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(13)
原子の王様に再び近づいたスケール号は黄金色に輝いていました。
宇宙空間に浮かぶ黄金の猫。けれどもここは太陽や地球の浮かんでいる宇宙ではありません。のぞみ赤ちゃんの身体の中に拡がる原子の宇宙空間なのです。
のぞみ赤ちゃんは超低体重のまま生まれました。その後も理由が分からないまま体重が増えません。それなのに考えられる病気や原因は何一つ見つからないのです。
ついに何の手立ても講じられない産院が最後の望みをスケール号に託したのでした。博士はのぞみ赤ちゃんの問題が体内宇宙にあると考えていました。
病気でないなら原因はおそらく原子レベルのスケールで起こっている何かだという確信があったのです。
「その原因は何なのか。」
なんとなく、分かったようで分からないもどかしい感覚を完全にはぬぐえない博士でしたが、ただ一つ確信できるものがありました。それは北斗です。
北斗がジイジのところに来てくれたのは彼がこの世に生まれて間もない頃でした。その時北斗はまるで赤ちゃんリスが巣穴からこわごわ外を覗いているような目を
していました。けれども、そっと触れた柔らかな北斗の額からあふれんばかりの宇宙語が飛び出してきたのです。その感動をジイジはどう表していいのか分かりません。
しいて言えば命の本質そのものに触れた感じですが、それを伝える言葉が無いのです。ジイジは黙ってその思いを自分の胸の内に納めているしかありませんでした。
北斗の身体からほとばしり出てくる宇宙語。その北斗が、「宇宙語がない。」と、伝えてくれたのです。のぞみ赤ちゃんには宇宙語がないというのです。
それがどんなことなのかは分かりませんが、原因は明らかにのぞみ赤ちゃんの身体宇宙に異変が起こっているということなのです。
宇宙語が破れるような異変、それは何なのでしょうか。
黄金の猫、スケール号が浮かんでいるこの宇宙、それはのぞみ赤ちゃんそのものでもあるのです。この宇宙になぜ宇宙語がないというのでしょう。
逆に考えてみれば、宇宙語があるから赤ちゃんはお母さんのおなかの中ですくすくと育っていくのです。それはこの原子宇宙に正しい秩序が保たれているから
に違いありません。その秩序に沿って原子たちが正しく整列し、積み上がって行く。まるで運動会の組体操のように。
一人ひとりが自分の役割を果たすことで何段もの塔が出来上がる。ジイジは北斗のお母さんの子供の頃をふと思い出しました。体が小さかったので、
娘は組体操の塔のてっぺんに選ばれました。ハラハラして見ているジイジもその頃はまだパパと呼ばれていました。
そうです。塔をつくるという思いが一つになってはじめて、互いの役割が果たされる。人を信頼することで自分のやるべきことを知る。
このつながる力こそ宇宙語なんだとジイジは気付いたのでした。
もちろん宇宙語は組体操の比ではありません。
人はおよそ60兆個の細胞からできていて、一個の細胞は1000兆個もの原子でできている。つまり(60000兆✕1兆)個の原子系宇宙が互いの役割を果たすことで
人は出来上がっているのです。それを連携させるためにあるのが宇宙語なのです。のぞみ赤ちゃんはまだ小さいですから、大人のわずか60分の1だとしても、
のぞみ赤ちゃんの体内宇宙にはそれでも(1000兆✕1兆)個の原子が共につながっているのです。のぞみ赤ちゃんがこれから大人になるためには、計算してみると、
「60000-1000=54000」つまりのぞみ赤ちゃんはこれから(54000兆✕1兆)個の原子達と対話し、手を取り合って一つになりながら成長しなければならな
いのです。そのためにこれだけの数の原子達に正確に意味を伝え、同じ目標に向かって協力してもらわなければならないという訳です。
そこに宇宙語がなかったら、事態は火を見るより明らかではありませんか。そればかりではありません。宇宙語がないということは、全宇宙の原子達はてんでバラバラに
動くしかなくなります。つまりこの宇宙に命というものは無くなるのです。ですからどうあっても宇宙語を守らなければなりません。
それがのぞみ赤ちゃんを救う道でもあるのです。そう考えれば、原子の王様の尊さは限りなく大きいと言わなければなりません。今なぜ宇宙語が失われているのでしょうか。
「その答は、のぞみ赤ちゃんのこの宇宙空間に隠されている。」
ジイジの考えている道筋が、いつの間にか博士的になっているのに、ジイジ本人は気付いていません。
のぞみ赤ちゃんの宇宙空間に浮かぶ無数の天体。それは太陽系の星々ではなく、原子系を作っている星達の浮かんでいる世界なのです。
星には様々な個性があって、それに応じた呼び名はたくさんありますが、その星々のことを一言で素粒子星と呼びます。
たとえば桜やチュリップなどを一言で「花」と呼ぶのと同じことです。
この素粒子星の浮かぶ宇宙空間を支配する王こそ、原子の王様なのです。素粒子星を束ねる王様なら宇宙語が聞えないというこの事態に、
きっと何かを知っているに違いありません。それが博士のただ一つの希望だったのです。
今起こっているのぞみ赤ちゃんの、身体を組み上げているこの素粒子星宇宙にどんな異変があるのでしょうか。素粒子星の間を飛んでいるスケール号には異変どころか
ありふれた宇宙空間にしか見えないのです。のぞみ赤ちゃんから宇宙語を奪っているものの原因を、原子の王様から詳しく聞いてみたい。そう博士は願っているのでした。
それにしても不思議なのは、この空間です。スケール号が銀色から金色に変っても空間は変わりません。原子の王様が輝いているこの空間も、太陽や地球が浮かんでいる空間も
何一つ変わることはないのです。しかも太陽が浮かぶ大きな空間から素粒子星の浮かぶ小さな空間まで、互いの間を隔てるどんな仕切りもありません。
スケール号が自在に動けるのは実はこのためなのです。つまりたった一つの空間の中に、太陽と素粒子星が共存して浮かんでいて、
しかも変化しているのはいつも星の方なのです。黄金に輝くスケール号の足先を窓越しに見ながら博士の思いが少しずつ現実に帰ってきました。
「王様の星が見えたダすよ」
ぐうすかのいつになく引き締まった声でした。隊員たちは本当のところ、王様の星に近づきたくないのです。一本の槍でかろうじて助かりましたが、もし太陽の紋章が
役に立たなかったら、今度は王様の槍が雨のように飛んでくるかもしれません。そうなったらどれだけ万能絆創膏を貼っても助からないでしょう。ぴょんたは心の中で
そうならないよう祈っていました。もこりんはスケール号の背中に貼られた絆創膏がスケール号に吸収されて消えかかっているのを見ながらなんとか勇気を奮い立たせようとしています。
「王様、もう一度会いに来ましたよ。」
博士は黄金に輝く星を見ながら言いました。
「ハブハブ、キャッキャ」
艦長は目覚めたばかりの元気な声です。ぴょんたの治療がよかったのか、絆創膏を貼られた艦長はそれからぐっすり眠りこんでいたのです。
両手両足を忙しく振り回している艦長の姿は、仰向けに寝転がって走っていくスケール号のようです。隊員たちは微笑みながら艦長を眺め、
そしていつの間にか伝わってくる元気に気付くのでした。
「博士、王様の様子が変わったように思いませんか。」
ぴょんたが博士の方を見てささやくように言いました。
「そう言えば王様の光が柔らかい感じダすなぁ」
「光の槍が見えないでヤすよ。」
もこりんの言葉通り、王様の星が発していた黄金の光芒が、輪郭のぼやけた光の帯のようになって星を包んでいくのが分かりました。
「キャッキャ キャッキャ ㇵヴハヴ」
艦長は嬉しそうです。ちっちゃなおにぎりのような手を盛んに振り上げています。
「艦長と王様が話をしているよ。」
博士が隊員たちに伝えました。
「本当でヤスか。」
「私達を招待してくれるそうだ。」
「バヴバヴぅ キャッキャ」
「王様に分かってもらえたのですね!」
「艦長はすごいダすなぁ。」
スケール号の中はまるで黄金のような期待で膨らみました。
そればかりではありません。傷の癒えたスケール号の全身から黄金の輝きがこうこうと発せられているのです。その光はまるで全天を染めつくすように拡がり、
スケール号を核にした新しい太陽が生まれたように見えるのです。その光は明らかに原子の王様の光と呼び合うようにたなびきはじめました。
王様の星からは光の帯がらせん状に伸び拡がってくるのです。スケール号の窓から見るとそれは王様の星まで届いて行く光のトンネルのようでした。
やがて二つの光は融合して輝き、原子世界は黄金色の中にすべてが溶け込んでしまうように見えるのです。
光の中で隊員たちはただ恍惚に包まれ、時を忘れて立ち尽くしていました。何という幸福感なのでしょう。
そして本当にスケール号は黄金の光の中に溶けて消えたのです。
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(ちょっと一休み)
制作中の龍の作品はようやく9枚をとりあえず描きました。
下描きの完成で、ここから納得できる画面に仕上げて行きます。
ちょうど半分の行程です
アトリエで全体像を見るには唯一床に敷き詰めるしかありません。
脚立に登って天井にへばりついて撮影。これが限界です
この画像をPCで正方形に変形して前作と並べてみました
(参考)制作イメージ図
迫力ということばが弱くなる感じです。
迫ってくるが圧倒はしないみたいな感じですかね。
絵から攻撃は元々念に無いというか、黙々と龍の使命を果たす(果たしている)感じも受けました。
絵の前ではほぼ欲は消せるようになりました。空を主体にして自分の中に起こってくる思いを、無欲で眺める。
その眺めている者になり切ると、絵は自然に生まれてきます。
空体に軸足を移して生きることが可能だと実証出来るかもしれません。
絵と文と思索が一つにつながってきた実感があるのです^よ^