先週のNHK「チコちゃんに叱られる!」では「急がば回れの回れってなに?」という疑問を取り上げていた。
「急がば回れ」という諺は、「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という古歌に始まるとされている。この古歌の作者は諸説あるらしい。現在の草津市にあった矢橋の浦は今では「矢橋帰帆島」という人工島ができて景観が変わってしまっているが、かつてはここの港から琵琶湖対岸の石場へ渡し船が通っており、京を目指す旅人にとって最も近道だった。しかし、琵琶湖は春先の比良おろしなど風の影響を受けやすいという危険性があった。実際、昭和16年に琵琶湖でボート練習中の四高生が突風のため転覆し水死するという事故が発生し、それを悼んで「琵琶湖哀歌」という歌も作られた。そんな危険を冒して琵琶湖を船で渡るより、現在の大津市にある瀬田唐橋を利用する方が安全で確実に京に到着するということを例えた諺が「急がば回れ」だという。
しかし、ふだんは穏やかな湖面の琵琶湖を船で渡りたいと思う旅人が多かったのか、「瀬田へ廻れば三里の廻り ござれ矢橋の舟に乗り」という俗謡もあるそうだ。
琵琶湖周辺の美しい景観をいつの頃からか「近江八景」と呼び、その中には「瀬田夕照(せたのせきしょう):瀬田の唐橋(大津市)」や「矢橋帰帆(やばせのきはん):矢橋(草津市)」も含まれている。江戸時代の浮世絵師・歌川廣重は「近江八景」を描いた作品を残している。
歌川廣重 画「近江八景之内 矢橋帰帆」
歌川廣重 画「近江八景之内 瀬田夕照」
歌舞伎舞踊の代表的な演目である「藤娘」には「近江八景」が掛詞として歌い込まれており、藤の花の精である藤娘が恋しい殿御と逢えないもどかしさを歌う一節の中に「瀬田夕照」と「矢橋帰帆」も含まれている。
下の映像は現在放送されている朝ドラ「ブギウギ」で話題の芸者タイ子役を演じる藤間紫が舞う「藤娘」
「急がば回れ」という諺は、「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という古歌に始まるとされている。この古歌の作者は諸説あるらしい。現在の草津市にあった矢橋の浦は今では「矢橋帰帆島」という人工島ができて景観が変わってしまっているが、かつてはここの港から琵琶湖対岸の石場へ渡し船が通っており、京を目指す旅人にとって最も近道だった。しかし、琵琶湖は春先の比良おろしなど風の影響を受けやすいという危険性があった。実際、昭和16年に琵琶湖でボート練習中の四高生が突風のため転覆し水死するという事故が発生し、それを悼んで「琵琶湖哀歌」という歌も作られた。そんな危険を冒して琵琶湖を船で渡るより、現在の大津市にある瀬田唐橋を利用する方が安全で確実に京に到着するということを例えた諺が「急がば回れ」だという。
しかし、ふだんは穏やかな湖面の琵琶湖を船で渡りたいと思う旅人が多かったのか、「瀬田へ廻れば三里の廻り ござれ矢橋の舟に乗り」という俗謡もあるそうだ。
琵琶湖周辺の美しい景観をいつの頃からか「近江八景」と呼び、その中には「瀬田夕照(せたのせきしょう):瀬田の唐橋(大津市)」や「矢橋帰帆(やばせのきはん):矢橋(草津市)」も含まれている。江戸時代の浮世絵師・歌川廣重は「近江八景」を描いた作品を残している。
歌川廣重 画「近江八景之内 矢橋帰帆」
歌川廣重 画「近江八景之内 瀬田夕照」
歌舞伎舞踊の代表的な演目である「藤娘」には「近江八景」が掛詞として歌い込まれており、藤の花の精である藤娘が恋しい殿御と逢えないもどかしさを歌う一節の中に「瀬田夕照」と「矢橋帰帆」も含まれている。
男心の憎いのは ほかの女子に神かけて あはづ(粟津)と三井のかね(鐘)ごとも
堅い誓ひの石山に 身は空蝉の から崎(唐崎)や まつ夜をよそに 比良の雪
とけて逢瀬の あだ妬ましい ようもの瀬田にわしゃ乗せられて
文も堅田のかた便り 心矢橋の かこちごと
堅い誓ひの石山に 身は空蝉の から崎(唐崎)や まつ夜をよそに 比良の雪
とけて逢瀬の あだ妬ましい ようもの瀬田にわしゃ乗せられて
文も堅田のかた便り 心矢橋の かこちごと
下の映像は現在放送されている朝ドラ「ブギウギ」で話題の芸者タイ子役を演じる藤間紫が舞う「藤娘」
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「東海道五十三次」とは別の全8図からなる名所絵だったそうです。
そうでしょうね。ただ、あんまり綺麗なものでびっくりした次第です。
巡礼の旅もまだ続けておられるんですか?
ところで朝ドラ「ブギウギ」はOSKがモデルですので興味がおありでしょうね。