14日夜、熊本県で大きな地震発生のニュース、それから翌日未明のさらに大きな地震。その後も進度6の揺れが頻発。
どんなに恐ろしいことか、被災地のことを思うと胸が痛みます。
ゆっくり眠ることさえできない日が続くのは限界があります。支援の手は広がっているのでしょうか。
どうか早く、この地震が治まりますように願うばかりです。 . . . 本文を読む
(天にそびえる)
受容という考え方は難しいかもしれません。その度合いは、説明する難しさからも推し量ることが出来ます。
ことを難しくしてる大きな原因はわかっています。それは「ことば」なのですね。
私は何でもない日々の気付きのことを言っているのですが、「ことば」にすると、なにか特別なものが隠されているように思えるのですね。その結果、一番大事な、何でもない、さりげない自分の経験のこ . . . 本文を読む
(名刺大のキャンバスに描いた作品と自作の額 マグネットで自由に装着できる)
今日はのホームページ「のしてんてん」からの紹介です。当HPは2002年に立ち上げてから、思いつくままにページを増設してまいりました。
いつの間にか迷路のようになってしまい、分け入って入って行く気にもならないことになっていると自分ながら思うようになりました。
整理すればいいのですが、どこから手を付ければいいもの . . . 本文を読む
(のしてんてんの絵の中にやって来きてくれたてんとう虫)
暖かい日射し、
草引きをする庭の、石ころの上に赤。
てんとうむしが歩いている。
出会いはいつも突然なのに、その姿を見た途端、まわりの時間が止まったように、私はいつも、そのつやつやした赤と黒の姿に見入ってしまう。
急がずあわてず。
愛らしい姿は、誰のためにあるのだろう。
手のひらで転がるほどの石コロをよじ登り、頂上 . . . 本文を読む
(焼き板・・・浜風対策か、牛窓の民家でよく目にした黒壁)
富士を美しいと思う。その体験は、無条件に起こるものだと前回書きましたね。
先日、知人から、えも言えぬ美しい夕陽を見たとFAXを頂きました。人生のおわりに見る夕陽(夕暮れ)はこんな風かと思ったそうです。 夕陽(せきよう) 限りなく好(よ)し という李商隠の詩も添えられていました。
おそらく美に対する感 . . . 本文を読む
(源平合戦のつわものか、撮った写真が心霊写真になっていた・・・)
牛窓港の旧道沿いで見かけた古風なウインドウをパチリとやったが、あとから見てびっくり。
今気が付いたのだが、兜をかぶったつわものの首の上に、亡霊の姿が見える。迷い出た首をつかもうとするかのように、手を伸ばしてくる。ゾンビの姿だ。
このあたりも合戦の爪痕があるのかもしれない。
それにしても、音楽。 . . . 本文を読む
(牛窓にドキッとする風景が・・・突然水没しているところが目に入って、車を止めてもらってパチリ。何だろうこれ、理由はわからない。)
晴れ渡った日に、突然富士に出合ったら、たいていの人はその美しさに感激の声を上げて、みとれてしまうと思います。しかし、上の写真を見たらどうですか。まずドキッとしますね。心奪われる富士の美とは正反対に、何が起こったのだという意識が働きます。この違いに注目し . . . 本文を読む
(上本町ギャラリーでのグループ展案内状です)
前回の「道」展に引き続き行われる、寄合のグループ展に参加します。
今回は「わたしが描くテーマ展」ということで、作家まかせの絵が集まるようです。どんな作品が集まるのか想像がつきません。
で、私も、どんな作品を出すのかは秘密。
日頃付き合いの少ない作家の共通?の性に、ちょっと風を通そうとするギャラリーの計らいと受け止めました。
開 . . . 本文を読む
(無縁仏?? 寄り添う姿が、なんとなくユーモラスに見えたり、情愛を感じたり)
「神」とは何かと言い出したら、無学の私には手も足も出ません。
世界にはどんな神がどれだけいるのか、想像もつきませんし、知りたいとも思えません。
しかし、はっきり言えることは、これらの神々はみな、私たち人間がつくり出したということです。
どんなに万能で。人知を超えた神といえども、人間 . . . 本文を読む
(牛窓の朝日・・・サニーロード)
ものごとは続くもので、3月のクローバーのあと、牛窓に集まった別荘の亭主から、心くすぐられる依頼を受けました。(仲間たち)
その別荘から、大きく小豆島が見えるのですが、その海に、赤く染まった月が出て、海の上に光の道が出来て、別荘まで伸びてきたように見えたそうです。その光景がとても印象的だったようで、普段、情熱を押し包むようなタイプの亭主が、熱意を . . . 本文を読む