peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

岩手県立花きセンターのアカタコノキ/ビヨウタコノキ 2017年12月8日(金)

2018年01月11日 | 植物図鑑

2017年12月8日(金)、岩手県立花きセンター(胆沢郡金ケ崎町六原)に行ってきました。「花の館

温室」「亜熱帯温室」エリアアカタコノキ(ビヨウタコノキ)という名の樹木が、植栽されてい

ました。 2011年11月18日に撮ったものも含めました。 

 アカタコノキ/ビヨウタコノキ(美葉蛸の木)タコノキ科 タコノキ属 Pandanus utilis
タコノキ科(Pandanaceae)のタコノキ属(Pandanus)は、アメリカ大陸を除く世界の熱帯に約650

種あるという。雌雄別株の低木または高木。多くのものは幹は直立し、よく分岐して茂り、多数の気根

をもつ。この幹の下半部から放射状に気根を延ばした姿タコ(蛸)に似ていることが名前の由来とな

っている。はやや剣状螺旋(らせん)状に配列し、葉縁および主脈に鋭い刺をもつものが多い。

「アカタコノキ/ビヨウタコノキ」と呼ばれる「Pandanus utilis」は、マダガスカル(アフリカ熱帯

雨林気候区)原産で、高さ20mくらいになる。あまり枝を分岐せず、気根も少ない。は青緑色で

直立し、長さ30~90cm、5~8cm、縁や下面の主脈には鋭い刺がある。観賞用には3mぐらいのもの

がある。寒さには弱い。原産地では葉でバスケット、カバン、ムシロなどを作る。 

http://blog.goo.ne.jp/pea2005/e/05f1eb6dba76f2c08ce1cd819b421f40 [peaの植物図鑑:岩手県立花きセンターのアカタコノキ/ビヨウタコノキ(美葉蛸の木)2007年12月21日(金)] 


北上市立博物館見学(その2)  2018年1月8日(月)

2018年01月11日 | 遺跡、石器・土器、古墳、

 

2018年1月8日(月)、北上市の映画館に行った帰りに、北上市立博物館(北上市立花14地割59番地)

に立ち寄りました。この博物館には、2016年9月22日(木)に「リニューアル・オープン」した後、一

度行っているのですが、この日は受付前に「大竹廃寺跡出土鉄鐘(北上市指定文化財)」が展示されて

いました。その上、この鐘のレプリカも展示されていて、誰でもこの鐘を突いて良いと書かれていまし

た。妻は2度も突いていましたが、良い音色を響かせていました。 

 

 

(上)北上市立博物館発行「北上市立博物館常設展示解説図録」:ほぼ全部

の展示物の写真と解説が掲載されています。 


北上市立博物館見学(その1)  2018年1月8日(月)

2018年01月11日 | 企画展

2018年1月8日(月)、北上市の映画館に行った帰りに、北上市立博物館(北上市立花14地割59番地)

に立ち寄りました。この博物館には、2016年9月22日(木)に「リニューアル・オープン」した後、一

度行っているので、余り気乗りしませんでしたが、妻が「収蔵資料展:民具蒐集家・丹治敬子さんから

の贈り物」という企画展みたいなものがあるというので、立ち寄った次第。彼女が収集した逸品とその

彩色スケッチなどが展示されていました。民具骨董への愛にあふれた作品(絵)は、昔の生活を懐かし

思い出させてくれました。

(上)天秤秤と錘:私が子供の頃(70年ほど前)は、供出する米などをこれ以上巨大な秤で量っていま

した。(大人の男が4~5人がかりでした。)一升升(マス)は日常の計測器で、配給の米などもマス

量っていました。(振動を与えると余計に入るので、売る側は名人芸でした。)算盤(そろばん)は、

5つ玉のものが使われていて、親たちは4つ玉のものより使いやすいようでした。)

(上)下駄は日常の履物で、よそ行きには必ず履きました。(桐材のものは高価なので焼杉の材で作ら

れたものが多用されました。)草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)も現役で活躍していました。

(上)私が中学生の昭和29年頃、学校の暖房は石炭ストーブが主でした。当番に当たっている日は、石

炭置き場から、薄い鉄板製のバケツで運んだものでした。(授業中は先生がときどき燃えカス落しをし

てくれました。)左側の容器は、燃えカスなどを入れる消壺で、火気には気をつけたものです。

(上)手動の消火用ポンプ(と思われますが、どれほどの威力があったのでしょうか?)

(上)左側の女の子は、藁で編んだ雪靴(深靴)を履いていますが、農村では昭和30年代ごろまで良く

使われていました(福島県郡山近郊の農村)。雪が溶けると足が濡れるのが欠点でした。(私は母のゴム

長靴を専用していたので、ほとんど履いた記憶がありません。)