
その二 輪廻の図 (制作モデル)
「のしてんてん五次元宇宙&龍展」のための一枚S30号9枚組作品
宇宙から人間が生まれる。
人間とは何か。それは個人ではない。
個人を含みながら、大きな流れの中にある運命共同体としての巨大な命である。
それは言いかえると、
時間を内に秘めながら存在する宇宙の住人である。という事になるだろう。
重要なことは、時間というワードだ。
時間は輪廻をつくり出す。
人間の最小単位である個人に、輪廻という姿で己の巨大な命を教えようとしているのだ。
輪廻とは時間という概念を作りだした最初の真実である。
地球の上の個人は、重力をただ上下の概念だけでとらえて己と世界を見ている。
上下の概念で描く世界の、逆転した奇妙な世界観に気付かないふりをして明日を生きている。過去を悔いながら。
時間の正体を知りたいと、考えたこともないのではないかと思ってしまう。
その矛盾に気が付くには、人間はあまりに大きすぎるのだ。
それゆえ時間は唯一の世界を測る思考となっている。
輪廻を外から眺める勇気を持たねばならない。
外から眺めれば、
空間に浮かんだ自分が球体の地球を心の底から受け入れるだろう。
抜け出さねばならない。
人間がさらに成長するためには
輪廻を大きな視野で受け止め、その中にある真実に気付かなければならないのだ。
論文の表題は見たことありますが・・・・
生きているのであれば極当たり前に、実感としてそう感じるわけです。
この一文は私には分かりません。当たり前に感じている実感というものを自分の内に探してみましたが、思い当たる感覚に出逢えません。
ZIP様の感じていらっしゃる「それ」のヒントをいただけませんか?
ですので、Xman様のご質問は亭主である私、のしてんてんへのメッセージとして受け止めさせていただきます。
Xman様、
もし時間が逆に流れていても、皆が億万長者にはなれないでしょう^ね^
もし今この馬が勝ったレースを見ていたとしましょう。あなたが来る過去に万馬券を買うためには、すでに通り過ぎた未来に、つまりレースが終わった後のことですが、そこで大喜びしている自分が必要なのです。
万馬券があたったあなたの人生の、永遠の(決して行き着かない)未来を決めなければ、あなたは自由に万馬券を買うことは出来ません^ね^
ややこしいかもしれませんが・・・
結局、過去から未来に向かうと考えた方が、慣れている分楽かもしれません^よ^
バックミラーを見て運転はしないでしょう。
何が起こる分からないから前を見て運転するわけです。
生きることも同じでしょう。
何が起こるか分からないのは、未来ではないのですか?未来に向かって進んでいるから、前を向いて運転する・・・としか、私には理解できません。
(知らないコト=未来)(知ってるコト=過去)とすれば、時間は知らないことから知ることに進むわけですから、未来から過去に進んでいるという事になるのでしょうが、
私知性から言えば、知らないコトは未知であり、今だ来ない未来としか思えないのです。そこをどう考えるのでしょうか?
どこかで理解の仕方がおかしいのでしょうか?
突然コメントしたのはその事を確認したかったからです。
時間が、未来から過去に向かって流れるという感覚は幼い頃から今でも変わらないのです。
ハイデガーもそうですし、仏教もそうなのです。
「やはりそうなのですね。」とおっしゃるのは、私のどんな考えを指しておられるのですか。ZIP様にはどんな確認が出来たのでしょうか。
「時間が、未来から過去に向かって流れるという感覚は幼い頃から今でも変わらないのです。」
私にはそうは思えません。そのことをただ確認したかっただけなのでしたら、この議論はここまでですね。