のしてんてんハッピーアート

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2016-04-07 | 5次元宇宙に生きる(神)

(無縁仏?? 寄り添う姿が、なんとなくユーモラスに見えたり、情愛を感じたり)

 

 

「神」とは何かと言い出したら、無学の私には手も足も出ません。

世界にはどんな神がどれだけいるのか、想像もつきませんし、知りたいとも思えません。

しかし、はっきり言えることは、これらの神々はみな、私たち人間がつくり出したということです。

どんなに万能で。人知を超えた神といえども、人間の想像力なくしては、知ることさえ不可能なのです。

 

しかし、神は人間がつくったというと、「ちょっと待ってくれ」となりますよね。人間が神より上ということはないだろう。むしろ神が人間をつくったんだと。言いたくなりますね。

この混乱の原因ははっきりしています。それはそもそも「つくった」という言葉の使われたベースが違うからです。

私の考えでは、世界は、私空間と公空間という二つの世界を思い描くことが出来るのです。

すでに何度も述べていますが、簡単に言いますと、つぎのとおりです。

私空間: 私たちが普通い感じているこの世界のことです。人間の認識する世界。真実を認識というスクリーンに映し出して見る世界といえばいいでしょうか。

公空間: 真実の世界。唯一無二の世界。

ということで、先の話に戻れば、「人が神をつくった」という話は、私空間の中でのことであり、「神が人をつくった」というのは、公空間から見た場合のことで、どちらも間違いではないのです。

違った世界の話を同じテーブルに乗せるのが、そもそもの間違いだったのです。

 

さて、私の興味は、私空間の世界です。

人間の認識で創り上げられた私空間世界のなかで 、神という存在をどう読み解くことが出来るのでしょうか。

端的に言って、神とは公空間そのものだと思っています。神とはこの世の最高の価値であり、ただ一つの存在だと思うのです。ただ一つの存在だからこそ最高の価値とも言えるし、この世にあるものはすべて神の一部であると考えることも出来ますね。

私たちは何も考えず、ただ公空間に身を寄せていればいい。単純なことなのです。

しかし問題は起こってしまいました。私空間つくる人間が誕生したのです。私たち人間は自力で世界を理解しなければならなくなった。それが私空間の核となるからです。

すこしより道をして、この私空間がどのように公空間とつながっているのか見ておきましょう。

 

 庭に咲く手のひらサイズの花です。なんという名の花なのか、私は知りません。しかし毎年、かわいらしいこの姿を見せてくれます。

ところでこの花は、いったいどこからどこまでがこの花と言えるのでしょうか。薄いブルーの花びらがあって、スミレのような茎に放射線に伸びる細い葉っぱ。

私がこの花を認識するのはせいぜいここまでです。この花の写真を見せて、名前を尋ねます。尋ねられた者も、図鑑を片手に調べるかもしれませんね。これが私たちの取り扱う「花」ですね。私たちは私空間で、この花をこのように理解するのです。

間違っても、この花は「私の一部」だとは思わないでしょう。

しかし、真実はどうでしょう、この花はどこからどこまでなのか、正しくいうことが出来るでしょうか。

まず地面の下には根がありますよね。根は土の中に張り巡らされて、水分や養分を戴きます。根は土なしには存在しえないものです。(水耕栽培なんて茶々言いそう)

さてその土はどこで境界線を引きます?いきなりこの土は地球そのものですね。この花を生かす環境があって花は存在します。空気や雨風、そして何よりこの花を生かすエネルギーは太陽からやってくるのです。そしてこの花が、このように可憐な姿を見せることが出来るのは、空間があるからですね。その空間は、太陽との間を取り持ってくれますし。この花そのものの成長を促す組織内の空間に繋がっているのです。

この花は、この世に、けっして私たちが認識するような形で、世界から切り離されて存在しているのではないのです。

この花をはぐくんでいる空間には、地球があり、太陽があり、同時に私たちをも存在させてくれているわけです。

この花と、「私」は同じ体の(あるいは命の)一部なのです。

私たちが認識する「この花」は、私空間に単体として現れますが、それはほんの一部を切り取ってみているだけであって、真実はこのように「私」をも取り込む一つの宇宙、ひとつの命なのですね。

私空間と公空間の関係はまさに人間存在を象徴しているわけです。

「この花」と云うとまるで団子のように公空間が引っ付いてくる。「私」と言っても同じ公空間の団子を背負っている。公空間の中では、私たちはまるで同じ一つのリンゴの実なのです。

私空間をつくらない限り、私たちは世界を認識できないということです。

「神」もまた、同じです。今回はそこまで話が進みませんでしたが、タイムオーバーです。

 

 

 

(初めて読まれる方へ: この物語は、愚書のしてんてん系宇宙論を 解説したものです。この解説は2016年1月6日付け記事から始めていますので、カテゴリー(五次元宇宙に生きる(空間))の同日付け記事から読んでいただくことをお勧めします。なお、本は有償でもお譲りしますが、「のしてんてん系宇宙論」 のページにあります本の画像をクリックしていただくと、自力でプリントできますので、無料でご利用いただけます。)

 

 

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