温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

カンボジア トンレサップ湖のスポードボート(2014年) 前編

2015年04月03日 | 東南アジア旅行記
※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。

ちょうど一年前の春に、私はカンボジアを旅していたのですが、温泉と無縁な旅程であったために、拙ブログでその旅行記を披露してきませんでした。しかしながら、先日都内の某カンボジア料理店で食事をしていたら、無性に東南アジアが恋しくなってしまった。あぁ、すぐにでも彼の地へ行きたい。しかし、恋しいからといっても、そう簡単に行けるわけでもないのが、勤め人の悲しい宿命であります。そこで、現地へ行けない代わりに当時の画像や記録を見返して、片想いな欲求を満たすべく、今回から数次にわたって昨年のカンボジア旅行記を断片的にしたためることにしました。一年前という中途半端に古い内容であり、且つ温泉とは全く関係ない内容がしばらく続きますが、どうかご容赦を。

昨年のカンボジア旅行では、世界遺産アンコールワットの観光拠点であるシェムリアップから、首都プノンペンへ移動する際に、東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖を縦断する船(スポードボート)を利用しました。両都市の移動では、本数や運賃面で有利な長距離バスか、短時間で移動できる航空便を選択するのが一般的であり、料金が高くて所要時間も長く、港へのアクセスが悪くて本数も一日一往復しかないというダメダメ尽くしの船は、今ではかなりマイナーな移動手段となってしまったようです。でも移動そのものだって、旅の楽しみとしては大きな要素であり、航路だからこそ味わえる景色だってあるはず。そう考えて、乗り物好きな私としては、敢えて不便でマイナーな船を選んだのでした。

乗船日:2014年3月某日
乗船区間:シェムリアップ→プノンペン


●シェムリアップのホテル
 
本題へ入る前に、シェムリアップで泊まったホテルのことをちょっと触れます。ホテルの名前は「ヴィラ メダムレイ (Villa Medamrei)」。アンコールワットという世界屈指の観光地を擁する街だけあって、ホテルはそれこそ星の数ほど存在し、この宿もそんな宇宙をたゆたう小さな星のひとつに過ぎないのですが、結論から申し上げれば、デザイン性に優れ、居心地も良好、リーズナブルという、非常にコストパフォーマンスに優れたホテルでした。

左(上)画像は外観。赤いゲートが目印ですが、通りに面している部分は広くないので、ヘタすると見逃してしまうかも。街のコアになるエリアから若干南へ離れますが、それでも観光客向けの飲食店や土産店等が集まるバー・ストリートやオールド・マーケットに近いので、初カンボジアの私でも全く苦労せずに滞在できました。右(下)画像に写っているウェルカムドリンクを飲みながらチェックインをしていると、日本語が話せる知的で若い男性スタッフが、ホテルや当地に関していろいろと説明してくれました。


 
現代風アジアンテイストの客室。女性客はもちろん、昭和生まれのオッサンであるオイラだって、こんなオシャレなお部屋に泊まれたら嬉しくなっちゃいますよ。エアコン・冷蔵庫・シャワー・トイレ・金庫は完備。Wifiも飛んでますし、1階ロビーには共用のPCも数台用意されています。


 
ラウンジやテラスなどの共用部分も、ご覧の通りスタイリッシュ。


 
朝食会場のレストランもおしゃれ。朝食は数通りのメニューから好みのものをチョイスします。なおスタッフには英語が通じました。スタッフの女の子、笑顔がとっても可愛かったなぁ。




上述したようにバー・ストリートにも近いので、夕食や買い物にも困りませんでした。尤も、この辺りは外国人観光客ばかりなので、ちっともカンボジアにいる気がしないのですけど、そんな街並みの中でお店を構える「クメールキッチン」という、これまた如何にも観光客を意識したありきたりな名前(日本語に訳せば「クメール人厨房」ってことですよね)のレストランで食べたクメールカレーは、カボチャの甘味とココナッツミルクの風味が際立っており、我が人生で最も美味かったグリーンカレーでした。いや、外国人向けにアレンジされていたのでしょうから、舌の肥えていない私にはちょうどお似合いだったのかもしれませんが。

あ、そうそう、アンコールワットの旅行記は拙ブログに載せるつもりありません。ネット上でも書籍でも、美しい写真と豊かな文筆による旅行記が大変多く上梓されていますし、日程の関係でオーソドックスなところしか巡っていませんので、わざわざこのブログで記事にするほどの体験をしていないからです。むしろ、私がカンボジアを訪れた大きな理由は、プノンペンにある某施設を訪れたかったからであり(次々回以降の記事で掲載します)、アンコールワット(シェムリアップ)訪問は、そのついでなのでした。


●早朝に出発
 
観光地のホテルは得てして各種チケットの手配も代行してくれますから、ホテルへチェックインした時に、日本語がわかるクメール人スタッフのCさんへ「プノンペンへ向かう船の切符を入手したいのですが」と申し出たところ、彼はチケットの手配はもちろんのこと、「(ホテルの朝食時間前となる)朝6時に出発ですから、簡単な朝食を作っておきます」と気を利かせて、前夜に朝食セットを用意してくれていたのでした。

早朝5時に起床して、その朝食パックを開け、前夜に購入しておいたインスタントラーメンをスープ代わりにして、胃袋へ掻っ込みます(左(上)画像)。右(下)画像の青い券は、ホテルでお願いしていた乗船券のバウチャーです。手配に際してCさんは「私共で手配しますと、○ドルの手数料がかかりますが、宜しいですか」と丁寧に説明してくれたので、その誠実さを信じて彼に一任しました。ホテルの設備面やデザインも良いのですが、Cさんの気遣いや誠実さに大変満足したのでした。どんなにハード面が良くても、畢竟、後々まで印象に残る評価はソフト面、つまり対応の如何に依るんですよね。

さて、朝食を済ませて出発準備も整い、朝6時にホテルのロビーで送迎車を待ちます。ホテルで手配すると、そのホテルまで車でピックアップしてくれるんですね。とは言え6時ぴったりに来るはずもなく、25分後になってようやく迎えが来ました。白いポンコツのバンには、既に7~8人の欧米人が乗車しており、唯一の東洋人客である私が最後に乗り込む形となりました。お互いにけだるく"Good Morning"と挨拶をかわし、シートの隙間へと身を滑り込ませます。


 
バンに揺られること約30分で船乗り場に到着です。途中で凸凹なダート道を通行するためスピードが出せず、距離の割には時間がかかるのですが、それにしてもシェムリアップの街から港まで、かなり隔たっているんですね。たしかに送迎車のサービスを受けずに船を利用するならば、街から港へ移動するだけでも非常に不便です。辺りは広大な耕作地が広がるばかり。だだっ広い畑の彼方では真っ赤に燃えた朝日が上がっていました。
さて、車から降りて波止場へ向かおうと、我々の到着を待ち構えていたかのように、まわりから多くの人がワラワラと寄ってくるではありませんか。


 
我々を取り囲む人々の目的は、言わずもがな観光客の金がお目当て。女性は朝食代わりになるパンやバナナを売りつけようと必死に声をかけ、男性はポーター業で小銭を稼ごうとしています。彼らによってハッチバックが勝手に開けられると、小柄な人が多いクメール人には珍しく図体の大きなお兄さんが、私の荷物を担いで、勝手に運んで行こうとするではありませんか。急な展開に呆然としつつ、そのお兄さんの後を追いかけてゆくと、待合室の下で待機していた普段着のおじさんが、チケットの提示を要求してきます。本物のスタッフなのかという疑念を抱きながら、そのおじさんにバウチャーを見せると、仏頂面のまま改札して乗船券と引き換えたのでした(右(下)画像)。制服を着ている人がいないので、誰が係員で誰がモグリの売り子なのか、ちっとも判然としないのですが、現地の連中はそんな隙を突いて、鵜の目鷹の目で小銭をせしめようとしてくるんですね。


●乗船
 
泥水を淀ませている川岸にはたくさんの船が舫われており、その光景を眺めながら岸壁へ伸びる長いタラップを下ってゆきます。乾季なので水位がかなり低く、陸と水面との間には、ビルにして3~4階程度の高低差がありました。プノンペン行きのスピードボートは、白く塗られたボディーに青や赤のラインが引かれており、ロケットみたいに細長い鋼製の船体です。他の船は地味な木造船ばかりなので、ひときわ目立っていました。


 
座席はこんな感じ。日本の新幹線みたいに2+3の配列なんですね。出航してから終着までの6~7時間、途中で寄港することがないので、船室の後部にはトイレが設けられています。洋式便器の中には泥水がもの凄い勢いで流れ込んでいたのですが、川水を利用した水洗であることは想像に難くなく、水流と共に垂れ流された不浄はトンレサップの水で「自然処理」されるんですね。


 
予定では朝7時に出航するはずでしたが、その時刻になっても動く気配がありません。後でわかったことですが、各ホテルから乗客を集めてくる車の一部が遅れていたようです。そんな遅れも、売り子にとっては恰好の商売時間。船の入口では、お菓子を売るお姉さんが門番の如く立ちはだかっていました。こうした物売りはかなりしつこいのですが、相手にしなければ問題なし。勝手に荷物を担ごうとするポーターも、私みたいに呆然としていると、素早く持っていかれてチップを要求されちゃうみたいですが、毅然として断ればそれ以上は手を触れようとしないようです。ここでは"No"と言える気持ちが大切なんですね。


●出航、トンレサップ湖へ
 
遅れていた乗船もようやく済み、予定より1時間遅い8時にやっと出航しました。小舟たちが輻輳する狭い水路を、ゆっくりと航行します。狭いどころか水深もかなり浅いらしく、この航路ではしばしば擱坐してしまうんだとか。それゆえ船長は慎重に舵を切っていました。

バスならば10米ドルで行けるところを、船ですとほぼ同じ所要時間ながら40米ドルも要するため、定期航路とはいえ、実質的には公共交通機関として機能しておらず、予算に余裕のある欧米系外国人観光客によって、移動と物見遊山を兼ねる遊覧船として利用されているのが実情のようです(私もその一人)。それでもこの日は20人強の乗客が見られました。


 
掘っ立て小屋が立てられた港付近の岸では、船やバイクでたくさんの人々が集まり賑やかでした。朝市でも開催されていたのでしょうか。


 
水路の幅が徐々に膨らみ、やがて恰も大海原を眺めているかのように、泥水の海が果てしなく広がっていきました。いよいよ東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖へ突入です。湖へ出た途端に、船はスピードをグッと上げ、ようやくスピードボートらしい能力を発揮してくれました。
水路が湖へ出る河口部には、水上生活者の大きな集落がプカプカと浮かんでおり、人々の生活が営まれていました。


 
左(上)画像の、カンボジア国旗が掲揚された小屋は水上警察。右(下)画像はいわゆる万屋さん的なマーケット。


 
左(上)画像はレストランですね。水上生活の集落を巡る現地催行のツアーもあるようですが、ランチではきっとこうした水上レストランへ立ち寄るのでしょう。
別の水上家屋では、湖水を桶に汲んで沐浴をしていた女性たちを見かけたのですが、あれ? そういえばこの船のトイレって、垂れなが…。いやいや、これが彼女たちの日常生活なのですから、他所者が自分の価値観や衛生観念であーだこーだ言っちゃいけないな。


 
乗船客は外国人観光客ばかりで、みな座席に座ろうとせず、眺めの良い船首のデッキに集まろうとします。細長い船体で屋外に出られるのは、この船首か、船室上の屋上部分の2つ。いずれへ出るにも、左右両舷の狭いキャットウォークを伝って客室から移動するのですが、船体に手摺が1本あるだけで、外側にはガードレールも何もありませんから、慣れないうちは結構デンジャラス。足を滑らせて転落しないように要注意です。

船首のデッキでは、左右両舷ならばどんな姿勢で居ようが問題ないのですが、真ん中(舳先等)で立とうとすると、操舵室にいる船長から「姿勢を低くしろ」というジェスチャーとともに大音響の汽笛を鳴らされ、険しい顔で怒られちゃいます。上述のように乾季は水深が浅く、航路をしっかり選んで進まないと座礁してしまうので、船長としては視界の邪魔となる位置に立ってほしくないのでしょう。
一方、屋上部分は緩やかながらカーブを描いており、ハシゴや手摺なども無いため、平衡感覚に自信のある若い客層が日焼けする場所となっていました。



乾季のトンレサップ湖は面積がギュッと縮まるんだそうですが、それでもさすが東南アジア最大の湖だけあり、ボートが湖の中程へ進んでゆくと、見渡す限りに湖面が広がって、岸が全く見えなくなってしまいました。はじめのうちは、日本では決して見られないトンレサップ湖の壮大さに感動していたのですが、やがて単調な景色に飽きはじめ、他の客が次々に座席へ戻ってゆくのにつられて、私も船室へ戻り、朝が早かったために、着席するやいなや睡魔に襲われてしまったのでした…。

後編へ続く。

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ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その3

2014年05月19日 | 東南アジア旅行記
前回記事「ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その2」の続編です。

トゥクトゥクでタチレクの定番観光コースを1時間周遊しましたが、この手の街は観光名所ではなく生活感あふれる路地裏を歩いたほうが断然面白いはず。残りの1時間は自分の足で若大将よろしく散歩してみることにしました。

●マーケット
 
国境のイミグレを過ぎてすぐ右手に広がるマーケットの中へと入ってゆきます。さっそくタバコ売りが声をかけてきますが、私はタバコが苦手なのでひたすら無視。私にタバコは売れないとわかると、続いてやってきたのは遣手婆ならぬ遣手おじさん。中には「オキヤ」なんて日本語を放つ人もおり、それだけ邦人需要があることも窺えますが、時間も無いし不衛生もイヤなので、この手も一切無視。更にはバイアグラやドラッグの声もかかりますが、もちろん完全無視です。というか、まだバイアグラに頼るような歳じゃありませんけど!(一人で勝手に怒ってます…)。


 
マーケット内を彷徨く売り子の他、こうした屋台の店頭でもマルボロやケントなどの偽タバコが陳列されており、鬱陶しいほど声を掛けられますが、こうした偽タバコは北朝鮮あたりから流れてくるものなんだとか。その傍のお菓子屋さんでは偽コアラのマーチが売られていました。コアラのマーチの偽物はアジア圏に何種類もあり、旅行者にとっては最早おなじみですよね。


 
マーケットで売られているDVDやブランド物のバッグ・時計など、その全てがバッタ物。店頭に陳列されていた某ブランド風のバッグなんて遠目でもヨレヨレでしたから、子供が見たって怪しいと判断できるはずです。イミテーションのオンパレードというのは、決して褒められたもんじゃありませんが、でも意外と壮観なものです。そうそう、申し忘れていましたが、タチレクで流通している通貨は、ミャンマーのチャットではなく、全てタイバーツでした。


 
パラソルで覆い尽くされているマーケットを抜けると、コロニアル様式の建物が目に入ってきました。先程のトゥクトゥクに乗っていた時には気づきませんでしたが、これって自分の足で歩くからこそ気づく風景なのでしょうね。なかなか良い風情じゃありませんか。


●メインストリートと路地裏
 
メインストリートを走行する三輪車は、規定積載量なんか関係無ぇと言わんばかりにうず高く荷物を積んでいますが、この過積載はいかにも東南アジアっぽい光景ですね。メインストリートから一本裏の路地に入ると、リヤカー屋台があちこちで商いをしていました。


 
街の埃っぽさ、斜めに立つコンクリの柱、色あせた感じ、そして女の子の後ろ姿。この街角の景色をセピア色にしたら、昭和30年代の東京と大して変わらないかもしれません。そう思いつつカメラを構えていたら、前方から花を飾り付けられた車がやってきました。


 
花電車ならぬ花車が走っていたのは、付近で結婚式が挙行されていたからでした。新郎新婦に幸多かれ。


 
華やかな結婚式場のすぐ隣りの路地では、天秤棒を担ぐおばちゃんが商売に励み、その傍を日傘をさしながら2人の若い僧侶が闊歩してゆきます。


 

タイを除く近年のインドシナ各国では韓国車の進出が目覚ましいわけですが、貧しい国ですから新車なんて買えるはずもなく、この街で見られる車は日本の中古車ばかりであり、しかも日本で使われていた頃の面影をしっかりと残していました。たとえば上画像ですと、トラックの助手席側ドアには「自動車用室内芳香剤」の文字が見えますし、別のトラックの後部には「ネッツトヨタ北大阪」のシールが貼られたままでした。そしてLAV4の後部には「トヨタカローラ中京」とやはりディーラー名が残っているとともに、車庫証明のステッカーまで貼りっぱなしでした。左側通行の国で日本の中古車が走っているのは珍しいことではないのですが、ミャンマーはイギリスの植民地だったのに何故か右側通行を採用しており、にもかかわらず日本の右ハンドル車が走っているのですから、危ないったらありゃしない。


●2時間でサヨナラ、ミャンマー!
 
散歩しているうちに、タイムリミットの2時間が近づいてきました。国境付近のカフェでアイスコーヒーをいただいて一休み。この店はタイ・チェンライ県の名産であるドイチャンコーヒーを謳っていましたが、本当にドイチャンコーヒーなのかな? なお実物のドイチャンコーヒーは本当に美味しく、私も馴染みのコーヒー専門店を通じて購入し、自宅で淹れています。
さて、アイスコーヒーで落ち着いてから、イミグレへ。


 
その1で申し上げましたように、入国時にエントリーパーミットは発行されませんでしたが、イミグレの官吏に私のパスポートを見せたら、出国のスタンプが捺されていることを確認し、笑顔でBYE!とパスポートを私に返して手を振ってくれました。この笑顔のおかげで、ミャンマーに対する好感度が俄然急上昇です。いままで散々な悪口を言ってゴメンナサイ。そういえば一昨年に中国の深センから香港に渡る際も、中国の女性イミグレ職員は笑顔でパスポートを返してくれたっけ。まだビザが必要だった昔の中国で、ビザ申請したらパスポートをポイっ投げ返された悪しき想い出がある私としては、その笑顔があまりに意外で嬉しかったのですが、翻ってアメリカや欧州諸国のイミグレ職員はみんな無愛想ですし、日本もみんな仏頂面ですから、最近は非民主国家のほうがなんだかんだで愛想良いんじゃないの?と勘違いしたくもなります。


 
右側通行のミャンマーから左側通行のタイへ戻ります。ミャンマー、あばよ!
タイ入国に際してはエントリーカードに必要事項を記入するのですが、このカードの入手方法がわからなくてちょっと難儀しました。どこかに積まれているわけではなく、窓口で受け取るでもなく、駅の改札みたいなカウンターで受け取るんですね。何でそんなややっこしい方法にするんだろう?

ちなみにこのタチレクはタイで長期滞在する旅行者にとっては、あることで有名であったんだとか(過去形である点が重要)。と言いますのも、ビザなしで空路からタイヘ入国すると30日間(陸路だと15日間)滞在可能ですが、もっと長く滞在したい場合は、期限が切れる日ギリギリに一旦他国へ出て、再び入国すればその都度30日(もしくは15日)の滞在許可が得られましたので、タイ北部で長期滞在する外国人は、滞在期間を延長させるため、わざわざバス等でメーサイへやってきて、一旦出国してミャンマーのタチレクへ入ってから、すぐにミャンマーを出てタイに戻り、再びイミグレを通過して陸路入国の期限日数である15日の滞在許可をゲットしていたんだそうです。尤も、以前は無制限に往復できたんだそうですが、最近では回数制限が設けられ、しかもつい先日(2014年5月10日頃)からタイへの再入国はたった1回のみに制限されてしまったんだとか(まだ状況は流動的のようですので、詳しくは現地に詳しい情報サイトでご確認ください)。いわゆる「外こもり」や「沈没」といったことも、これからは難しくなってゆくのでしょうね。
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ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その2

2014年05月19日 | 東南アジア旅行記
前回記事「ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その1」の続編です。


●3つ目のお寺
 
 
シュエダゴン・パゴダから坂を急降下したトゥクトゥクは、ものの数分で別の建物の敷地内に入り込みました。どうやらここもお寺みたいですが、札所めぐりをしているわけじゃあるまいし、信心深い仏教徒でも無いので、そんなに寺院を巡っても大して面白く無いのですけどね…。寺院関係が続くってことは、即ちこの街には余程観光名所が無いのでしょうね。お寺の前では象さんと鐘を担ぐ2体の人形がお出迎え。金色に輝く屋根もさることながら、外壁一面に塗られたライムグリーンも印象的でして、全体的にお菓子を想像させる色合いにも見えます。

グリーンのカーペットが敷かれた堂内は、お寺というより公民館のような雰囲気なのですが、最奥に鎮座する仏像、そして天井近くの壁に描かれた絵を見れば、やはりここが仏教寺院であることは疑いようがありません。その絵にはお釈迦様の誕生から涅槃までの一生が描かれており、例えば仏像の真上に写っている絵は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた時の様子を描いたものですね。ありがたいことにそれぞれには英語のキャプションも付せられていますが、お釈迦様の一生でしたら同じ仏教国である我が日本でも万人が知るところでありますから、説明無しでも絵画が意味する内容を理解できちゃいます。文化や言語が全く異なる場所でも、自文化に共通するものを目にして理解ができると、その瞬間はものすごく嬉しくなるものですね。仏様はありがたいものだ、そう実感しながら寺院から出てトゥクトゥクに戻ると、運ちゃんはニタニタっと笑顔を浮かべながら「ブンブン(置屋へ行くか)?」と誘ってくるではありませんか。これは当地のお約束なのでしょうし、その手のお店に客を連れて行けば運ちゃんはバックマージンを手にできるのでしょうけど、お釈迦様に思いを馳せた直後に煩悩丸出しの勧誘が発せられたことに、半分驚きつつ半分面白みを覚え、でも今回はそんな時間も考えもありませんから、きっぱり断って、次なる目的地へと移動してもらいました。


●首長族村
 

さて、ライムグリーンのお寺を出たトゥクトゥクは、路地を抜けながら一旦国道に出て奥へと走り、丁字路を曲がってゴルフ場へと向かいました。ゴルフ場の壁にはビルマ語や英語のほか中国語で「高爾夫」と表記されており、いかに当地を訪れる中華系が多いかを窺い知ることができるのですが、それにしてもなんでゴルフ場なんかに連れて行かれるのか、ついさっき私はブンブンを断ったけど、もしかしたらバックマージン欲しさにその手の怪しい店へ無理やり連れて行かれちゃうのか、などという不安(面倒臭さ)が俄然私の心に擡げます。そんな私の心境をよそに、トゥクトゥクは無駄に広くて埃っぽい道を快走していきました。


 
やがて運ちゃんは上画像のゲート前にトゥクトゥクを止めました。ゲートの両サイドにある看板のイラストを見れば一目瞭然。首長族村なんですね。ゲートでは無愛想なお姉さんが140バーツという(当地の物価で考えれば)結構なボッタクリ料金を要求してきましたが、生まれつきの旺盛な好奇心には勝てず、気づけば財布から言いなりにお金を支払って入場していました。


 
場内は上り坂の一本道に沿って土産物屋が並んでいるばかり。こちらの首長族、つまりカレン族の皆さんには申し訳ないのですが、実につまらない。階段の途中ではカレン族の女性が覇気なくしゃがみ込んでいました。お仕事で首に輪っかを嵌めているのでしょうから、おそらく営業時間が終われば首輪を外して普通に生活しているのでしょう。



人様にカメラを向けるのは気が引けるものの、こういう場所なら向こうも撮られることに慣れているだろうと判断し、何気なく機織り真っ最中のこのおばあちゃんを撮ったのですが、帰国後に改めてこの村について調べたところ、このおばあちゃんはタチレクを訪れた日本人旅行記で頻出していることが判明しました。見方を変えれば、このおばちゃん以外、首輪をたくさん嵌めている女性がなかなかいない、ということでもあります。


 
土産物屋しかない単なるショボい施設なのかと思いきや、実際にカレン族はここで生活しているらしく、洗濯物を干す民家の他、共同の水場やトイレも見受けられました。赤ん坊を抱く女の子は、お目目がパッチリしていてかわいいですね。


 
一本道の坂を登り切った先はちょっとした展望台になっており、荒涼とした景色が広がっていました。一帯はこれから開発が進むのでしょうね。こうした景色を未開のフロンティアと捉えるか、後世に残すべき麗しの農村風景と考えるか、人によってそれぞれなんでしょうけど、徒に乱開発されるのは心が痛むし、かといって開発を止めて環境保護に努めよと叫ぶのも先進国の奢りであって聊か無責任ですし…。舞い上がる赤い土埃の彼方に果てしなく広がる農村風景を目にし、複雑な思いが去来しました。

ところでこの首長族村では、気の毒な言い方をすれば自らを見世物にして生計を立てているわけですが、入口には料金所という名のゲートが設けられ、周囲はいい加減なものながら壁やフェンスで囲まれています。そしてミャンマー(ビルマ)政府は反政府運動を繰り広げるカレン族を今まで目の敵にしてきました。そんな歴史的な流れとこの村の構造を重ね合わせると、ここが所謂ゲットー(ghetto)のように思えてならず、その発想に至った途端、展望台からの景色以上に重い気持ちが私を支配しはじめたので、これ以上ここで写真を撮るのをやめ、坂を下って早々に村から立ち去ることにしました。ちょっと考え過ぎかもしれませんけどね。

タチレクを訪れた多くの日本人観光客が旅行記で語っているように、この街には健全且つ面白い観光名所は無さそうです。いや、郊外まで足を伸ばせばきっと美しい景色が待っているに違いありませんが、残念ながら今回はそこまでの時間がありませんし、そろそろ出発して1時間が経とうとしていたので、運ちゃんに声をかけてスタート地点のロータリーへ戻ってもらうことにしました。


 

ロータリーへ戻るとちょうど小腹が空いていたので、運ちゃんを誘ってマーケットの屋台で一緒にスープヌードルを啜りました。結構うまかったですよ。ちなみにこの運ちゃんのことを、その容姿からココリコ遠藤と心の中で呼んでいました。ダイナマイト四国遠藤くん、ありがとうプゥ(←前妻風)。


その3へつづく。
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ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その1

2014年05月19日 | 東南アジア旅行記
※今回の記事に温泉は登場しませんのであしからず。内容が冗長になりそうなので、その1からその3まで3編に分け、その3編をまとめてアップします。

この度のタイ北部旅行では、予定を変更してバンコクへ戻る日を一日後ろへズラし、チェンライ付近の温泉をより多く巡ろうと企てたのですが、チェンライからちょっと北へ足を伸ばしてタイ最北の街メーサイまで行けば、小さな川を隔てて隣接しているミャンマーのタチレク(タチレイ)という街を訪問でき、しかも通常ミャンマー入国にはビザを要するにもかかわらず、このタチレクだけならノービザで入国できるらしいので、我が人生でミャンマーを訪れるなんて私にとっては余程の縁がない限り一生に一度あるか無いかの機会ですから、無理やり時間を捻出して、ミャンマーの地を自分の足で踏んでみることにしました。

訪問前夜にホテルの客室で、地図とニラメッコしながら予定をやりくりしたところ、今回のタチレクで滞在できる時間は僅か2時間しかなく、これでは国境をわたってその周りをウロウロするだけで終わってしまいそうですが、その短時間でも何か見処は無いものかと、自分のPCを起動してGoogleで「タチレク」と検索してみたら、続いて表示される予測変換ワードには「ビザ」「地図」「ホテル」の他、「女」「置屋」などといった特定な傾向が示されました。なるほど、タチレクってそういう街なのか…。相当怪しい臭いがプンプンしますね。


●メーサイから出国
 
まずはチェンライからレンタカーで国道1号線を道なりに北上すること1時間、タイ側の国境の街メーサイに到着です。車のまま越境するには面倒な手続きを要するはずですので(レンタカーでは無理かも)、私は駐車場に車を預けることにしました。国道1号線のドン詰まりには後述する国境ゲートの青い建物が聳え立っていますが、その直前には左側へそれる側道が伸びていますので、そこを進んで緩い坂を下り、道なりに前進してゆくと、やがてゴチャゴチャしているアーケードへと入ってゆきます。このアーケード内には数ヶ所の駐車場があり、どこも似たような料金(40バーツ)でしたので、私は「停車」という漢字表記が出ていた上画像の駐車場を利用しました。


 
メーサイはタイ最北の地であり、"THE NORTHERN MOST OF THAILAND"のモニュメントは記念撮影スポットになっているそうですが、私の訪問時は誰もおらず閑散としていました。このモニュメントの先にはドブ川を跨ぐ簡素な橋が架かっていますが、これが国境を跨ぐ橋なんですね。
余談ですが私は4年前に国際列車でマレーシアからタイのハジャイへ入国しているので(拙ブログ「マレー半島 鉄道北上記 その3」)、なんだかんだでタイの南端と最北端を制覇したことになります(南側は最南端ではありませんけどね)。


 
国境の街らしく国道1号線沿いは活気に溢れていましたが、一歩裏路地に入ると俄然うらぶれた景色となり、昼間なのに心細さを覚えます。ドブ川沿いの建物にはバランスの悪いカタカナで「ホテル」と書かれていますが、どんな安宿なんでしょうか。その傍らの土産屋ではバルーンのドラえもんが物憂げな笑みを浮かべていました。


 
今回は滞在時間が限られていますから、さっさとイミグレを通過しちゃいましょう。全体的にブルー基調のタイ側の国境施設ですが、その左下にある真っ青なテントの歩行者専用ゲートより入っていきます。ゲート内は4レーンほど分かれており、私のようにタイ人でもミャンマー人でもない外国人は、一番右側の「PASSPORT CONTROL」に並びます。午前中の比較的早い時間に訪れたためか、この時は先に5人ほどしか並んでおらず、サクサクっとスムーズに出国できました。


 
タイとミャンマーには30分の時差があるんだそうでして、イミグレの館内にはその時差を示す2つの時計が並んでいました。このようにイミグレ内で簡単に撮影できちゃうぐらい、管理体制はユルユルです(一般的にイミグレ内って撮影禁止ですよね)。さてイミグレのビルを出ると、その先には"Go To Myanmar"のプレートが。


 
先ほど「タイ北端の地」のモニュメントから見た国境の橋を渡ります。なおタイは日本と同じ左側通行ですが、ミャンマーはかつてイギリスの植民地だったのになぜか右側通行ですので、この橋の上で左側から右側へクロスされるんですね。私もこの橋の上で左側の歩道から右側の歩道へ移って先へと歩きます。なぜなら、この先のミャンマー側イミグレは右側の歩道にあるから。


●ミャンマー入国
 
この泳いで簡単に渡れそうなほど細く濁った川が国境。棒高跳びの選手だったら、泳ぐこと無く竿で簡単に飛び越えられそうです。橋をわたってすぐのところには「ゴールデン・トライアングル」と記された看板が立っていました。観光名所としての「ゴールデン・トライアングル」はもっと東にあるメコン川流域のラオス国境ですけど、このタチレクもそのエリアであることには違いなく、それどころか、この街は麻薬王として有名なクンサーの根拠地であり、下手すりゃ一帯はミャンマーから独立してシャン邦共和国となっていた可能性だってあるわけです。



さてミャンマーへ入国です。前日ネットで調べていた情報によれば、ミャンマー側のイミグレでは、事務所内でデジカメ撮影が行われて、その画像がプリントされたペライチ(紙一枚)の簡単なエントリーパーミットが発行されるとともに、パスポートはミャンマーのイミグレでよ強制的に預けることになって、出国時にパーミットと引き換えに返却される、のことでしたが、私がイミグレ官吏に所定の料金である500バーツを支払ってパスポートを提出すると、日帰りであることを確認した上で、当日の日付が入った入国および出国のスタンプが同時にパスポートへ捺され、その場でパスポートが返ってきました。そして職員は私に「写真は要らないよ」と告げて、そのままパスポートコントロールを出るように指示されました。エントリーパーミットに関する取り扱いが変更されて簡素化されたのでしょうか、あるいはこの日はパーミットを発行する機械が故障していたのでしょうか。いずれにせよ、当日の出国スタンプも捺されていますので(しかも出国スタンプには"Left for MAE SAI"と印字されている)、今日中に出国しなきゃいけないわけです。もし宿泊予定の人はどうするんでしょう? ま、私は2時間しか滞在しませんから問題ないのですが、それでも出国時にパーミットが無いことでトラブルになったらどうしよう、という不安が頭をもたげます。



そんな不安を抱きつつイミグレを出ますと、早くも旅行者を待ち構えていた男たちに囲まれ、異口同音にタバコは要らないか、トゥクトゥクに乗らないか、とスゴイ物売り合戦が始まりました。そればかりか、バイアグラ・ブンブン(インドシナ一帯で売春を意味する俗語)・ドラッグなどなど、ストレートな言葉も矢継ぎ早に浴びせられ、前夜にGoogleの予測変換機能が示してくれた意味が早くも理解できました。でも、この欲求むき出しのロクデモナイ雰囲気も、東南アジアらしい面白さがあって結構好きなんです。たしかに外国人の男が一人で当地を訪れるとなれば、「打つ」か「買う」かのいずれかを目的としていると認識されちゃうのでしょうね。でも品行方正(?)な私はそんなものには手を出しませんよ(今回は)。そもそも、そんな時間もありませんしね。鬱陶しい物売りたちを無視しながら、イミグレを出てすぐ右手に広がるタチレク名物のマーケットを見下ろしつつ歩道を進むと…


 
様々な広告に彩られたロータリにたどり着きました。この先自分で歩いて適当に散歩しても良かったのですが、私に声を掛けてきたトゥクトゥクの運ちゃんの中で、最も誠実そうな容姿の比較的若い男性に値段交渉したところ、最終的に彼は私の妥協できる金額で首肯したので、彼のトゥクトゥクに乗り込むことにしました。彼に決めた自分の判断を省みるに、商売ってやっぱり見た目(第一印象)が大切なんだなと実感した次第です。


 
トゥクトゥクに乗り込んで1時間のタチレク観光スタート。「タチレク」でググッて表示される旅行記を拝見しますと、皆さん同じような定番ルートを辿っていらっしゃるようですが、ご多分に漏れず私もそのルートを踏襲することになりました。
あの細いドブ川を渡るだけで街並みは一変し、その風景から両国の間に歴然たる経済力の差があることは明々白々。埃っぽくてデコボコが目立つ道路を走る車両はポンコツバイクが多く、自動車も相当古いものばかり。沿道に並ぶ商店の品揃えもタイとは比較になりません。時が何十年も昔へ引き戻されたかのような感じです。


●1つめのお寺
 
まず運ちゃんが連れて行ってくれたのが、この立派な寺院です。名前は失念…。明らかにタイの寺院とは建築様式が異なり、中央の塔から四方へ4本の棟が伸びているような造りでして、その屋根は重層的であり、しかも屋根に施された細工が実に繊細で、思わず目を奪われます。入国早々に当地のロクデモナイ雰囲気や低い経済力を目にしていたので、正直なところ、国境の田舎町にこんな荘厳で秀麗な建築物があるとは想像だにしていませんでした。


 
本堂の前に居座る物乞いのお婆ちゃん(画像左端)のしつこさに辟易しながら中へ入りますと、国境付近の喧騒とは無縁の静謐が支配する堂内にはキンピカに輝く仏壇や仏像が祀られており、高い天井や内壁など装飾もそれなりに立派なのですが、なぜか仏壇にはLEDの安っぽい電飾が、「魅せられて」のジュディ・オングの衣装みたいにぶら下げられており、せっかくのありがたい仏様が安っぽく見えてしまいました。


●シュエダゴン・パゴダ
 
1つ目の寺院を出たトゥクトゥクは、非力なエンジンを唸らせつつ、息せき切らせて止まりそうになりながら坂を登って、タチレクのランドマーク的存在であるシュエダゴン・パゴダへ。私は運ちゃんに1時間コースをお願いしましたが、それより短い時間の観光でもここは必ず訪れるようですね。金ピカの仏塔が雲一つない晴天の陽光を受けて、キラッキラに眩しく輝いていました。ちなみに膨よかな人形が担いでいる鐘を何回か鳴らすと幸せになるんだとか。でもそれを知ったのは帰国後でして、相変わらず私はうだつの上がらない毎日を送っております。余談ですけど、この人形の顔に似たお面って、むかし日本で流行ってませんでした?


 
入口付近では托鉢する坊さんの人形が並んでいるのですが、いずれも安っぽくて没個性で不気味。夜中に見たら怖いでしょうね。しかもその容貌は何故かみんな故成田三樹夫にソックリ。合掌しながらで良いから、往年のドラマ「探偵物語」みたいに「工藤ちゃん」って言ってくれないかなぁ…。なお、この托鉢する坊さん人形の先頭では、同じ袈裟を来た僧侶が金ピカの仏様に向かってひれ伏して合掌していたのですが、既にこの僧侶群と成田三樹夫を頭の中で結びつけてしまった私は、刑事ドラマ内でヤクザの大親分に対して命乞いをしている囚われの身の下っ端刑事にしか見えませんでした。テレビの見過ぎでしょうか。


 
清浄なる仏塔のまわりは土足厳禁ですので、参詣客は手前で靴を脱ぐわけですが、何かにつけてすぐ小銭を絞り取ろうとするのが貧しい国らしいところであり、その靴棚には「2バーツ」と掲示されていました。尤も、特定のスタッフがいるわけでもなく、結構いい加減ですので、私は適当に監視をかわして…(以下省略)。また下足場の前では小学生や中学生くらいの女の子達がお供えの花を立ち売りしており、紳士な観光客はみなさん笑顔で彼女たちから花を買っていましたが、特に興味のない私は見て見ぬふりをして先へと向かいます。



労働に勤しむ女の子達がほっぺに塗っているのは日除けのために木をすりつぶしたものでして、その名をタナカというんだとか。中高年の日本人団体客がその名を知ったら、間違いなく同行のガイドさんに「スズキは無いの?」とか「サトウって言うのかぁ」なんて面倒臭いボケをかまして、ガイドさんの眉間に深い皺を刻みそうです。実際にミャンマーでそのような不毛なやり取りが何度も繰り広げられたことは想像に難くありません。ちなみにこのタナカはてっきり子供だけが観光客に見せるために塗っているのかと思っていたのですが、この後に街中を散歩していたら、観光とは全く関係のない生活臭溢れる場所でも、老いも若きも女性の多くはこのタナカを塗っており、日常生活には欠かせないものであることを知りました。おかげさまで脳みそに皺が一本増えました。


 
金ピカの丸い仏塔の周囲には、一週間の各曜日に応じた仏様か神様かが祀られており、自分の生まれた曜日のところでお祈りをすると良いんだとか。先程の少女たちが売っていたお花はここで供えるんですね。この時も熱心にお祈りする信心深い方を見かけましたが、私は自分の生まれた曜日なんて知りませんから、ただボンヤリと眺めるほかありません。というか、日本人で自分の生まれた曜日を知っている人なんて、四柱推命を信じる人以外、あまりいないような気がします。


 
パゴタの一帯は高台になっており、先ほど越えてきた国境付近やタイのメーサイ方面を一望できました。ちょっと霞んでいるものの、高い建物が無いので、結構遠くまで肉眼で眺望できましたよ。

その2へつづく。
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東南アジアの目次

2011年08月15日 | 東南アジア旅行記
2015.12.16更新

当ブログで記事にしてきた東南アジアの温泉や旅行記を一覧にしました。


●東南アジア旅行記
マレー半島 鉄道北上記 その1
マレー半島 鉄道北上記 その2
マレー半島 鉄道北上記 その3
マレー半島を格安航空会社で南下 その1
マレー半島を格安航空会社で南下 その2
ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その1
ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その2
ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その3
カンボジア トンレサップ湖のスポードボート(2014年) 前編
カンボジア トンレサップ湖のスポードボート(2014年) 後編
カンボジア現代史の暗黒 その1 キリング・フィールド
カンボジア現代史の暗黒 その2 S21(トゥール・スレン)
プノンペンの街をせわしなく逍遥 前編
プノンペンの街をせわしなく逍遥 後編


●タイ北部
チェンマイ県メーオーン郡 サンカムペーン温泉
チェンマイ県メーオーン郡 ルンアルン温泉
チェンマイ県ドーイサケット郡 ドーイサケット温泉
チェンマイ県プラーオ郡 ノーンクロック温泉
チェンマイ県プラーオ郡 ポーン・ブア・バーン温泉
チェンマイ県サムーン郡 ポーンクワーン温泉
チェンマイ県サムーン郡 メートー温泉
チェンマイ県メーテーン郡 ポーンドゥアット温泉 その1
チェンマイ県メーテーン郡 ポーンドゥアット温泉 その2
チェンマイ県チェンダオ郡 チェンダオ温泉(土管温泉)
チェンマイ県チェンダオ郡 ピン川の川原で野湯
チェンマイ県チェンダオ郡 ポーンアーン温泉
チェンマイ県チャイプラーカーン郡 熱水塘温泉
チェンマイ県ファーン郡 ファーン温泉 前編
チェンマイ県ファーン郡 ファーン温泉 後編
メーホンソーン県 ターパイ温泉
メーホンソーン県 パーイ・メモリアルブリッジ下の土管風呂
メーホンソーン県パーイ Pripta Resort その1
メーホンソーン県パーイ Pripta Resort その2
チェンライ県メースワイ郡 ランナー温泉
チェンライ県ムアンチェンライ郡 パースー温泉
チェンライ県ムアンチェンライ郡 ポーンプラバート(バンドゥ)温泉
チェンライ県メーチャン郡 パートゥン(ファイヒンフォン)温泉
 

●タイ南部
タイ クラビ クロントム温泉(及びクリスタルプール)
ビーチリゾート・男一人旅 タイ・クラビ その1
ビーチリゾート・男一人旅 タイ・クラビ その2


●マレーシア
マレーシアの温泉巡りに役立つ情報
ペラ州 ルブクティマー温泉 Lubuk Timah Hot Spring
イポー郊外 スンガイクラー温泉 Sungai Klah Hot Springs Park
クアラルンプール近郊 スラヤン温泉 Selayang Hot Spring
ヌグリ・スンビラン州 ウェットワールド アイルパナス ペダス リゾート
マラッカ州 ガデク温泉 Gadek Hot Spring
マレーシアのレンタカー初体験
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