徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

親父の生きた時代

2009-05-19 17:36:40 | その他
 今日は親父の祥月命日(しょうつきめいにち)。もう9年が過ぎた。午前中に母と家内と一緒に墓参りを済ませ、午後からは、亡くなってからは一度も見たことがなかった親父のアルバムを引っ張り出してみた。なにしろ生まれたのが明治44年(1911)なので、古写真のデータベースで見たような写真ばかりだ。親父はずっと教員をやっていたが、下の写真は島崎尋常高等小学校の訓導をやっていた昭和13年頃と思われる。野外教練でもやったのだろうか、橋の欄干に座って得意げなのが親父だが、まだ20代の後半なので生徒たちにちょっと危ないことでもやって見せていたのだろう。場所はさだかではないが、下を流れているのが井芹川と思われるので、今の横手町から城西小学校に向かう道にかかった橋の上だと思われる。日中戦争が既に始まっている頃なので、軍靴の音高い社会情勢の中で親父や生徒たちは何を考えながら、この写真に写ったのだろう。