温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台湾 廬山温泉の現状(2024年1月)

2024年02月16日 | 台湾
(2024年1月訪問)
拙ブログでは珍しく鮮度の良い情報を記事に致します。
私は2024年1月に数日だけ台湾へ出かけてまいりました。その主たる目的は4年に一度行われる総統選の様子を見学することでしたが、せっかく台湾へ来たのですから温泉もいくつか巡ってきました。
今回の記事ではその中でも日本統治時代から温泉地として台湾の方々に長年親しまれてきた南投県・廬山温泉の現状についてお伝えいたします。

現状をお話しする前に、ここ数年の廬山温泉を巡る状況について簡単にご説明します。
拙ブログでも過去記事でお伝えしておりますが、日本統治時代に富士温泉と呼ばれた廬山温泉は、急峻な地形が災いして土砂災害に遭いやすく、ここ20年近い間でも大雨に伴う土砂災害に何度か見舞われています。2008年や2012年6月の豪雨では土石流が温泉街を集中的に襲い、谷底の温泉旅館は一部が倒壊し、あるいは1階部分が悉く浸水して、甚大な被害が発生しました。2012年6月の災害については拙ブログの過去記事をご参照ください。

さらに2023年8月には台風が一帯を直撃して再び土石流が発生。また周辺の山肌も崩壊して山崩れも発生。廬山温泉は惨憺たる姿と化してしまいました。当時の様子を捉えたニュース映像がYoutubeに複数上がっていますので、その中のいくつかをご紹介いたします。




このように雨や地震などですぐに災害が発生してしまう非常に危険な状況のため、地元の南投県当局は廬山温泉を閉鎖し、温泉街を代替地へまるごと移転する計画を立てていますが、この移転計画は全くといって良いほど上手くいっていません。以前から廬山温泉で旅館を営んでいる業者の多くが無許可であり、資金調達ができず、移転に関する補償を行政から受けることができないためです。

さて上述のように、私が廬山温泉を訪ねたのは2024年1月。2023年夏に発生した台風被害の惨状がまだ生々しく残っていました。ここからは、その時の様子を画像と共にご紹介してまいります。


14号線を東進して廬山温泉エリアへとやってまいりました。温泉街に近づくにつれ、道路の舗装面が割れて凸凹になり、砂埃がしきりに立つようになってくるのですが、道路右手の谷側の視界が妙に開けていると思ったら・・・


温泉街手前にある公共駐車場は斜面崩壊によって基礎が大きく抉れてしまい、いまにも谷側へ倒壊しそうな状況でした。応急的な仮設の柱を立てることによって辛うじて倒壊を免れていますが、もし今後地震や風水害が発生したら、ひとたまりもありません。


川沿いに広がっていた温泉街の建物はことごとく姿を消し、道路も消失しています。その一方で災害復旧工事が行われており、仮設の砂利道や橋は一般の方も通行できます。


道路のどん詰まりには小規模な旅館や飲食店が立ち並んでいますが、多くは休業しており、一部の飲食店のみ営業していました。


廬山温泉の象徴的な景色であるこの吊橋ですが・・・


橋の手前には「川の土石流堆積がひどく安全性に影響が出ているので、もし必要なければ通行しないでください」との看板が立っていました。とはいえ、見たところそこまで危険だとは思えなかったので、自己責任で渡ってみることに。



かつてこの吊り橋は結構な高度感がありましたが、今回吊り橋を渡ってみたところ、土石流災害によって河床が埋め尽くされ、谷状の地形が失われて、以前とはまったく異なる景色に変わり果てていました。周辺の旅館は下層階が完全に土砂で埋まり、廃墟と化していました。


吊り橋を渡った対岸も旅館などが建ち並んでいますが、多くは休業中。わずかな商店や宿だけが開いていましたが、週末だというのにここを通る観光客の姿はほとんどいません。


川の上流に向かって歩いてゆくと、営業している温泉旅館を発見。


警察の保養所である「警光山荘」は休業しているようでした。


川沿いの遊歩道で上流へ向かうと廬山温泉の源泉があり、その途中にも商店が立ち並んでいるのですが、どのお店も閉まっていました。完全なシャッター商店街です。


さて、私がなぜ災害後の廬山温泉を訪問したかったのか。その理由は、源泉付近が以前とすっかり姿を変え、実質的なキャンプ場になってしまったという噂を知ったからです。源泉に向かう川沿いの遊歩道を進んでいきましょう。


途中で土砂崩れのため通行できなくなるのですが・・・


その手前には、土石流の影響で斜めに傾いでしまった階段がありますので、これで河原へ下りてみますと・・・


噂通り、かつては深い渓谷だった廬山温泉の源泉付近は土石流によって埋まって広い河原と化してしまい、その広い河原にはいくつものテントが張られ、多くの方々がキャンプを設営していました。


災害後も源泉はまだ活きており温泉の湧出も続いているのですが、そこから温泉街へお湯をもってゆくホースの一部が外れて河原へ漏れているらしく、キャンパーたちが河原に穴を掘ってそのお湯を溜め、水着に着替えて野湯を楽しんでいました。


こちらは源泉(温泉頭)にあるお茶屋さん。かつては飲料や温泉卵を売っており、足湯もあり、頼めば露天風呂にも入らせてくれました。拙ブログでも以前取り上げたことがありますが(当時の記事はこちら)、当時の画像と2024年1月の画像を比較すると、大量の土砂で埋まることにより河床が5~6メートルほど上がってしまったことがわかります。また建物も半壊状態になっていることが見て取れます。源泉のお茶屋さんも廃墟になってしまったのでは・・・


そう思って建物の脇から階段を上がると、逞しいことにこの状態でも営業を続けており、店のお爺さんは出来上がったばかりの温泉卵を抱えて店の外へ出ていきました。


またお店の下層にあった露天風呂も残っており、この日もお湯が張られてお客さんが湯浴みを楽しんでいました。



お店の周りでも温泉が湧き続けており、まだまだ廬山温泉の源泉は健在であることを確認することができました。



2023年夏の台風襲来による土石流災害で廬山温泉では甚大な被害が発生し、温泉街は廃墟同然となってしまい、源泉付近の渓谷も景色が大きく変わってしまいましたが、むしろその状況をキャンプすることで楽しもうとする台湾の方々の逞しさには、ただただ感心するばかりです。
とはいえ廬山温泉一帯が災害が発生しやすい場所であることに変わりはありませんので、あまり迂闊に当地を訪れることはお勧めしません。


ところで、廬山温泉の代替地として行政側が用意しているのが、南投県埔里近郊の福興エリアです。
このエリアについては昨年も拙ブログでご紹介しましたが(昨年の記事「福興温泉エリア(廬山温泉移転先)の現状」はこちら)、2024年1月現在(上画像)も造成されたままの空き地が広がるばかり。見た感じでは昨年から全く進展が無いのです。


インフォメーションセンターや農協の直売所等も、昨年同様に常時閉鎖されたままで開く気配がありません。しかしながら、この造成地各区画も既に買い手がついているらしいので、今後徐々に開発が始まってゆくのかもしれません。

最後に、移転に消極的な廬山温泉の旅館業者の嘆きニュース映像になっていましたのでご紹介します。
内容を簡単に言ってしまえば「お金がないのにどうやって移転するんだ」ということです。


福興温泉エリアは表向き廬山温泉の代替地として開発されましたが、どうやら廬山温泉の業者がこの新天地で再出発できるわけではなく、資金力がある全く別の資本家が新たに温泉リゾートを開発してゆく形になりそうです。高速道路の出入口から近く、また中国大陸からやってくる団体観光客が大好きな中台禅寺にも近いため、展開によってこの広大な空き地は大化けするかもしれません。

.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする