昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは1835年生まれのサン=サーンスの作品。
彼の神童ぶりについては、管弦楽曲編で少し書いた。
付け加えることといえば、13歳でパリ音楽院に入学し、
作曲とオルガンを学び、16歳で最初の交響曲を作曲し、
卒業後は作曲家兼オルガニストとして活動し、
1857年にはマドレーヌ教会のオルガニストに就任した。
教育者としても活躍し、門下にはフォーレがいる。
ピアニストとしても才能を発揮した彼は5つのピアノ協奏曲を残している。
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22は1875年に作曲された。
今回聴いたCDの演奏はチッコリーニのピアノ、
セルジュ・ボード指揮、パリ管弦楽団による。
第一楽章アンダンテ・ソステヌートは、ソナタ形式で書かれている。
冒頭のピアノ独奏による即興的な演奏はバッハを思わせるが、
そのあとの管弦楽によるトゥッティは歌劇の前奏曲を思わせ、
そのあとはドイツ的な重厚な音楽になり、この変化が面白い。
やがて主部に入ってからピアノ中心に展開される音楽は、
二つの主題からなっており、それは感傷的で、叙情的であり、
フランス的なセンスが感じられ、ピアノの技巧が十分に発揮される。
流れるようなピアノの旋律はロマンティックであり、甘美であり、
展開部において、音楽は情熱的に盛り上がりを見せていく。
再現部を経て、序奏にあたる冒頭の即興的な演奏がピアノに現れ、
繰り返され、管弦楽によるトゥッティによって劇的に終わる。
第二楽章アレグロ・スケルツァンドは、
ソナタ形式によるスケルツァンド楽章で、
ティンパニが刻むリズムに乗って、ピアノが軽快な第一主題を奏で、
他の楽器もその主題を引き継ぎ、流れるようなピアノの音が心地よい。
ショパンを思わせるようなところもあり、
最後は冒頭のティンパニが叩く中、幻想的に終わる。
第三楽章プレストは、ソナタ形式によるもので、
躍動的な旋律がピアノと管弦楽に現れ、
大袈裟とも思えるくらいに劇的でダイナミックな曲である。
木管楽器の扱い方が興味深く、オルガン的な部分も感じさせる。
ピアニストの技巧的で名人芸的な演奏を聴くことができる。
流れるようにそしてダイナミックに演奏するチッコリーニのピアノはすばらしい。
最後は管弦楽とピアノによってダイナミックにそして華麗に終わる。
途中聴いたのは1835年生まれのサン=サーンスの作品。
彼の神童ぶりについては、管弦楽曲編で少し書いた。
付け加えることといえば、13歳でパリ音楽院に入学し、
作曲とオルガンを学び、16歳で最初の交響曲を作曲し、
卒業後は作曲家兼オルガニストとして活動し、
1857年にはマドレーヌ教会のオルガニストに就任した。
教育者としても活躍し、門下にはフォーレがいる。
ピアニストとしても才能を発揮した彼は5つのピアノ協奏曲を残している。
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22は1875年に作曲された。
今回聴いたCDの演奏はチッコリーニのピアノ、
セルジュ・ボード指揮、パリ管弦楽団による。
第一楽章アンダンテ・ソステヌートは、ソナタ形式で書かれている。
冒頭のピアノ独奏による即興的な演奏はバッハを思わせるが、
そのあとの管弦楽によるトゥッティは歌劇の前奏曲を思わせ、
そのあとはドイツ的な重厚な音楽になり、この変化が面白い。
やがて主部に入ってからピアノ中心に展開される音楽は、
二つの主題からなっており、それは感傷的で、叙情的であり、
フランス的なセンスが感じられ、ピアノの技巧が十分に発揮される。
流れるようなピアノの旋律はロマンティックであり、甘美であり、
展開部において、音楽は情熱的に盛り上がりを見せていく。
再現部を経て、序奏にあたる冒頭の即興的な演奏がピアノに現れ、
繰り返され、管弦楽によるトゥッティによって劇的に終わる。
第二楽章アレグロ・スケルツァンドは、
ソナタ形式によるスケルツァンド楽章で、
ティンパニが刻むリズムに乗って、ピアノが軽快な第一主題を奏で、
他の楽器もその主題を引き継ぎ、流れるようなピアノの音が心地よい。
ショパンを思わせるようなところもあり、
最後は冒頭のティンパニが叩く中、幻想的に終わる。
第三楽章プレストは、ソナタ形式によるもので、
躍動的な旋律がピアノと管弦楽に現れ、
大袈裟とも思えるくらいに劇的でダイナミックな曲である。
木管楽器の扱い方が興味深く、オルガン的な部分も感じさせる。
ピアニストの技巧的で名人芸的な演奏を聴くことができる。
流れるようにそしてダイナミックに演奏するチッコリーニのピアノはすばらしい。
最後は管弦楽とピアノによってダイナミックにそして華麗に終わる。