水害で甚大な被害をうけた町野町の曽々木地区は、裏山が地滑りして亡くなった人もいたと聞いたが、奥能登の山はいたる所で土が剥き出しになっていて痛々しい。
町野町の曾々木地区は海岸が隆起したので津波被害も家屋の損壊もすくなかったが、水害でおおきな被害をうけた。
崩落した「窓岩」のすぐ横に、雑草に覆われて雨ざらしになった木造漁船をみつけた。
垂直な水押(みおし・船首のこと)から、昭和30代くらいまで定置網漁につかわれていたドブネ(能登方言ではドンコブネ)では?と、漁船の研究者に写メしたら正解だった。
なんと現存するなかで唯一文化財指定されていないドブネで、朽ちるに任せている状態なので、グーグルアースで定点確認しているそうだ。本当なら博物館で収蔵すべき漁船だったのだ。
漂着した輪島漆器の写真撮影していたら声をかけてきた男性がいて、真っ暗になるまで二時間ほど話し込む。男性は穴水の実家が全壊した共同通信の記者。
奥さんが拙宅ちかくの糸魚川市出身とのことで、取材をかねた雑談は多岐にわたったが、冠婚葬祭につかわれてきた輪島漆器の「おもてなし文化」と、漁業を担ってきた「ドブネ文化」のなれの果てを説明してシンミリする。
集落ごとの集団移転の話もチラホラ聞く。
終わってしまった文化形態は如何ともしようもないが、本質の部分は伝承していかないといけない。いつかなにかの役に立つ日がくるかも知れないのだ。