昨日の記事、「﨑秀五郎さんの端唄」では、今年7月他界された秀五郎さんの相方、水野詩都子さんについてはあえて触れなかった。しかし、ブログ友のKさんから「水野詩都子さんがおられないのが悲しい・・・」というコメントをいただき、この記事を追加することにした。
お二人が9年前に「東海風流プロジェクト」を結成し、「民謡は地域のコマーシャルソング」を合言葉に中部地方民謡を発信し始められた原点は、お二人のふるさとの歌「名古屋甚句」だろうと思う。中でも「名古屋甚句」の一部である「名古屋名物」はわが熊本の「おてもやん」のもととなった。祇園橋際ポケットパーク(熊本市中央区細工町五丁目)に設置されている「おてもやんと永田いね」像の銘板にはこう書かれている。
--民謡「おてもやん」は、いねが春日の五反で師匠をしていた頃作られたもので、この節が名古屋さんざい(名古屋甚句)によく似ておるのは、名古屋巡業の際に影響を受けたのであろう。--
この「名古屋さんざい」というのが「名古屋名物」のことで、明治20年頃、流行った「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流として各地に広まった。永田いねが女歌舞伎一座を率いて大阪や名古屋方面を巡業した時、出会ったのがこの「名古屋名物」。一座を解散し、春日で伎芸の師匠をしていた明治30年代前半に「おてもやん」が完成したといわれる。
そんなことを考えながら、秀五郎さんの三味線で在りし日の水野詩都子さんが唄う「名古屋名物」と、熊本の邦楽家たちが演奏する「おてもやん」を聞き比べると、また味わい深いものがある。
お二人が9年前に「東海風流プロジェクト」を結成し、「民謡は地域のコマーシャルソング」を合言葉に中部地方民謡を発信し始められた原点は、お二人のふるさとの歌「名古屋甚句」だろうと思う。中でも「名古屋甚句」の一部である「名古屋名物」はわが熊本の「おてもやん」のもととなった。祇園橋際ポケットパーク(熊本市中央区細工町五丁目)に設置されている「おてもやんと永田いね」像の銘板にはこう書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/64/27b0e318054830df06a7a7d3a856f539.jpg)
この「名古屋さんざい」というのが「名古屋名物」のことで、明治20年頃、流行った「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流として各地に広まった。永田いねが女歌舞伎一座を率いて大阪や名古屋方面を巡業した時、出会ったのがこの「名古屋名物」。一座を解散し、春日で伎芸の師匠をしていた明治30年代前半に「おてもやん」が完成したといわれる。
そんなことを考えながら、秀五郎さんの三味線で在りし日の水野詩都子さんが唄う「名古屋名物」と、熊本の邦楽家たちが演奏する「おてもやん」を聞き比べると、また味わい深いものがある。
一回立ち止まって方向性を見直されることによって、また新しい小説世界を創出するいい機会になることを期待しています。