「自然界の報道写真家」を自称するカメラマンの宮崎学さんとやり取りしていて、「晴れても明日は仏滅だから山にはいらない」と言われてハッとした。
生っ粋の信州人にとって山は恵みをあたえてくれる場である反面、異界として畏れる対象であることに、今さらながらに気づいた。
本書は関東山地から信州南部に多いオオカミ信仰の実態をレポートしたドキュメンタリー映画「オオカミの護符」の撮影後日談も加えた書籍。「ブックスサカイ」のW主任の選書コーナーで購入。ちなみに映画のチラシは当時大学生だった友人のナナちゃんがデザインした。
山の生態系の頂点にたつオオカミは、人間を襲わずイノシシやシカを間引いてくれるので、主に山間地で焼き畑農業をする農民から「大口眞神様」「お狗さま」と尊崇された。
そこには天照大御神を頂点とする神界ヒエラルキーも、神なるものの愛や救済の思想はなく、ただ畏れと祈りがあるだけだ。
日本が文明国家の仲間入りをした明治期に日本オオカミは絶滅したが、戦後となると山村の若者が都会にでてゆき、「お狗さま」を祀る神社の講も担い手が減少し、山の荒廃もすすんだ。
畏れる対象でも利用価値もない土地になったから、メガソーラーや風力発電が無秩序に乱立するに至ったのではなかろうか?
今の時代、いまいちど海や山を畏れ祈っていた時代を見直す必要を感じる。