細い顎が震えている。青白い顔に朱が差している。今度は大仁田が必死で止めに入ったほど、美咲は興奮していた。
「個人主義なんてどうでもいいんです。私たちは夫婦だったんです」
女はだいたい理屈に合わないことを口走るが、これは正にそれである。夫婦だったからどうだと言うのだ。それを是が非でも美咲の口から聞き出したい私の望みは誰にも伝えることができない。
紐の切れる鈍い音がした。続けて波のような小気味よい音がした。美咲の握り締めていた数珠が切れたのだ。黒珠がばらばらと畳に広がった。それは固体であるのに飛び散った鮮血のようにも見えた。屋根に当たる大粒の雨が畳まで落ちてきたようにも見えた。
それが合図であった。数珠の糸が切れたことで緊張の糸まで切れたのだ。美咲はまたしても泣き始めた。老婆のように背中を丸めて嗚咽した。声を殺しているが、肩の震えが静寂の中で滑稽なほど目立つ。
美咲よ。私は彼女の上下する肩に手を置いた。美咲よ、夫婦だから、どうだと言うのだ。
だがもちろん私は私の殻の中で手を置いたのであり、私の手は何ら感触も温かみも得るはずがなく、私の言葉が美咲の嗚咽を一瞬たりとも妨げることはない。
(ほそぼそとつづく)
「個人主義なんてどうでもいいんです。私たちは夫婦だったんです」
女はだいたい理屈に合わないことを口走るが、これは正にそれである。夫婦だったからどうだと言うのだ。それを是が非でも美咲の口から聞き出したい私の望みは誰にも伝えることができない。
紐の切れる鈍い音がした。続けて波のような小気味よい音がした。美咲の握り締めていた数珠が切れたのだ。黒珠がばらばらと畳に広がった。それは固体であるのに飛び散った鮮血のようにも見えた。屋根に当たる大粒の雨が畳まで落ちてきたようにも見えた。
それが合図であった。数珠の糸が切れたことで緊張の糸まで切れたのだ。美咲はまたしても泣き始めた。老婆のように背中を丸めて嗚咽した。声を殺しているが、肩の震えが静寂の中で滑稽なほど目立つ。
美咲よ。私は彼女の上下する肩に手を置いた。美咲よ、夫婦だから、どうだと言うのだ。
だがもちろん私は私の殻の中で手を置いたのであり、私の手は何ら感触も温かみも得るはずがなく、私の言葉が美咲の嗚咽を一瞬たりとも妨げることはない。
(ほそぼそとつづく)
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