上越市の友人が、昔からある素材を組み合わせて、これまで何処にもなかったアクセサリーを「創った」
商品名は「本気の背守」で、作者は高田の町屋民泊「仲六青苧のいえ」の主の原りささん。
ヒスイは地味だから、海外に売るには貴金属をつかって外国の富裕層に好まれる商品開発を!と、糸魚川の経済人はいう。
しかし宝石の土俵でのヒスイは「半貴石」であって、同じ緑色の「貴石」のエメラルドに劣り、しかも鉱山で採掘されるエメラルドやミャンマーヒスイと、海岸で拾う糸魚川ヒスイとでは競争力で歯がたつ訳はないのだ。
求めて得るし玉かも、拾いし得る玉かもと万葉人に詠われたヒスイを「海外の富裕層に売る」のではなく、「ヒスイの歴史的魅力と文化的価値を発信してください」と経済人たちに訴え続けてきたが、友人の「本気の背守」はその点で画期的ではないか。

和服の背中の真ん中は縦の縫い目があるが、縫い目は魔を睨み返す文字通りの目であるとする文化が日本にあった。
ところが乳児の着物は反物1枚で作られ、背中に縫い目がないから、セイマンやドウマン、麻の葉などの吉祥文様を刺繍して魔除けとした。これが「背守」だ。
これぞ松尾芭蕉の唱えた「不易流行」をカタチとし、海外の人々に紹介したいクールジャパンのアクセサリーではないか。
友人は大麻だけでなく、越後上布の素材であり、国内最古の繊維もあるカラムシを栽培から繊維化、アクセサリーにするまでの活動もしていて、昨年の個展ではヒスイと組合せた作品の評判はよかった。
「古代の繊維とヒスイを組合せた首飾り」から、「文化的な背景のある首飾り」に発展させた。これは個展の目玉にせねばならんだろう。