田村慶子 「よりしろ」
案内状に、
ささげるうつわ ー やどすかたち
という言葉が添えられている。
評論家のハル先生に紹介すると、こんな感想が返ってきました。
>不思議な作品ですね。
>陶器というよりは魂とか目に見えないものが形となったような。
>実物を見るともっとはっきりすると思います。
なるほどと思いました。
私には思いつかなかった、「魂」という言葉がとても新鮮です。
魂を形にする
それは私の創作人生の中で、一度も意識しなかったことだけに、「よりしろ」は私に大きなインパクトを与えたのでしょう。
ハル先生のおかげで、何か心持ちがすっきりした気がいたしました。
ところで、田村様が「よりしろ」に巡り合った経緯を、又聞きとして紹介しましたが、ご本人様からその経緯をメールでいただきました。
こういう話でした。
「かたしろ」に巡り合ったきっかけは陶芸のお師匠さんが亡くなったとき、荼毘に付す前に奥様が手に土を握らせたら、それが陶となって現れたという話からだったそうです。
又聞きで紹介した内容は、実はこういうことだったそうです。
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以下に、画廊の方からお聞きになったことについて少し詳しく説明させて頂きます。
先生(陶芸教室の主宰者でしたが、陶芸家ではなく詩人であり女学校の国語教師でもありました)が亡くなられたのは1992年で、この時に、先生の掌の中の粘土が焼かれて返ってきたのを見るという経験をしました。
この6年後に、地方都市のジュウリ-展の主催者から「陶器でジュウリ-を作ってみませんか、象の首飾りでもいいですから」と誘われ、1999年「追悼のジュウリ-」と題して5点出品しました。
陶器の装身具は重いのですが、亡くなった方のためのものなら、少し重くても大丈夫かと思い、なかば副葬品のつもりで作ったものです。
この制作過程で、先生の送葬の折の掌の粘土を思い出し、亡骸は灰になっても陶器はそのまま帰ってくることに思い至りました。
ただ、こううものを「作品」として発表することに強いためらいがあり、10年間封印していました。
2009年にやっと制作と発表を再開し、この時初めて「よりしろ」という言葉を選んだ次第です。
「よりしろ」という言葉は、若い頃民俗学系の本を読んだ時のおぼろな記憶にあったものかと思います。
このように、とても永い時間を経てあのような作品を作るに至った次第です。
ご参考として頂ければ幸いです。
田村慶子 (メール抜粋)
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私には、この10年のためらいが真に迫って理解できるように思います。
火の中から還る器の、その最初の体験。
それは自分の意志だけでは、そのまま表には出ることがなかったでしょう。
「追悼のジュウリ-」という力がその扉を開けたのですね。
それは人として、創作者として、
なにものかに導かれている思いが如実にあるという
一つのエピソードではないでしょうか。
封印という意志
そしてそれを開示する意志
やがてそれが統合されて作品に結び付く。
この形は
私の提唱する、思考と感性の統合そのものではないのかと思えるのです。
田村様の作品を何度も取り上げていますのは、実は理由があります。
それは
「かたしろ」をきっかけに、私の心にある変革があったからです。
それについては、
「私に必要だから」と言って、わざわざお電話で、同展を紹介して頂いたガットネロ・松浦さんの優れた洞察のおかげだということを申し上げておかなければなりません。
私は皆様から生かされている。
そう思い至ることばかりです。
ほんとうに不思議ですね。
わたくしも固体というより霊妙気体
奇跡的にかたちを形成している神霊体
絶え間なく宇宙神霊と交流、
連動している霊妙体のように感じられます。
ガットネロ・松浦様のご紹介、有り難いですね☆
田村慶子様との素晴らしい出会い、
ご祝福申し上げます☆♪
おかげさまでわたくしも
神秘深遠なる体験をさせていただきまして、
感謝感激です!
これからもよろしくお願いいたします。
感謝一念
まかこ 拝
私ごときにはまだまだ体感出来ない境地のお話ですけど、何故でしょう、聞いていて(読んでいて)気持ちのいいお話……気付くと背筋が自然に伸びているお話……、だと感じます。
意外だったのはマスターが、魂、を意識せず創作していた…という下りです。
意識していなかったのかもしれませんが、マスターの絵と、魂を思う気持ち・見つめる気持ちは近い…ように、このヘボ弟子は感じますけど。
…嫉妬のような、いわゆる負の感情との向き合い方について何か書こうと勝手に1日考えていたり(結論は、不の感情と共に生きる。自分が死と共に生きると決めたように。)してたのですが笑
※オチとしては、出勤時にあった子供の行動でそんなことも吹き飛びました。「電池を片手にこっちにポーズを決められた」…そんな光景にただ微笑みがこぼれた。私的に良いものでした。
「形のないもの(魂など)を形にする」
そしてそのきっかけがある方がなくなった時の出来事である…封印とうのは本当に正しいですし、それを解くきっかけ「ジュウリー展」まで待ったのはいい判断だなぁと。正真正銘「刻が来た」と。出会いが動かす止まった時。
「よりしろ」…一般常識の中にはどの作品が何であるのか表現するのは困難ですが…感性のままにわかるものがある。実物はもっと”感じる”ものがある。…見に行く余裕が今はないのが残念ですが汗
今は迷いの中に…なのでこういった記事はいい心の肥料になります…感謝です!
※初めての夜勤で現在体が言う事を聞かないので、栄養に本当になってます汗
よりしろという言葉は、憑代、依代 などと書くそうですが、民の心を受け継ぐものと考えてもいいのかもしれませんね。
それは、形にはない、心霊体なのかもしれませんが、それを直接形にするという発想は、正直驚きです。
陶器の焼き肌から、何か漂ってくるそんな感じもありました。
まだまだ精進です^ね^
心を追及してそのあげくに、魂に到達するというのが私の理想かな・・・
負のエネルギーをうまく利用するのは、大事なことで、折師さんもご存じのように、その力は大きいですね。
いかにその力を利用するか。
悩みながらそれを得とくしていきましょう^ね^