縄文人(見習い)の糸魚川発!

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紀元前から続くインドの装身具つくりから縄文のヒスイ加工を推測・・・糸魚川翡翠展2022

2022年12月16日 06時57分45秒 | ぬなかわヒスイ工房
紅玉髄(カーネリアン)の樽形ビーズと、その下の実測図に注目!
Facebookで繋がっていてもお逢いしたことのない、西インドのグジャラートのビーズを研究する考古学者の遠藤仁さんが、個展最終日に遊びにきてくれて見せてくれたもの。昨年の個展でも、東京都埋蔵文化財センターを退官されたばかりの先生が遊びにきてくれて、貴重な話しを伺えたが、考古学者と交流できるのはありがたい話し。
なんと遠藤さん自身が、チッピング(獣角のハンマーで打撃剥離させて成形する石器つくりの技法)して、インドの職人が研磨と穿孔をしたのだそう。遠藤さんは旧石器時代を専攻した学生時代から打製石器作りをしていたことから、その技術の高さはグジャラートの職人にも一目置かれたようだ。
 
ちなみに現在の日本の石製装身具の切削・成形は、平面研磨機か両頭グラインダーなどの電動工具の使用が一般的だ。それにしても黒曜石より遥かに硬い玉髄を、チッピング成形できるとはすごい技術だ。
 
 
海外でのフィールドワークと実体験が豊富な遠藤さんの話しが面白すぎ、「平成の大首飾り」製作で苦労した玉髄の加熱赤化の技法もインドで調査されていたので、翌日のランチにお誘いして、たっぷりと話しを聞かせてもらった。
 
紀元前から継続している前近代的な職能集団の実態を聞くことで、原始のヒスイ加工の解明を目論むワタシ( ´艸`)
 
もちろん流通範囲や生産規模も比較にならないのだけど、グジャラートでは原石採取・成形・研磨・穿孔・交易と職能の分離が明確であるなど興味深く、遠藤さんに「では縄文時代のヒスイ加工ではどのようだったと推測できますか?」と、各項目ごとに質問。
 
例えば穿孔(紐孔をあける工程)に関しては・・・
Q:縄文時代のヒスイ加工の穿孔を検証した結果、弓錐を使用していた可能性が高いように思うがいかが?
 
A:錐揉み(掌で回転させる方法)では軸ブレが大きいので、弓錐だったと思います。
 
Q:富山の桜町遺跡で、狩猟には短すぎる長さ40㎝前後の単弓の出土品を観たことがあるのだが、弓錐式発火法に使用するなら少し長目だけど具合のいい長さで、ことによると穿孔具なのかも?
 
A:祭祀用なら特別な飾りの痕跡があると思うので、ないなら穿孔具の可能性は高いですね。
 
Q:穿孔する時は石材を垂直に固定する必要があるが、どんな固定具だったのでしょう?
 
A:現在のインドでは超音波穿孔機やルーターが使われているが、板材で石材を挟んだ端っこを金属の輪っかをスライドさせて固定して、弓錐で穿孔していた世代がまだ生きており、縄文時代の固定具は金属の代わりに紐や楔で固定していたのではないか。
 
 
どんな質問にも即答してくれる遠藤さんは、たまたま博士論文執筆中のフリーの立場だったので貴重な話しを伺えたが、研究機関に所属していたらこうはいかず、ご著書2冊と論文3稿まで頂けたのは僥倖。
帰りの新幹線で爆睡必至と思いきや、論文が面白すぎて糸魚川までの二時間は目はパッチリ、頭脳はフル回転。
 
疑問の解決が新たな疑問を呼んで迷宮へ(笑)