今月24日は加藤清正公のご命日。御逮夜(命日前夜)にあたる23日は熊本夏の風物詩、本妙寺「頓写会」の日。熊本地震前まで参道には出店も立ち並び毎年10万人を超える市民で賑わったものです。
しかし、熊本地震で仁王門や参道の石灯籠などが損壊。出店ができなくなって人々の足が遠のき、すっかり寂しくなりましたが、まつりの本旨である写経の奉納と法要は例年どおり今年も行われます。
一方、熊本城内の加藤神社では7月第四日曜日に毎年行われてきた「清正公まつり神幸祭」ですが、コロナ感染拡大防止のため、神幸行列が、1週間前の「清正公夜市」とともに中止となりました。昨年に続いての中止となりましたが、来年こそはコロナの終息とまつり復活の「おかげ参り」が実現することを祈っています。
頓写会(本妙寺)
清正公まつり(加藤神社)
しかし、熊本地震で仁王門や参道の石灯籠などが損壊。出店ができなくなって人々の足が遠のき、すっかり寂しくなりましたが、まつりの本旨である写経の奉納と法要は例年どおり今年も行われます。
一方、熊本城内の加藤神社では7月第四日曜日に毎年行われてきた「清正公まつり神幸祭」ですが、コロナ感染拡大防止のため、神幸行列が、1週間前の「清正公夜市」とともに中止となりました。昨年に続いての中止となりましたが、来年こそはコロナの終息とまつり復活の「おかげ参り」が実現することを祈っています。
頓写会(本妙寺)
清正公まつり(加藤神社)
ブログはその時代時代の状況と人々の思いのようなものが記録として残っていきますので、100年後、200年後さらに数百年後の人々が歴史を知るいい手立てになるかもしれませんね。
筥崎宮の放生会はまだ見たことはありませんが、神仏習合の名残としてとても興味があります。熊本の藤崎宮の放生会もかつては盛大に行われていたそうですが、明治維新後の神仏分離令以降、廃れてしまいました。
実は今回の記事の「頓写会」と「清正公まつり」は、神仏分離令で分離されるまでは一体のものだった本妙寺と加藤神社の行事を並列することで、新しい神仏習合の願いを込めたものです。
清正公まつりの写真はコロナ騒動が始まる前の一昨年のものです。熊本城天守閣復旧工事の真っ最中でした。
このまつりはいろんな団体やグループが神輿を出しますので、年齢性別を問わず顔ぶれは様々です。
脚絆の色は注目していませんでした。写真の様子から見て、青色のほうが出場経験が多そうな感じですね。今度調べておきます。
「おかげ参り」も廃れ気味で、年配者しか知らなくなっています。なんとか少しでもスポットを当てたいなと思っています。
それでもこうやって、私のように人の顔色ばかりを窺うのでもなくブログを更新され続けられるていることを尊敬します。
頓写会(本妙寺)こそ子供から大人までがワクワクさせられるひと時でしょうね。
福岡の箱崎八幡宮の放生会を思い出します。
清正公まつり(加藤神社)は城に足場が架かっていますが、震災後なんですか?
笛を吹くご婦人に扇子で応援する先達さん。
廻りは子供達で担ぎ手は若者なんでしょうか?
これこそ老若男女が一体となる、「日本の祭り」ですね!
このような伝統こそ受け継いで行って欲しいものです。
あっ、女性の足には青、赤、黒と色違いのものが身につけられていますね。
年齢か格の違いの印なんでしょう!
「おかげ参り」を見聞きしながら日本文化に思いをはせておりました。
有難うございました。