私は出口を見据えたまま、ほとんど息もしないで自転車を走らせ一瞬で靴の前を通り抜けた。
無視しようとすればするほど意識が鮮明になり、いまやその靴が動き出すのではないかというバカバカしい思いに取り付かれて心の芯から怯えているというのが正直なところだった。
しかしそれを自分で認めることが出来ず、他の人に靴のことを尋ねることもしなかった。もし誰もそんなものは見えていないと分かったら、私は完全に悪霊の前に置き去りにされることになる、それが恐ろしかったのだ。
私は無神論者で、現実しか信じない人間だが、その心の底の方にはたった一足の靴に怯える自分がいることをもはや無視することが出来ない。
否、無神論者の方こそこの怯える自分が作り出した鎧のようなものだったのではなかったのか。そう思い至ると、芋蔓のように更なる思いがうまれて来た。
私の固執する愛の形もまたそうなのではないのかと・・・
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