ、」従事長はエミーに目配せをして、エミーを部屋の中に進ませた。

 「エミーでございます。」エミーは戸口でたたずみ、片足をひいて丁寧なお辞儀をした。  王の寝台の横に王子が立ち、入り口近くには宰相ゲッペルが控えていた。

 「王様がそなたの歌を聞いて下さる。ここに来て控えよ。」

  「かしこまりました。」エミーは身を固くして部屋の中央に進み出た。

  「父上、エミーです。」

 「よく来た、もっと近こう寄れ。」しわがれた王の声がした。

 王の声を聞いて、エミーは言いようのない不気味さを感じた。エミーの視線は床に落としたままで、部屋の様子を見ることすら出来なかった。決して王様を直接に見てはいけない。従事長から何度も繰り返し教え込まれていた。エミーはうつむいたまま前に進んだ。

 「面を上げよ」しわがれた声が聞こえた。

 エミーは恐る恐る顔を上げた。天蓋のついたベッドに紫の衣をまとった王が横たわっていた。青白い顔に死相が現れていた。王は頭を上げ、ベッドに肘をついて半身になり、そのままの形でベッドに体を預けた。思わず駆け寄って介添えをしたくなるような、王の危うげな動作だった。側添えの召し使いが二人、ベッドの側に跪き両側から王を支えていた。

  「これがヅウワンの娘か。」

 「そうです。歌は母親には及びませぬが、しかし力はあります。」

 「歌って見るがよい。」

 「恥ずかしながら、エミー、王様のためにうたわせて頂きます。」

 従事長に教えられた通りにエミーは答えた。そしてエミーは深々とお辞儀をして、うたい始めた。エミーはヅウワンが最後にうたった歌をこの日のために用意した。それはバックルパーが薦めたものだった。ウイズビー王子が歌劇場で聞いた同じ歌、王子の変わり様を見れば、確かにあの歌には何か癒しの力があるのかもしれない。バックルパーはそう言ってノートに書き留めた歌詞をエミーに教えたのだった。

 それからエミーは何度も練習して、何とか歌いこなせる自信が出来ていた。ゆっくりしたテンポで始まり、次第に高揚して行く歌のリズム、エミーは自分の心が次第にうまくその流れに乗っていくように思えてほっとしていた。しかしその時だった。

 「もうよい。」

 王はエミーの歌がうたい終わらない間に額を押さえてベッドに横たわってしまった。エミーは歌の方に心を集中していたために、王の言葉が聞こえなかった。エミーはそのまま歌をうたい続けた。

 「く、苦しい。」王は頭を抱えて苦しみ始めた。

 「もうよい、エミー、やめるんだ。」王子が無理やりエミーを止めた。

 「えっ、あの、私、」エミーは王の苦しむ様子に気づいてうろたえた。

 「下がれ。」王子が厳しい口調で命令した。 

 「あっ、はい。」

 「痛い、頭が割れそうじゃ。ギギギギ、」

 王はベッドの上で体を丸めたり、身をよじったりして苦痛に耐えているように見えた。エミーは王の激しい苦しみを見て、恐ろしさの余り足がすくんで動けなかった。

 「早くここを出るのだ。ゲッペル、こやつを連れ出せ。」

 「お任せを。」

 ゲッペルはエミーを軽々と抱え上げて寝室を出た。王のうめき声が寝室の外まで聞こえていた。エミーは両の手で口を押さえたまま硬直していた。

 「私、私、何もしていない。」

 エミーは動転して体を痙攣させ始めた。

 「私何もしていない。私のせいじゃない。」

 「静かにするんだ。」

 エミーの興奮が醒めないのを見てとったゲッペルはそのままエミーを抱きかかえて中庭に出た。

 「ここで気を落ち着かせるんだ。」ゲッペルはエミーを花園のベンチに座らせてそのまま立ち去った。

 「私のせいじゃない。」エミーは呆然としたまま独り言をいった。すると訳もなく悲しみが襲って来て、エミーの目から涙があふれ出て来た。

 王の健康を取り戻すためと嘱望され、たった一人王城に召されたエミーは、一週間あまりも礼儀作法を教え込まれるだけで一人捨て置かれていた。その心細さが極限に来ていたのだ。そしてようやく王の前で歌えると思ったとたん、王はエミーの歌の最中に激しく苦しみ始めたのだ。エミーはすべてから見放されたような、不安と悲しさが交錯して自分を押さえることが出来なかった。

 「カルパコ」エミーは泣きながらカルパコの名を呼んだ。会いたい。会ってカルパコの胸に飛び込んで行きたい。カルパコならエミーの心を優しく受け止めてくれるだろう。エミーは心の中で何度も何度もカルパコの名を呼んだ。

 どれだけ時間が経ったのだろうか、泣き疲れたエミーはしゃがみ込み、花園のベンチに顔を預けておえつを漏らしていた。

  「どうした、何を泣いておる。」エミーの背後で声がした。

  エミーは突然の声にベンチから顔を上げた。手の甲で涙を拭いながら後ろを振り向くと、王子が立っていた。

 「王子様、申し訳ありません、私・・・」

 「心配をかけたな。」

 「私、王様があんなにお苦しみになるなんて、私の歌がいけなかったのでしょうか。」

 「そなたのせいと思うほど愚かではない。」

 「でも、私、びっくりしてしまって、どうしたらいいのか。」

 「案ずる事はない。王の病はそれだけ重いのだ。単なる病ではない。」

 「私の歌など、なんの役にも立ちませんでした。本当に申し訳ございません。」

 「そなたの歌には力がある。そなたの母のようにな。私の体がそれを体験したのだ。王の苦しみは、王に取り付いた魔物のせいだ。あの苦しみは、あるいは魔物の苦しみかも知れぬ。」

 「魔物ですか。」エミーはパルマの話を思い出した。しかしその話を持ち出すのははばかられた。

 「戦わねばならぬ。王を死なせてはならぬのだ。」

 「王子様。」エミーは初めて王子の素顔を見たように感じた。権威の殻が割れてそこから王子の生のままの人間的な心が顔を見せたのだ。エミーは王城に入って、初めて人の心に触れたような気がした。

 「そのためにはそなたの力が必要なのだ。」王子はエミーの手を取った。

 「王子様、」

 「私の力になってくれるか。」

 「私に出来る事がありましょうか。」

 「そなたの歌は必ず王を癒してくれると信じているのだ。」王子は真っすぐにエミーを見た。

 「王子様。」エミーの目に涙がにじんで来た。さっきまでの涙とは違った、甘酸っぱいものだった。

 「なぜ泣く。」

 「分かりません。」エミーの心は複雑に広がっていた。

 そのときだった、二人の会話を遮るように野獣のような叫び声が二人の横合いから起こった。とっさに二人は声の方を振り向いた。エミーは驚きのあまり目の前が真っ暗になった。そしてその場に崩れ落ちた。

 

 

 

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