縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

刺し子の悦楽・・・足袋の繕い

2017年03月28日 11時50分33秒 | 民俗学ごっこ

私は整体協会の教授資格者・・・稽古着は和服なので足袋は必須アイテムだ。

稽古仲間は呉服屋さんで売っている足袋の愛用者が多数だが、私は作業着屋さんで売っている「仕事足袋」という職人さん用のワーキング仕様を愛用している。

底の布地が厚い刺し子になっているので、非常に履き易く丈夫なのだ。

それでも長年履いていると、親指の先端や底の際がほつれたり、生地が薄くなってくる。

モノを簡単に捨てることが嫌いだから、誰に習ったこともなく刺し子で補強しているうちに何時しか貫禄がついてきた。

刺し子の糸も、その時にある糸を使うので色はマチマチでカラフル。

 

十年以上は刺し子を重ねていくと、貧乏くさいボロ雑巾の趣きから時代を重ねた古着に昇格(笑)

最近は稽古仲間から「これどこで補修して貰ってんの?」と聞かれるようになり、十年以上、自分でコツコツ刺し子をしてきた結果だと言うと、驚かれるようになってきている。

昨今流行の「断舎利」なんてあっち行け!(笑)

 

モノを使い込み、手入れを重ねていく事の喜びを知らない人は気の毒。

私の足袋は整体稽古の歴史。

益々愛着が湧いて履き易くなってくる。

 


魔除けについての講演のご案内・・・inくびきの天地ひとカレッジ

2016年05月13日 07時26分46秒 | 民俗学ごっこ

お隣の上越市のNPO法人「くびきの天地ひとカレッジ」にて、下記日程にて「アジアの魔除け」という演題の講演を頼まれたのでご案内。

日時;5月14日午後2時より1時間

場所;高田小町(世界館向かいの雁木通りにある町屋を改装したお洒落なカフェ風の建物・駐車場有)

どんな講演内容かと言えば、例えば南インドのコーラムという習慣。毎朝、主婦が玄関前に描く魔除けで、その家に伝承された図案をフリーハンド、掌に握った色粉を落としていくだけで描いていく。こんな事を紹介していくのでR!

最初は白で要所をプロットしていき、次に線で繋げていく・・・最後に色を乗せる訳である。

指から正確無比に粉を落としていく技術が凄い。講演当日は動画も公開!

色んなバリエーションがあるので、毎朝コーラムウオッチしていたのでR・・・午後には踏まれて観えなくなってしまう儚い絵。

自慢ではないが、1時間で紹介する魔除けは、全て自分でフィールドワークして撮影した写真しか使いません!

 

前日になって案内するのもなんだが、問合せが来たので慌てて・・・(汗)

「くびきの天地ひとカレッジ」さんとは、去年に「海のヒスイ・ロード」講演会を依頼されてからのご縁。

私の講演を聴いた石塚会長(上越市出身の東京電機大学教授)が、「バカな事を真剣にやっている姿勢が素晴らしい!話も実に面白い。」と、折に触れて交流を持つことになった(笑)

縄文人(見習い)は、縄文だけがフィールドぢゃない・・・民俗学だって詳しいのだよ。

 

 


アロエ・・・インドの魔除け

2016年03月02日 08時46分20秒 | 民俗学ごっこ

インドの魔除けシリーズ第四弾は、植物のアロエベラ。

最近は少なくなってきたが、インドや東南アジアの建築現場では高層ビルでも竹の足場が組まれていた・・・よく見ると中央にアロエが!

アップの図

近代的な鉄製足場にもアロエ!

 

アロエは古くから薬効が知られ、アレキサンダー大王の遠征軍に携行され、クレオパトラが美容品に愛用し、コロンブスの船団にも積まれていた。

現代人だと殺菌作用や保湿作用が云々というだろうが、昔の人はアロエはチカラがあるから悪霊を寄せ付けないと考えていたのかも。


睨み返す目・・・インドの魔除けシリーズ第三弾

2016年02月13日 07時48分56秒 | 民俗学ごっこ

インドの魔除け第三弾目は、南インドの漁船の船首に描かれた竜眼(リュウガン)。

本来の竜眼とは中国福建省付近の船に描かれた魔除けの目の事で、海難を睨み返すという呪符。

竜眼ではないが、魏志倭人伝には倭人は海に潜って魚を獲る事を好み、蛟(ミズチ・コウリュウ)を避けるために皆黥面文身(体中に入れ墨をする事)していたという記述もあるので、倭人の船にも竜眼が描かれていたのかも知れない。

アラビア湾やエーゲ海方面の船にも同様な目が描かれているし、西洋の帆船の船首像も同じ意味を持っている。

なんの、ヤンマーの漁船にも竜眼が描かれている。ただの呪いか!とバカにしてはいけない。板子一枚下は地獄という職場環境で働く漁師さんは日常的に死と隣り合わせ・・・船乗りにとって竜眼は切実な呪符なのである。

 

先代柳家小さんの得意だった古典落語の「睨み返し」という、おおつごもり(大晦日)に押し寄せる借金取りを睨み返す滑稽噺もありますな。

意外な事に現代人にも睨み返しの呪術が有効のようで、ラジオを聞いていたら、東京都で石原都知事時代に防犯シールを配布した以降は、空き巣などの犯罪発生率が低下したのだと元刑事さんが話していた。

誰かに見られている・・・ここはヤバイと感じて退散する泥棒は素直な人の様な気がする(笑)

カラス除けで検索したらヒットした画像・・・「カラス侵入禁止」という文字を理解できるカラスは相当に頭がいい(笑)

 

今も昔も人間は変わらないどころか、カラスと同じレベルなのだね。


岩塩のチカラ・・・インドの魔除け

2016年02月06日 07時55分48秒 | 民俗学ごっこ

インドの魔除けシリーズ第三弾は岩塩。

人類最初の調味料や殺菌材、保存料は塩だったのだろうか?

例えば肉を焼いていた焚火の中に落としてしまった肉片が、数日後に灰にまみれて腐らずに出てきた・・・灰を落として食ってみたら干物上になって美味かったという事もあったかも知れない。

即ち灰が人類最初の保存料や殺菌作用の可能性は?

あるいは獣肉を食べる時に、胃腸の中から出てきたすっぱい未消化の食物に獣肉をなすり付けて食ったのが、人類最初の調味料だったかも。

骨髄や血液だって調味料にしていたかも知れない。

いずれにせよ、塩は調味料や保存料、殺菌剤として利用されてきた最古級のモノだろう。

場の浄めやお祓いの浄化材、そして魔除けとしても最古級には違いない。

 

食物が腐るのは腐朽バクテリアがどうのというのは、現代的な発想。

原始人はイノチのチカラが弱ると、死の悪魔が憑りつくから死んだり腐ったりすると考えていたのではないだろうか?

不思議な事に塩を付けると悪魔が憑りつき難い、しかも獣肉に旨味が増す!塩ってすげえパワー持ってるじゃん!

原始人がお守りとして岩塩を首から下げていたり、洞穴住居の入り口に魔除けとして岩塩を吊していた場面を想像すると楽しい。

岩塩の前では、悪魔だって退散してしまうのだ。

インドの路上には露店の床屋さんがいるが、髭を剃った後に白い塊を水に濡らしてから剃り後を撫ぜてくれた。

撫ぜた後は肌がツルツルになった・・・白い塊の正体は岩塩らしい。

なんと岩塩はアフターシェービングローションでもあったのだ。

因みに大相撲では塩がお浄めに使用されるが、インド相撲クシティでは黄色い香辛料のターメリックを使う。

クシティ力士体中が黄色いのは、そのためである。

 


玄関に椰子の実!・・・インドの魔除け

2016年02月03日 21時22分39秒 | 民俗学ごっこ

インドの魔除けシリーズ第二弾は、椰子の実である。

南インドの漁村にて。薬効あるアロエとセットになったパターン。

 

堅くて丈夫な外殻に守られ滋養豊富な椰子の実は、その特質からチカラを宿していると考えているのだろうか?

サイズと形状といい、人間の頭部に近いので目鼻を描けば悪魔を睨み返す?

堅いから悪魔が中身を食べるのを諦める?(笑)

アロエと突起を持つ貝殻とのコラボレーション。沖縄地方ではスイジガイという突起のある貝殻を魔除けにする風習もある。堅いし悪魔が憑りつこうにも突起が邪魔して退散するという呪術。

門燈と並んだ顔付きタイプ。ダルマを思わせるこの顔を描いたオジサンに会ってみたいもんだ。そういえばダルマ大師もインド人ですな。

 

椰子の実魔除けにもバリエーションが豊富で、軒先に吊るすものや門柱や屋根の上に置いてあるものもある。

色んなバリエーションに出逢う度に、作り手と対話しているようで面白い。

 


インドの鬼とジョウバ(除魔)

2016年01月31日 09時21分30秒 | 民俗学ごっこ

節分が近くなると俄かに脚光を浴びるのが鬼。

以前のブログでインドの鬼について書いた事があるが、今回はその続き。

オートリクシャーに飾られた鬼

チャンナイの商店に飾られた鬼

 

鬼の姿は牛の角を生やして虎皮のパンツを纏い、金棒を手にするのが一般的で、これは平安時代に道教の影響によって生まれたものであるらしい。

当初のオニは目に見えないモノノケ(モノの気配)という意味で隠(オヌ)と呼ばれ、その後に中国語の鬼(キ)が当て字されたという。

モノノケのモノとは、魑魅魍魎や後年の怨霊などの人に禍する実体無き気配のことだろう。

牛の角と虎皮は、鬼門である丑寅の方角を象徴しているとの事だが、日本人に馴染みのある鬼の姿そっくりの魔除けキャラクターがインドにもいるのだ。

主に南インドのチェンナイ(旧マドラス)からケラーラ州にかけての商店の軒先や、三輪タクシーのオートリクシャーのテールに飾られており、地元の人に名前を聞いても「デビル」と英語名しか答えてくれないので、古い魔除けではないのかも知れない。

もしかしたら日本の鬼が輸入された?

インド人の誰に聞いても詳しい事が分からないが、インドでテレビを観ていたら新型テレビノコマーシャルに鬼のCGが出てきた事があり、最後に「ONIX」とメーカー名が出てきたのだ。

チェンナイの自動車修理工場に飾られた鬼の横に、椰子の実製のオニモドキが(笑)椰子の実は硬く、内部には滋養が蓄えられているという特質が強さを象徴しているのだろう・・・強いモノには魔が取り付けないのだ。

 

想像を逞しくすると、海外輸出向けの日本の家電メーカーONIXのマスコットキャラクターが鬼で、インド進出を機会に鬼の本場の一つである南インドに広まった?(笑)

モノの語源は、南インドの言語であるタミル語であるという説もあるのだ。

いずれにしても鬼は赤い口を大きくあけて、目を見開く顔付きをしている。本来はバイオカラーを象徴する赤鬼が基本だろうと思う。

日常は隠されている赤い身体内部を曝け出すような異様な面相は、怒りの表情であると共に生物にとって最も無防備な姿と言える。

内なるチカラの誇示・・・弱点を曝け出す事ができるのは強さの証拠で、顔付きだけで魔除けにはなるだろう。

鬼の面相は、糸魚川市の春の風物詩「けんか祭り」の魔除けであるジョウバの赤い顔、大きく見開いたギョロ目と口に良く似ている。

ジョウバは除魔と漢字表記するのである。

鬼もジョウバであり、魔除けなのだ。

 

 

 


糸魚川の正月飾り・・・繭玉

2016年01月11日 22時06分25秒 | 民俗学ごっこ

糸魚川市本町通りの「糸魚川の町屋文化を守りつたえる会」主催のカルタ取り大会の設営準備にボランティア参加して、懐かしいものに再会した。

 

久し振りに雪が降って冬景色になった。本町通りに並ぶ雁木通りは上越市が発祥とされる江戸時代からある木製のアーケード。雪が似合う。

糸魚川の正月飾りの「繭玉」を作ったのだが、懐かしいものとは繭に模したカラフルなモナカである。

 

因みに我が家の繭玉は昔ながらに枝の先端に搗きたてのモチをくっつける。

繭玉は恐らく養蚕をしていた時代に生まれた予祝の縁起物・・・めでたい出来事を予め祝って既成事実とする事で現実化させる呪術・・・なのかとも思う。

話を元に戻すと、モナカの繭玉は私の子供時代に飾った記憶がある・・・まだ売ってるんだあ・・・懐かしい。

中空になった半球状のモナカ同士の小口を水に浸し、枝の先に挟んでくっ付けるのだ。

主役は繭玉を模したモナカだが、紙製の恵比寿様・大黒様・宝船・打出の小槌・千両箱といった縁起物をニギニギしく飾りたてる。

 

充分に水に濡らした上で、モナカを潰さないように接着しないとモナカが乾いて落ちてしまうので、この作業をする時は誰でも神妙な顔になる。

モチの繭玉も古風でいいが、色とりどりの繭玉も景気がよくていいもんですな。


アメ横グラフティ・・・江戸っ子体験ならここ!

2015年08月27日 19時24分41秒 | 民俗学ごっこ

学生時代、色んなアルバイトを経験して社会勉強しようと思ったが、最初のバイト先のアメ横に嵌ってしまって、卒業まで同じ店で働いていた。

子供の頃から落語好きなので、江戸っ子らしくっていいや、てなもんだ。

JR御徒町駅からアメ横に入った最初の魚屋「浜屋食料品店」がそれで、角地という立地条件と、魚の鮮度が保ちにくい夏は野菜や果物を主体、冬は魚を主体に売るという経営方針が当たって、当時はアメ横一の売り上げを誇っていた。

現在の浜屋。当時より社員は半分だし、撮影時の夕方なら人混みで写真を撮る事が出来なかったくらい。あの威勢が良くて、「飲む打つ買う」が大好きな人間臭い男達は何所に行ったのだろう???三十代までなら照れ臭くて近寄る事もできなかったが、もう私の事を知っている社員もいない。

 

浜屋は、生鮮食品の単位売場面積売上が世界一として、ギネスブックにも載った事もあるらしい。

アメ横で働いている人は下町出身者が多く、気が荒くて喧嘩っ早いのだけど、威勢と気風が良い人が多くて、毎日が祭りみたいで楽しかった。

暮れの繁忙期になるとケンカ沙汰も多く、詳細は内緒だけど警察騒ぎもあった。

私も若い頃は喧嘩っ早くて、バイト連中に横柄な態度を取る社員と殴り合いの喧嘩をして、バイト仲間には喝采を浴びた。

そして、他の店の人からも「あの野郎と喧嘩したんだってえ?嫌な野郎なんだよう。殺しちゃえば良かったのに!」と褒められた(笑)

 

買い物客の数は往時に及ぶべくもないが、外国人観光客が増えたので、スタバのトイレにはこんな表示(笑)

下町の住宅街には連れ込み宿が多いのだけど、最近は外国人専門の旅館に商売替えする所が多いのだそう。因みにKOASANとは、バンコクの有名な安宿街の事。

 

浜屋には、一部上場の有名企業を辞めて社員になった人が多かった。

学生時代にアメ横でバイトした人が大企業に就職すると、年功序列の組織に息苦しさを感じて、アメ横に戻ってくるのだという。

バイトと言えども、仕事を覚えると即戦力として仕事を任されるのがアメ横流で、私も仕入値が幾らだから、幾ら利益がでればいいので、売値はお前が決めろ、と言われたので意気に応えた。

暮れは近所のビジネスホテルに泊まり込んで、早朝の仕入れと開店準備をする選抜メンバーにもなった。

だから就職が決まった時には、店長から飲み屋に連れていかれて社員になれと口説かれたもんだ。

誘いを断ると、就職しても他の連中みたいに何年かしたら、アメ横に戻ってくるぜ、と言われた。

あれから三十年・・・未だアメ横には戻っていない。

 


吉井本家の火打ち金は、こんな所で作っている

2015年08月25日 19時47分47秒 | 民俗学ごっこ

整体協会本部での夏季特別稽古会で上京がてら、火打ち金を作る「吉井本家」にお邪魔した。

浅草の観音さまの東に掛かる「吾妻橋」を渡ると墨田区だ。江戸の昔なら、この橋から下流の隅田川を「大川」と呼ぶ。江戸時代は身投げの名所だったそうで、落語に出てくる身投げは大抵は吾妻橋。「文七元結」の文七が死に損ねたのもこの橋ですな。

 

火打ち金とは火打石に打ち付けて火花を出す発火具で、本来は東日本では火打ち鎌、西日本では火打ち金と呼ばれていたそうだ。

吉井本家は江戸時代から続く火打ち金の老舗ブランドで、当初は上州吉井宿の名産品であったものの、明治以降は墨田区向島の「伊勢公一商店」にその技術とブランドが継承されて現在に至っている。

当代は四代目である牧内社長で、後継者はいないそう。

素晴らしく発火性能の良い火打ち金はどうなってしまうのだろう?・・・ちょっと心配。

これまで様々な火打ち金を試したなかで、最も発火性能が良かったのが、「吉井本家」の火打ち金なのだ。

 スカイツリーからほんの2キロ位しか離れていない住宅街に「吉井本家」の工場(コウジョウではなくコウバね)がある。左が焼き入れをする焼成炉。作っているのが火打ち金限定なので、鍛冶屋の火床(ほど)とは趣が大分違う。

かっては観音様の縁日などでも火打ち金を売っていた時代があるとかで、その時の看板。下町には銭形平次のお上さんのように、仕事に出かける亭主に切り火をして送り出したり、祭礼で使ったりする人もいるので、昭和になってからも縁日で売れていたらしい。「おまいさん、気を付けていっといで!カチカチ」という風景は時代劇でも見なくなりましたなあ。

 

 墨田区は小さな町工場が軒を並べる「モノ作り」の街・・・近年はスカイツリーで名を馳せてはいるが、スカイツリーから1キロも離れれば昔ながらの下町の風景が広がり、そして町工場が今でも健在だ。

特に吉井本家の工場のある東向島は、明治の頃は文人墨客が多く住んでいたエリアであり、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台でもあるので、何時かは訪れてみたかった街。

戦災で焼け野原となり区画整理がされたはずの現在も、迷宮のように細い路地が入り組んでいる。

遊興の街であった往時を偲ばる「しもた屋」風の小粋な家が残っていたり、路地を曲がれば「カタカタカタ」「トントントン」という家内制手工業のモノ作りの音が聞こえてくる。

手作業の音は心地よいが、かっては路地を歩けば三味線の音(ね)や長唄なんかも聴こえたんですよ、と牧内社長。

粋な街なのだ。

「火打ち石の使い方はね、こう!」牧内社長の滑舌は軽妙で歯切れが良くって、いかにも下町の町工場の親方という感じ。ザックバランと人情味が下町らしさで、貴重な話を沢山聞けた上にお土産まで頂いた。

 

南に下がって吾妻橋の方に戻れば、落語や時代劇に良く出てくる本所だ。

本所は鬼平犯科帳でお馴染みですな・・・「本所のテツ」というのが、鬼平こと長谷川平蔵の若い頃の綽名だった。

ブラブラ歩くだけで愉しい街が墨田区。

スカイツリーばかりが墨田区の魅力じゃないぜ!