今日は所用で玉名に行ったついでに高瀬裏川の花しょうぶを見に行った。思えば玉名に初めて勤務した昭和46年(1971)裏川沿いの、かつて米問屋だった町家を工場立上げ要員の仮住まいとして借りていた頃から53年という歳月が流れた。
高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていた。今も往時の風情を感じる町屋が残っている。
肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口に開けた港町でもあった。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられる。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていた。この港から積み出し大坂堂島へ運ばれた米は「高瀬米」と呼ばれた。
今ではその役割を終えた運河に花しょうぶが栽培され、毎年5・6月には「高瀬裏川花しょうぶまつり」が行われている。
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今年も花しょうぶが綺麗に咲きそろいました
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結婚式の前撮りも行われていました
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かつての裏川はこんな風景だった?(彦根在住の頃よく訪れた近江八幡市の八幡堀)
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帰りに通った田んぼ道はまさに「麦秋」でした
高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていた。今も往時の風情を感じる町屋が残っている。
肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口に開けた港町でもあった。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられる。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていた。この港から積み出し大坂堂島へ運ばれた米は「高瀬米」と呼ばれた。
今ではその役割を終えた運河に花しょうぶが栽培され、毎年5・6月には「高瀬裏川花しょうぶまつり」が行われている。
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今年も花しょうぶが綺麗に咲きそろいました
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結婚式の前撮りも行われていました
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かつての裏川はこんな風景だった?(彦根在住の頃よく訪れた近江八幡市の八幡堀)
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帰りに通った田んぼ道はまさに「麦秋」でした
肥後の俵積出し唄
その年は裏作だったようで、もう一つでした。
そのかわり、河川敷駐車場のマリーゴールドが圧巻でした。
もう30年ほど前になりますが、16年ぶりに再び玉名勤務となり、しばらく見ていなかった裏川が花しょうぶ畑のようになっていたのに複雑な思いがありました。私は昔の運河を復元してほしいと願っていたからです。でも今は初夏の観光スポットとなり、大勢の観光客が訪れておられるのを見ると何も言えません(-_-;)
ひゃー、これは素敵なアイデアですね。
現代ならばトラック輸送になったんでしょうね。
かつ「祭り」にしたとはいいですね。
あっ、下の写真を見ると右に川が見えています。
しょうぶの季節が終わったら、川が流れているのでしょうか?
有難うございました。
彦根在住の頃よく訪れた近江八幡市の八幡堀や「帰りに通った田んぼ道はまさに『麦秋』」は絵画のようです。
基本的には今も運河ですから水が流れています。
近江八幡市の八幡堀は昔の風情を残し、時代劇ロケのメッカのような存在になっていますが、そういう生き残り方も一つの見識だと思います。
栃木市を流れる巴波川。うずまがわと読みます。むかし名残の黒壁・材木問屋が軒を並べ、水運で川伝いに江戸の八丁堀まで運んだ往時が偲ばれます。川底はきれいに掃除され、錦鯉や真鯉、それに雑魚がたくさん群れ泳いでいます。その昔、荷を運んだ舟。今はそれにお客さんをのせます。船頭さんが川面に掉さしながら、歌を唄い、観光客を楽しませています。巴波川、今は浅くなり、とても首都圏までいけそうにありません。渡良瀬川から利根川へ。川をなぞることで当時を思い起こすことができるのは楽しいものです。
舟運が栄えていた時代、この高瀬裏川を平田舟が行き交った風景が目に浮かびます。