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真名井の勾玉の謎!・・・勾玉探偵

2023年02月17日 07時55分23秒 | ぬなかわヒスイ工房
勾玉探偵の趣味と実益をかねた遊び。
右端が北九州の宇木汲田遺跡出土の丁子頭勾玉、右から3番目が出雲大社の宝物でもある真名井遺跡出土の勾玉の実測図からおこした原寸型。
 
2番目と4番目は、そのプロポーション比較のために縦27㎜に縮小した型だが、際立ってデザインの違いがわかった。
 
わたしの関心は、ヒスイの加工をしていなかった島根の遺跡から出土した真名井の勾玉が、いつ、どこでつくられた?というもの。
 
実測すると真名井の勾玉の紐孔は、直径5㎜もある片側穿孔なので、石針で穿孔したにはでか過ぎるので、管錐で穿孔した縄文勾玉の系譜のように思える。してみると製作時期は弥生中期の前葉か?ちなみに宇木汲田を含め、北部九州の勾玉は両側穿孔された小さな紐孔のようだから、穿孔技術は北陸系のようだ。
 
勾玉のプロポーションは、胴部の断面が宇木汲田が円形に対して真名井が楕円形。
 
スマートな北部九州の定形勾玉と、角を丸めないCの字をした西部北陸方面の半玦形勾玉の折衷なのではないか?
 
見逃せないのは、真名井の勾玉はガラスのような透明感のある非常に美しいロウカンヒスイということで、これはロウカンヒスイの勾玉の本家といえる唐津平野から出土する勾玉の系譜ということだ。
 
そこで点と点を繋いで・・・弥生中期の定形勾玉が完成する以前の北部九州に、西部北陸から半玦形勾玉が渡ってきて、北部九州でも半玦形勾玉系をロウカンヒスイでつくるようになった。
 
その北部九州メイドの半玦形勾玉をスマートにしてみたのが真名井の勾玉で、こりゃいける!と喜んだ職人が頭部を球状に、胴部断面を円形にした、さらにスマートな定形勾玉へと発展させていった。ということは真名井の勾玉は、定形勾玉のプロトタイプではないか?・・・という物語りが浮かびあがってきた。
 
もちろん「既存のアカデミズにとらわれない学問領域」のニューアカデミズおじさんではないから、断定はしない(笑)
 
石川県・福井県といった西部北陸、丹後半島、北部九州の勾玉の出土状況、玉つくり遺跡を調べて検証を地道にしていく訳ですな。