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(7)-2
ええっ!!みんなが叫んだのは言うまでもありません。
博士はこの中にのぞみ赤ちゃんの歴史があるというのです。
それはようやくスケール号がその歴史の中に入って行けるという意味だったのです。
赤い丘に立ったままスケール号が原子の大きさにまで小さくなると、
赤い丘に凸凹が現れ視界一杯に広がって霧になり、
やがて突然現れた原子宇宙の光景に心を奪われたのはつい先ほどのことでした。
そんな大変な仕事をこなした後の食事会ですから、
きっとごちそうに違いないとぐうすかが期待したのも無理はありません。
それがパンひとつだったものですから、ぐうすかのがっかりした様子は気の毒なほどでした。
皆でいただきますと手を合わせて食べ始めるまでの、ほんの数分前までは。
「わーなんダすかこれ!すごいダす!おいしいダす!」
まずぐうすかがびっくりして言いました。
「カレーパンだ!ありがとうもこりん。」
ぴょんたは一口噛んだパンを見て言いました。
パンの中からとろりとした琥珀のルーがお肉の塊に絡みついて覗いています。
「私もこんなおいしいカレーパンは初めてだよ。」
博士は一気に三口も食べました。
「どうでヤスかぐうすか。何か文句でも?」
もこりんが胸を張って言いました。
「ないダす、ないダす。もこりんさま。」
ぐうすかはパンを食べ終わるとミルクを飲み干しました。チーズは最後のお楽しみのようです。
「むギャーふぎゃー」
「艦長が目を覚ましたようだ。」
博士が立ち上がりました。
「ミルクあげるでヤすよ。」
もこりんは急いでパンを口に押し込み、ほ乳瓶を持って艦長のそばに行きました。
「頼むよもこりん。」
そう言って博士は艦長をもこりんのひざの上に載せました。
皆が艦長の周りに集まってきました。元気に飲んでくれるかな? ぴょんたは心配そうです。
北斗艦長はまだ眠そうに目を半分閉じていましたが、
もこりんがほ乳瓶を口元に持っていくと、ぐいぐい飲み始めました。
「みんなこれを見てくれないか。」
そう言って博士が大きなスクリーンを指さしました。
そこにはたくさんの星が映し出されている光景でした。
「何でやスか?」
「これはのぞみ赤ちゃんの身体を原子で表したものだ。
のぞみ赤ちゃんの身体をスケール号が調べてくれたのだ。
そのおかげですべての原子の位置が表せるようになったのだよ。」
「たくさんの星があるのダすな。吸い込まれそうダす。」
「しかしこれがすべてではないんだ。いいかい、驚かないでくれよ。」
スクリーンが縦横に広がり、天井がプラネタリウムになり、
そのまま床も半円のスクリーンになったのです。
全天球のプラネタリウムに原子の星が隙間なくまたたいています。
「怖いでヤす」
もこりんが隣のぴょんたの袖をにぎりました。
「でもきれいです。宝石箱の中にいるようですね。」
全員が宇宙の真ん中に投げ出されて、浮かんでいるように見えるのです。
頭の上も足の下も、どちらを向いても原子の星が思い思いの色をして光っています。
「この中に金色の星があるはずなのだ。」
「金色ダすか?」
「無理でヤすよ、どこを見ているかも分からないし、
見ているだけで目がちかちかして、それに広すぎるでヤす。」
「金色の星って何なのですか。」
「みんなあの紋章を覚えているかな?」
博士が操縦席の壁にライトを当てて言いました。
そこには太陽をかたどったオレンジ色のメダルがかかっていました。
「あれは太陽の紋章でヤす。」
もこりんが得意そうに言いました。
「スケール号が太陽の王様からもらったものダす。」
「そうそう、スケール号はあの紋章を口に入れてもらったけれど、熱くって舌を大やけどしました。
大変だったのを思い出しましたよ。」
「ゴロんにゃーん」
スケール号も話に加わってきました。
「あの紋章は太陽族のしるしなのだよ。紋章が光り始めるとね、オレンジ色から黄金なって輝くのだ。
王様のしるしなんだ。この原子宇宙にも紋章の輝いている王様がいるはずなのだよ。」
「王様ダすか、よーし探し出すダよ。」
「みんなで分担しよう。もこりんは下、ぐうすかは上、ぴょんたが右、私が左を探そう。」
「もうだめダす。」
皆が目をこらして金色の星を探して、いましたが、真っ先にぐうすかが音を上げました。
似た色の星はいくつも見つかりましたが、博士は首を横に振るばかりだったのです。
「無理でヤすよ。みんな金色に見えるでヤす。」
もこりんも根を上げて、とうとう床に寝転がってしまいました。
「はぶはぶ・・はふぃー」
そのとき艦長の声が聞こえました。
「おおそうか、ぐうすかの足元だね。」
博士が艦長のほっぺを包むように手を当てて言いました。
「博士、なんて言ったのですか?」
「ぐうすかの足の下だそうだ。」
「ええっ、ここダすか?」
ぐうすかが足をどけると、その下に金色の星が見えました。
光の中心から出ている幾筋もの光芒が金色に見えるのです。
「この星ダすか。」
「間違いない。これが原子の星の王様だ。艦長、よく見つけたね。」
博士は艦長の小さな手をしっかり握って言いました。
「この星をどうするのダすか?博士。」
「会いに行くのだよ。きっと何かを知っているだろう。宇宙語が聞こえない理由をね。」
「はふばぶ」
揺りかごの中で艦長が声を上げました。それを聞いた博士が大きくうなずきました。
「艦長も知りたいのだね。行こうか、王様のところへ。」
「はふはふばぶ―」
「スクリーンの金色の星を強く心に思い描くだけでいい。
それでスケール号に伝わるんだ。艦長なら出来るよ。」
「バブばぶ、あふー」
艦長が握りこぶしを振り上げてスケール号に命令を出しました。
「ゴロニャーン」
その一瞬、スケール号の姿が闇に溶けるように消えたのです。
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(ちょっと一休み)
連日の猛暑、熱中症にはくれぐれも気を付けてお過ごしください。
自分を自然に任せられるようになったおかげで
私の絵は下書きなしで進んでおります。一つ描いたら
次の形が思い浮かんでくるという感じで、私はただ成り行きを
見ているだけでいいのです。
そんな時、私は身体から空体に入れ替わったような
そんな実感です
全く迷いが出てこないのです
新境地に入ったのかもしれません。
それで気が付いたらここまで描けました
前回記事の白いキャンバス(上段左と中央)が
こんな感じになりました。
生と死の回転するイメージ
まだ途中ですが、骨組みが描けました。
行きたいところへ行けて
流れたいところに流れる、みたいな感じだろうなーと思えてきます。
川の始まるところを目撃したいと常に思っていました。
雨水が土や石にまとまって
ある程度、水準に達すると
流れ始めるのでしょうね。
だから、川の根源には
水源が隠れていて
何もないように見えるでしょうね。
物語の二部に添付された写真を見て
川が始まる水源みたいだと思いました。
大きく、力強く流れる川
のしてんてんさんの川
水源にも辿れるようになったのでしょうね。
生と死の回転
それを見せる画家はそういないでしょうけど、
のしてんてんさんなら
見せるだろうと信じています。
迷いのない境地というのは、私自身が自分の中から生まれる絵の観客になれたということなのだと最近思っています。
ただしまだ、これは絵の創作に関してだけで、私が自分自身の人生に対して丸ごと観客でいることは難しいです。
しかし五次元が意識をそこまで連れて行ってくれるという思いに迷いはなくなりました。
苦に出逢ったら、その苦に気付いている自分の本質、つまり五次元の思い描く宇宙を意識するだけで苦は消えて行きます。もちろんまた苦は生まれてくるので、絵と違う人生の難しさですね。
桂蓮様、実はちょっとした贈りものをお送りしようと思っていました。
最近できた数ページの簡単な手作り絵本です。
桂蓮様には是非、実際のものを手に取って読んでもらいたいと勝手に思い浮かんだのです。
良しと言っていただければ嬉しいです。
迷いのない境地というのは、私自身が自分の中から生まれる絵の観客になれたということなのだと最近思っています。
ただしまだ、これは絵の創作に関してだけで、私が自分自身の人生に対して丸ごと観客でいることは難しいです。
しかし五次元が意識をそこまで連れて行ってくれるという思いに迷いはなくなりました。
苦に出逢ったら、その苦に気付いている自分の本質、つまり五次元の思い描く宇宙を意識するだけで苦は消えて行きます。もちろんまた苦は生まれてくるので、絵と違う人生の難しさですね。
桂蓮様、実はちょっとした贈りものをお送りしようと思っていました。
最近できた数ページの簡単な手作り絵本です。
桂蓮様には是非、実際のものを手に取って読んでもらいたいと勝手に思い浮かんだのです。
良しと言っていただければ嬉しいです。
喜んで頂きます。
絵本は、個人的に私には意味が深いです。
子供の時に、家が極めて貧しく
絵本は一冊も持てなかったです。
教科書も誰からの譲りものでした。
大人になって、
あんなに欲しがってた絵本を自分のためだけに
買ってみようかなーと思った時ありましたが、
それもおかしかったので、辞めました。
なのに、私が尊敬する画家さんが
手創りの絵本をくれる、と言われると
人生の皮肉さえも感じますね。
複雑な心境です。
運命はこんなものかーと
子供の時に、親戚の子たちが持っていた絵本を
読んでいいかと頼み、
少し、読んでいると、本が汚くなると
取り上げられてしまってましたね。
だから学校へ行くといつも図書館で
当たり次第本を読んでました。
暗くなるまで本を読んで
校門が閉まっちゃうから
門か壁に登って出たりしてました。
私の絵本
涙が出るような切ない感じがすることばです。
人生って不思議ですね。
今回の作品は、絵と理論(文書)をつなぐものとして案外うまくいったように思えます。
何人かの感想でも、よく分かったという声があり、是非読んでもらいたいと思っている絵本です。
桂蓮さんの絵本の話しには心を吸引する力がありますね。
なにがしかのお役に立てばうれしいです。
国際郵便でお送りします。
A5番の薄い冊子ですので封書で大丈夫のようです。少々時間がかかるようですが、しばらくお待ちください^ね^
絵本のことと関連して、
しばらく、何日間、想い出に更けました。
結構まとまったイメージが持てたので
いつか、気が向いたら記事にまとめようと思いました。
私は自分の過酷だった子供時代(まあ、20代までつづきましたけど)について、今は感謝とかありがたみとして捉えています。
週末になると、東京までトライブして
大きな本屋に行くのが日課でした。
埼玉県に住んでいたので、
紀伊国屋がある新宿まで
車で4時間かかる時もありましたね。
けれど、本屋に行ってしか観察できないこともあるから
毎週行ってました。
塾の生徒達のために英語の絵本も結構買ってましたね。
人生の不思議ですね。
大人になって、理論(空間理論、次元論)が絵本に
なってたらいいのになーとか
知識も得られる絵本があればいいのになーとか
本屋に行く度に思ってました。
願いは叶えるものですね、不思議です。
その過去が変えようのない今なのだと思うと、心から応援したくなります。
何もできませんけれど、気分だけは私の正直な気持ちです。
「理論(空間理論、次元論)が絵本になってたらいいのにな」
桂蓮様の思いを、文字通り受け取って感じる私の思いから言うと、今回の童話はまさにその通りなのです。
五次元の考え方を長く提唱してきましたが、皆様になかなか理解して頂ける力量がなく、変な宗教ではないのかと言われることもよくありました。
今回童話に行き着いて、はっきり言えることに気付きました。
つまり五次元思考とは、宗教崩れの思考ではなく、科学的な認識論であり、論理的に理解できる新たな世界観なのだということです。
メール便でお送りしていますが、昨今の情勢が悪くて到着まで2週間はかかりそうです。
桂蓮様にお願いしたいのは、私への思いやりをゼロにして切り捨てて頂きたいということです。
無にして桂蓮様の思考に何か生まれるか、何も生まれないかです。
おっしゃる通り、まさに私もそう受け取っていました。
変な宗教だと捉えた背景はおそらく言葉使いの受け取り方に個人差があったからかもです。
のしてんてんさんの空間理論はM理論に近いかなーといつも思ってました。
ネット上に10次元まで解説しているサイトもあって
根気よく観たことありましたが、
それこそ科学に基づいてないファンタジーのように
思えましたね。
のしてんてんさんの空間理論は
素粒子科学者が言っている論理根拠より
現実感があって
イメージ性に富んでいます。
それについて今まで言及しなかったのは
私はことばの使い方に敏感で
思考の方向性が確実だと
拒否反応があるからでした。
けれど、最近になって
バレエ稽古をとおして
その方しか伝える方法は少ないかもと
思えてきたから
拒否反応が薄れてきたからです。
拒否反応が無いと言いいたいことも
流れてきますね。
桂蓮様のM理論に対する感じ方に心から賛同します。
私なりの論理から言わせてもらいますね。
確かにM理論なるものは最初26次元というような言葉も飛び出していましたね。けれどそこで言われている次元という言葉は、数学(知識)という一つの次元(知識)の中で使われるものですね。つまり数学という単なる1学術の次元を超えるものではありません。次元の数字を増やしたところでそれは数学の次元の中にあって 、それを超えたら破門ですからね。(言いすぎですが)
視点が違うのです。
私が言う五次元は、桂蓮様もおっしゃる通り認識論です。世界を認識するのは数学でも物理学でもありませんね。それらはただ説明するだけなのです。もちろん利用価値は膨大なものでしょうけれど、世界を認識するということはそれとはまったく違った次元ですよね。
それは桂蓮様のおっしゃる「現実感」です。
有識者も私のような無学の者も関係なく誰だって世界を認識する力を持っていますよね。「現実をどう理解するのか」です。
そこで使う認識の次元とは、物事を認識するための物差しの数だと言えば分りやすいでしょうか。
物差しを持たない段階が0次元
1本の物差しを持つ段階が1次元
物差しが3本あれば3次元
これだけで人間は空間の広がりを認識できますよね。
時間の物差しを手に入れたら4次元、現代人の認識ですね。
さらに人間はスケールの物差しを使う能力があるというのが私の言う5次元なんです。
こんな分かりきった説明をすると、拒否反応だと思いますが、桂蓮様の要点をつかまれたメッセージに対して、どうかその要点がさらに光明に照らされることを願って書いてしまうことをお許しください。
拒否反応は自分を守るために必要なことですから、過去をないがしろにしない桂蓮様の生き方から当然のことですよね。
でもそれがレッスン(芸術性)から薄れてくるという実感は素晴らしいことだとも思います。
拒否反応が薄れてきているということは、守るべき自分が少しずつ消えている証ですものね。
絵も同じです。守るものがなくなると、今この瞬間の自分しかない。それは最もクリアな意識だと思えるのです。
真摯なメッセージをありがとうございました。
ありがたく読み、受け取りました。
些細なことを真剣に受けとめてもらい
今まで、溜まっていたものが流れていく音がしました。
26次元までですか、確かにいつだったか
次元を知りたいと駆られた時に
あらゆるサイトを検索して観て、読んだことはありましたね。
けれど、数字に基づいたあの論拠は
読んでいる最中でも
目から入って、目から消えていきましたね。
多くの理論は、空間を論じていても
空間感覚がゼロですよね。
明確なVision無しに
ただ発展させた感じしか受けないものが多いです。
5次元は、初めて舞台に立った時に
4次元の中に含まれるスケールだと
実感しました。
帰りの車の中で
のしてんてんさんのうったえているのが
これかなーと思ったり
それで、コメントしたのもあります。
アリにとって
地球のスケールは想像できないでしょうね。
よって、人間にとっても
5次元は納得の次元?ではないのです。
まさにおっしゃる通りの認識、その背景なのでしょう。
バレエの友たちがいて
日本で多くの舞台経験したようで
私の初舞台の時に
天井を見ろと言ってくれました。
彼女のそのことばが無かったら
天井なんか絶対に見なかったです。
けれど、天井の認識がその場でできました。
のしてんてんさんの5次元も
先に見て
私達に見て!と教えてくれる先見でしょうね。