しあわせ
それは自我の味わう喜びのこと
そう考えて
探求してきました
そんな深いしあわせが
どこかにあるにちがいない
一本の鉛筆を唯一の道具として
五次元の実践を
心に問いながら旅を続けて来たのです
あるとき
まったく異質の
幸せが
胸を震わせるように広がってきました
喜びが
私を通り抜けていくのです
私という壁を通り抜けて
宇宙に拡がっていく喜び
こんなことがあるのでしょうか
一体何が起こったのでしょう
絵を描いている時だったり
散歩の途中だったり
エネルギーの風が
心を撫ぜるように流れて
天に向かって
通り抜けていく
そんな体感なのです
それは食事の時にもありました
醤油とアボカドの感触が
口の中で合わさって
立ち上ってくる
味覚のエネルギーが全身に満ちて
やがてそれは頭から抜けて
天に拡がっていく
喜びが身体の外に拡がっていく
湯船の中にもそれはありました
もしかしたら
これは
五次元のしあわせと言えるものなのかも知れない
そう思いました
宇宙と一体になるしあわせ
喜びが体を抜けて逃げて行っているのではない
もしかしたらこれは
私を越えて喜びが宇宙に拡がっている
その一端を体験しているのではないだろうか
その瞬間私は自分の喜びから
宇宙の喜びに
チャンネルが切り替わっているのかも知れない
つまりこれが五次元のしあわせ?
なのではないのだろうかと
喜びのエネルギーを感じながら
目を瞑り呼吸だけに意識を向けてみた
呼気と吸気に合わせてエネルギーが
波のように見えます
そのうちに
「繰り返す呼吸」から
「繰り返される呼吸」に
意識が変わって行きました
心が能動態から中動態に変わったのです
喜びのエネルギーが私を越えていくその瞬間
自我が変わって行くのを感じたました
それが分かると
新しい自我が
はっきり認識出来るようになっていました
なんとなく分かった気がしました
四次元の自我と
五次元の自我とは
根本的に違うのだということに
そのことに初めて気付いたように思いました
この身を限りの自我(四次元)に対して
五次元の自我は一なる宇宙そのものだったのです
この身を限りの自我
それは四次元の思い込みだった
その思い込みを捨てれば
人は自在に自我をひろげることが出来るのかも知れない
実際それは、科学的に論証できます
空気がなければ生きていけないという事実や
地球に依存しているこの身体を思い浮かべるだけで理解できるのです
自分のこの身と宇宙は不可分の一体だということを
喜びが私の外に出て行くという
あの体験は
四次元の自我から
五次元の自我に切り替わっていく体感だったのかも知れない
吸気で広大な宇宙を呼び込み
呼気で体内の素粒子宇宙にエネルギーを送り込む
喜びのエネルギーが
私をセンターにしてつながっている空間
その全体が私だという
つまりこれが五次元の自我だと思えるのです
深いしあわせはそこにあるのではないのかと
思える体験でした
お妻は、この禁断の味に魅了されました。
これは数年前の出来事です。
オイらは、カツオのたたきにたっぷりの刻みネギをかけて頂くのが好き ♪
この食べ方、数か月前に初めて知りました。
寒い夜空のもと、暖かいストーブの横で頂く好みの一品、焼酎のほうじ茶割り。
このひと時が、疲れた体を心地よさに導いてくれるのであります ♪
グワッ 突然のいびきにうたた寝をしていた自分に気づきます。
かーさん:「 おとーさん、歯磨いて寝なさい? 」
最近めっきり酒量の減ったおとーさんの一日もそろそろ終わりに近づいてきていま^す^
奥様の気持ち、分かるような気がします。
古くから地域になじんでいる豆腐が果物になったような、、
口にするまで全く想像出来ないそのエキゾチックな意外性というのでしょうか。
とにかくおいしいのですから、味の余韻が頭を通り越して、ホント宇宙に拡がるという感じも奥様はご存じなのかもしれませんね。
おとーさん、お酒は丸ごと宇宙に連れて行くのだから、ほどほどにしてアボカド醤油楽しみましょうね。(かーさん)