のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

2020-06-13 | 般若心経を読み解く(五次元)

 

一本の道がある

真っ直ぐ神殿につながっている道だ

その神殿は目の前にある

目的地を疑う障りも無い

安心して進めばいい

 

だが

同じ道でも

見えない道はどうしたらいい

目の前に神殿はなく

岩山と荊が立ちはだかっている

進まねばならず、進めばとげが身を刺す(=自我)

 

般若心経は

それこそが空だという

進む道はない

道が無い故に身を刺すとげもない

今あなたが立っている、そこが神殿なのだ

進む必要はない

本当のところあなた自身が神殿そのものなのだと教えている

その神殿とは「空」であると

 

 

「空」を意識の中に描きだす思考方法がある

 それが五次元思考だ

 時間の概念で描きだす四次元の世界観では、自分の大きさは不変だと思ってきた。この身体を自分とする考えは確固たるものだ。ところが、般若心経ではそれが一つの思い込みであり顛倒夢想なのだというのである。

 その思い込みを捨てると、自分の意識はスケールの世界を自在に移動動することが出来るようになる。私達には固定されたスケールは存在しないのだ。固定されたスケールと言うのは、ただ周囲との縁で成り立っているだけの夢想なのだと。するとそこにスケールを軸とした思考方法が生まれて来る。それが五次元思考なのだ。

 五次元思考の決定的な特徴は、自分とは宇宙空間そのものだという世界観である。よく考えてみれば、空間は大きさを持たない唯一無二の存在だという事が分かる。自分の身体=スケール不変という思い込から解放されることで、私達は自分と言う大きさを、身体(物質)から、無限の空間に切りかえることが出来るのである。

 これを視覚的に表してみると上の図のような人間を思いえがくことが出来る。

 黒い点を素粒子と考えると、人はこのような姿をして宇宙空間に浮かんでいる。黒い点の集合体を私達は自分の身体と考え、その身体を基にして世界を認識しているのである。この集合体は時と共に移ろい止まることはない。 四次元の時間の概念はまさにこの物質の移ろいを理解するための概念だと言える。輪廻は物質の変化すなわち時間を象徴しているのである。明らかに意識が物質に向けられている。黒い点の集まりを自分と思う。これが「自我」なのである。上の図は「色即是空」を表しており、これは自我を俯瞰する視覚的モデルでもある。

 同時にその「自我」に対して、般若心経は「五蘊皆空」と言っている。「自我」は空だというのだ。これは何を意味しているのかと言えば、図の黒い点に意識を向けるのではなく白地の空間に意識を向けよという事だ。この白地はどこも切れ目のないただ一つの空間なのである。それがあなたの実体。私が「真我」と呼ぶものなのだ。

 スケールを自由に移動できるという意識を持てば、私達は素粒子空間と銀河空間を同時に認識できる。この空間こそが自分の身体だと考えたらどうだろう?あなたは無限に拡大する宇宙空間の広がりを持ちながら、同時に無限に縮小するミクロの空間に収束する。あなたの身体は宇宙そのものと言えるのである。

 

 「自我」は物質の側からみた自分であり。四次元思考で認識する「私」のことである。

 それに対して、「真我」は空間の側からみた自分。つまり五次元思考で 認識する「私」なのである。

 「自我」と「真我」は、意識を物質に向けるか空間に向けるかの違いなのであるが、それを理解するために次の図が役に立つだろう。しかしあくまでこれは一つの例え話だ。それを了解したうえでご覧ください。

 

 これは心理学者エドガー・ルビンが考案した、通称ルビンの壺と呼ばれるものである。普通、意識は壺に向かい、画面の中央に置いている一つの壺を認識するだろう。ところが壺のまわりの空間に意識を向けると、壺が背景に消えて空間に向き合う男女の姿が見えてくるのだ。

 四次元思考から五次元思考に切り替えるという事は、このように意識を変える、見方を変える、つまり思考方法を変えることと同じなのである。

この意識の切り替えをイメージして以下を読んでみて頂きたい。

 

たとえば「色即是空」と言う般若心経の経文は

①本来物質は空。だから物質の執着から離れなさい  

②色と空は同じである。だから空を楽しみなさい。

と言う二つの理解を生み出す。これは「空」という言葉が、それ自体に真理を表す意味があるからである。その意味から①②の理解は次のように派生していくだろう。

①意味=(空=実体がない)=物質を主体にする考え方=四次元思考

②意味=(空=実在・実体)=空間を主体にする考え方=五次元思考

 

ここで重要なことは、①も②も正しく成立するという事である。五次元思考は四次元思考を否定しないし、四次元思考は五次元思考を排斥しない。二つの思考関係は、ともにルビンの壺のようなことが成り立つのである。

 

前回の記事で、般若心経の経文を数式化して思考の流れを見た。そして一つの結論として、「五蘊皆空」=空(色・受・想・行・識)=空(自我)=無(色+受想行識)=無(自我)=無・空(自我)=真我(自我)と見てきた。

結局「五蘊皆空」とは、真我(自我)と言い表せるという理解に至ったのだ。

重要なのはこの 真我(自我)の形なのである。ここで私達はようやく人間とは何かという問いに対して一つの視覚的な答えを得るのだ。もう一度五次元思考に基づいて描いた人間と宇宙の図を見てみよう。 

      真我(自我)       

 このようにタイトルをつけるとよく分かるのだが、真我(自我)は真我と自我が並び立つのである。真我は白地の空間を表し、自我は黒い点つまり物質を表す。

般若心経はこれを「空」という一言で表現しているのである。つまり般若心経で言う「空」とは、「ない、カラッポ」と言う意味だけではないのだ。

もっとも重要な意味は「空」とは物質と空間の存在の在り方、輪廻そのものの根本。すなわち完全なる宇宙の姿を現していたのである。真我(自我)はそれを視覚的に理解するためのことばなのである。

 

 

最後に同じテーマで描いた私の鉛筆画で閉めることにいたします。

真我と自我

 

 

長いあいだ「般若心経を読み解く?」にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

最後に般若心経と五次元思考の関係を述べておきます。

五次元は般若心経を越えるのかと聞かれますが、とんでもない話です。般若心経の教えは深遠で計り知れないものがあります。それは般若心経が真理にたどり着いている左証だと思うのです。掘り起こせば無尽蔵に真理が飛び出してくるでしょう。

五次元は、それを理解するための単なる方便に過ぎません。「真我」は必要のない言葉ですが、般若心経の「空」を理解するために使ったもので、いわば屋根に上るための梯子だと考えてください。

どんな方法を使っても、屋根によじ登ればいい。するとそこから「空」が見える。やがて般若心経のことば、「空」すら道具であったことに気付くことがあるでしょう。ここにきて初めて、私は玄奘法師が般若心経を訳す時、原語の響きを残した意味を知りました。

空そのものに入ったとき、羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 と言う言葉の波動に理解が及ぶのです。意味ではなくそれは波動であり空間の正体であり空間そのものだという事を。

こんな空想が起こります。

何万人もの人々が自我の入り口から般若心経を知り、「空」にたどり着いた。その時、空間の波動が迎え入れてくれる。そして知るのです。何万人もの人々が同じ「空」の中で波動に揺れているのを体験する。己の発する波動が彼の人の波動と重なって空を造っている。その空の中身に誘うのです。 

つまり般若心経を通じて悟りに達すると想定したとき、その達した者たちがどうなるのかを最後の最後に歌い上げるのである。

すなわち覚者は真我にも自我にもこだわらない。ただ空の波動となるのだと。

それ由、菩薩は仏に入る一歩手前で待って人々に言葉を使うのである。

 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

ぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーていはらそーぎゃーていほじそわか

 

一部加筆いたしました。

感謝 感謝 

 

 

 

 


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15 コメント

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Unknown (桂蓮)
2020-06-12 09:13:17
もし、私が木であると仮定した場合
A木が持つ我をA我
B木が持つ我をB我
A我から見てB我はA我に絶対になれない
B我から見てA我はB我に絶対になれない
A-a我、B-b我の分類法は色の違いであって
根本の異質ではない。

AやBが属している場や発生根源は
AやBにとって意味がない。

真質、本質、概質の分類も
AやBの生き方自体と相関しない。

ただ、AやBは種によって生って
場によっていられて
時間によって消滅していく。

ただ、それだけのことである。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2020-06-12 11:45:55
全て了解です。
まさにここがスタートなのだと思います。

その上で、このABを人間だとしたらどうですか?なぜ人間はAもBも苦悩を持ってしまうのか? このスタート地点からでは私には答えが見えてこないのです。

「AやBが属している場や発生根源は
AやBにとって意味がない。」

なのに人間は「意味」にとらわれる。「意味」で納得できなければ居心地が悪くなる変な生き物だと思います。でもそれが面白いとも言えますね。

この「意味」とどう付き合うかが、知識を持ってしまった人間の宿命なのかもしれません。そんな時般若心経はとても役に立ったと思います。

ただもし「空」あるいは「空間」を具体的に観る思考が出来たら、いくらかでも「意味がない」が納得でいるのではないかと思っているのです。
それもまた「空」ではあるのですが、そこから地球は一つだという意識の根拠が生まれるかも知れないという私の予感です^ね^。

ありがとうございまし^た^。

 
返信する
Unknown (桂蓮)
2020-06-12 13:07:13
まあ、のしてんてんさんの空解釈はイメージがあって、
映像化しやすいので、お偉いさんの
あれでなくこれだ、みたいな言い方よりはマシですよね。

私は自分を木や石に比喩して考えます。
自分の欲望が肥大しようとする時は
そう考えると、如何なる論説よりも
効き目があるのです。

空の思想は人それぞれ
思えるイメージや捉え方が違って
どれも最もで
それなりの説得力がありますよね。

私が本当に空の思想を知りたかった時
一番酷いのが、禅の思想家、宗教家でした。
聞いている時は、なるほどと思えても
聞いてから、後味悪く
現実が余計醜く感じてくるからでした。

仏教の知識をちらほらさせる人達もそうです。
分かってるのね、じゃそれで?
と言い返したくなりますが、
言ったところで何もならないから
何も言わないのです。

今回コメントしたのは、
最近、坐禅経験の中で
これだというのを掴んだからです。
でも掴んでみて
それは言葉で表せるようなことでないと分かりました。

何故なら、受け手は自分の経験でしか解釈できないからです。

のしてんてんさんの言葉で、時間をかけて伝えようとした一生懸命さに
疲れも感じて、同時に感動もしたので
敢えて残しました。

人の握り方や圧力がそれぞれ違うように
それが訪れても、握りかたが違ってきますよね。

何となく、書いてみました。
ただ、私のメガネの度数の問題、それだけのことですけどね。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2020-06-13 10:00:26
同感出来るところがたくさんあります。こんなコメントを頂くとなぜか力がみなぎってきます。
嘘のない桂蓮様の必死さが、多分今私の中にある心の喜びと繋がってると思います。(言っても見えないし分かりませんよね)
でも、桂蓮様のこの言葉は伝わります。

「私は自分を木や石に比喩して考えます。自分の欲望が肥大しようとする時はそう考えると、如何なる論説よりも効き目があるのです。」

そうなんだ!私の言っている「空」は=桂蓮様の「木や石」なんだと。

そして私も、知識家の押し付けは嫌いです。それがお釈迦様であってもです。自分の中で自分なりに体験できなければ知識は何の意味も無いのですから。

むしろ知識は有害です。知らないのに分かったつもりにさせる麻薬のような側面があるからです。
もちろん己の生き方の指標になる素晴らしい側面がありますから、それを「自分を芯」にして吸収することが大事だと思っています。
その意味で、般若心経は私にとってとても重要な知識でした。
絵を描きながらそれを体感していますと、まだまだ真理(あくまで自分にとってのですよ)を掘り起こせると思えます。それだけ深いですね。

「受け手は自分の経験でしか解釈できないからです。」
おそらく桂蓮様のこの表現は、私の想いと100%重なると思います。
決定的な人間の根本の姿ですよね。

私が繰り返し表現している五次元の世界観も伝えるために書いているのではないのです。
その時生まれ、見えている心の風景を描いているだけです。人はそれ以上のことなどできないのですから。
なぜ延々とそんな話をするのかと問われれば、自分の中で真実と思われる力が、自然にあふれてくるだけだというしかありません^が^

桂蓮様の記事などは、そんな思いで書かれていて、私は好きです。
時々、感化されてコメントを残して迷惑をおかけすることもあって、反省しなければならないのですが、
これも含めて、互いに決して知り得ないであろう心の触れ合いだと、どうかご容赦下さい。

「これだという思い。」これこそが私達に必要なことなのでしょうね。

言葉では伝えられませんが、想いを塗り込めた言葉は、きっとどこかで、自分ではない人の心の中に波紋を呼ぶと私は信じております。
それが「空」の、ことばにならない言葉ではないのかと思うのです。

メガネのことわりは、私達の間ではきっと不要です。桂蓮様。

返信する
Unknown (桂蓮)
2020-06-13 14:30:35
言葉の外側を視てくださったのでしたね。
計算機の要らない繋がり、これは欲しくても持てないものですよね。

人は言葉に必要以上に怯えていると思います。
知識の鎧で自らを守り抜けると思っているのですかね。
いつから人は
自分が言ったことを
他人の感情体系に測って
再び言うようになったのですかね。
息苦しいとも思わないかな。

とにかく、言葉は人の感情の後に生まれたものです。
知識はもっと後に生まれたし。

かといって感情がことばより本質的だと言えないですけどね。

眼鏡のことも理解してくだっさったのですね。
それが何よりうれしいのかな。

泉が枯れないためには
汲みすぎないことです。
返信する
おはようございます桂蓮様 (のしてんてん)
2020-06-14 11:43:07
今は眠っておられる頃でしょうか。一つの地球なのに、立っている場所で真逆の生活がある。考えてみれば面白いものです。
地球に限らないで、同じことが人間個人の意識にもあてはまるのだと最近思います。

「人は言葉に必要以上に怯えていると思います。」

桂蓮様のこの言葉に、私は120%同感します。20%積み上げたのは、桂蓮様には知り得ない私の立ち位置がなお、そうだ!と声を上げるからです。

自分が想い描いている世界から100%言葉を差し引いたらどうなります?すべてのことばを消す試みを始めたら、自分で気付かないところに言葉があるのをいくつも発見します。
「嫌」と思う感情。これも言葉がつくっています。「嫌」が無かったら、ただのエネルギーの波動があるだけです。ある種の心の波動を心地悪く感じ、知性が「いや」と言う言葉で色付けているのです。だから言葉が無かったらそれはただの波動であり、喜びも苦悩も区別はつきません。そもそも言葉とは区別なのです。そして区別とは知性の本質。
つまり「喜び」もまた言葉が見せる色付けという訳ですね。

私のこの理解は早かったです。それが五次元の生まれる基礎になったと思い返すことが出来ます。

それからが、自分のこの想いを検証する時期に入りました。この思いは正しいのだと思える事実に出逢いたい。一点の曇りもなく了解できる真理に出逢いたい。自分以外にもそんなふうに想うものはいないのか。

その間、これだ!と思える出逢いはいくつかありました。サルトルやフロイト、老子もそうでした。禅のお坊さんや寺の境内で10年間個展を修行させて頂いた御住職。その度にこれだ!はありましたが、どれも私の不徳のせいで深い関わりにはなりませんでした。

今この時点のことを正直に言えば、般若心経の言葉が、私の五次元意識の隅々まで誤差なく重なっていく。そんな感覚の中にいます。
それはどんな感覚かと言いますと、経文の言葉を全て自分の言葉に置き換えることが出来るという思いなのですね。

分かり合えるというのは、互いに相手の言葉を自分の心に突き刺して、出血を我慢して手をつなぐというのではないですよね。
互いの言葉を自分の言葉で言い換えることに成功するかどうかどうかにかかっている。それが必然、理解が二倍になるということでしょうか。

いずれにしても、両面性そこが言葉の面白いところだと思います。きっとそれが人間の根本ですから、いろいろな不都合も合わせて付き合っていくしかありませんね。

「泉が枯れないためには
汲みすぎないことです。」

飲み過ぎには注意いたしましょう。

返信する
Unknown (桂蓮)
2020-06-15 09:15:43
上記のコメントは150%私に波動として伝わりました。
言おうとしたことが何か、掴みました。

追伸:私の泉は枯れないです。何故なら怠けていて水汲みをしないからです。
ここの泉の水を盗んで飲んでたかも????
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2020-06-15 12:54:59
よかった!

桂蓮様、本当の泉は枯れません。

そっと泉をそのままにしておく泉もそうですが、
汲んでも汲んでも枯れない泉もあります。
水脈と通じる道を解放して閉ざさない泉です。

静であれ、動であれ、有であれ無であれ、枯れない泉を全ての人は持っている。

桂蓮様、この泉の水は盗むまでもなくすべての人々に与えられているのだと、私は思います。

実はこの泉について、昨日から考えておりました。般若心経は一応全体が見えた気がしていましたが、実は泉が残っておりました。

これも桂蓮様の言葉から動いた私の理解です。波動は確かに届いております^よ^

次回、記事にしてみます。

返信する
Unknown (R.K)
2020-06-17 09:42:51
こんにちは。

難しいことをおっしゃっている、と、思いながら拝見・拝読していました。
内容が正しくつかめたとは思いませんが、お書きになっていることは絵と同様、ご自身の心を描いたものだということだけは把握できました。
絵を見て凄いと思ったから、受け手としてはもうそれでいいのでしょうね。
返信する
R.K様 (のしてんてん)
2020-06-17 12:47:43
よかったです。
私の記事にお付き合い頂きましてありがとうございました。R.K様の貴重な時間を割いていただいて、いくらかでも有用なことがありましたらうれしいのですが、ただ画面の前で願うばかりです。

ただ、
「絵を見て凄いと思ったから、受け手としてはもうそれでいいのでしょうね。」
というご質問にはどう答えていいのか私には分かりません。
もしお腹立ちのことがおありでしたら、どうかお許し下さい。




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