今回は、空間にある光について考えてみたいと思います。
現在進行形の私の絵です。キャンバスにシャーペンで描きますが、線一本で無から石ころが生まれてきます。すると空間が動きます。その表情の変化が楽しいのです。
照明を消すと真っ暗になります。私には何も見えません。絵はなくなったのでしょうか。
そんなことはありませんね。私にはわかっています。照明を付ければまた絵を描き始めることが出来ることを。
しかしあなたが、私のアトリエに来て、いきなりこの闇の空間に立たされたら、どうですか?いつまでたってもあなたにこの絵は存在しないのです。
全て闇に中にあるものは同じことが言えます。空間もまた例外ではないのですね。
照明が消えても部屋の秩序に何の影響も与えない。つまり空間が光を失ったわけではないのです。
光はこのようになっていると言われています。
図の上にある波線に注目してください。この波はエネルギーの強弱に対応して長くなったり短くなったりしていますが、けっしてなくなることはないのです。そしてこの波は途中で途切れることもありません。破たんなく変化するだけなのです。どんな力が加わっても水面の波の形が変わるだけで、水面がなくならないように、空間も存在し続けます。無限に力があれば、無限に波を生み出すのです。
そして私のアトリエの空間はこんなふうに変化しただけでた。照明はこの中の可視光線にあたるわけでから、照明を消して変わったのは単に光の波長が長くなっただけなのです。
何度も登場する5次元のシンボルですが、この点のかたまりを浮かべている背景(点以外のすべて)に注目してください。これが空間だと言いましたし、赤い領域はヒトの内部を表しているとも説明しましたね。そして空間はエネルギーだとも言いました。その現れとして赤い領域の空間を「意識」が、白い空間を「光」が照らして私たちの認識を支えているとも言いましたね。
そのイメージを持ちながら、この図と、上の光の図を重ねあわせてごらんなさい。光はまさにこの5次元空間に満ちていることが分かるでしょう。光の波は途切れることなく変化して、5次元空間の極大から極小の間をエネルギー波で満たしているのです。
私たちは単に可視光線の範囲にある光だけを頼りに世界を見ているだけなのです。そして可視光のあたらない闇は、けっして認識できない世界となるのです。
それは認識できないのであって、無ではない。だからつまり、無を観る。空間に瞑想するというのは、存在を正しく観るということであって、けっして虚無を見なさいと言っているのではないのです。
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