唯一、まともなピザを提供していた「フォルマッジョ」
が閉店することになった。
八月に入り、ピザを止めた時点で、何かおかしいとは
感じていたが、そういうことだったのか。
これで、ちゃんとした「ナポリピザ」を食べられる店
は、この地方ではなくなったことになる(あえて断言)。
確かに、集客という点では厳しそうであった。
傍目にも、よくやっていると思った。
想像であるが、一番の理由は、地元客が少なかったと
いうことではないか。
はっきり言って、地元レベルではなかったが、そのこ
とがいけなかった。
本当は、それ故価値が高いのだが、経営面では残念な
がらマイナス要素となってしまう。
よく、美味しければ客は来る、とまるで絶対的な条件
の如く言われているが、これは嘘である。
嘘とは言わなくても、その内容には条件が付く。
美味しさのレベルが、ある以上にならないという条件
が。
つまり、不特定多数に受ける味というのは、決して本
格的でもなくいい材料を使うのでもない。
「コンビニ」あたりで受けている味が基準である。
この基準から離れれば離れるほど受けなくなるのだ。
それと店の場合、味以外の要素も関わってくる。
サービスとか、店の人間の印象とか。
一般的に、味にうるさいところは媚が少ない、つまり
愛想があまり良くないという傾向がある。
サービス業として良いことではないが、事実である。
この点は、特に地方では大きなマイナスとなる。
何故かというと、味中心というほど判ってる人間は多
くないので、多数派の印象が絶対的な影響力を持つ。
これは「フォルマッジョ」がそうであったということ
ではなく、一般論として言えることなのだ。
「フォルマッジョ」に関しては、例えば、子供の年齢
制限とか、持ち帰りの「ピザ」は絶対やらないとか、
いくつか目に見えるマイナス要素はあった。
頑固なまでの方針は、良し悪しである。
味に関しても、「マルゲリータ」は水牛のモッツァレラ
がなければ作らないとか、かなり厳しかった。
全体的に、はっきり店主の個性が出た店であったが、
ある味を守るためには、このくらいの厳しさがないと
維持できないという現実がある。
「悪魔の囁き」に対抗するためには止むを得ないのだ。
しかし、始めに戻るが、そういう店は受けない。
結果、流行る店は決まってくる。
個人的には、流行ってる店で良いと思ったのは、殆ど
ない。
「豊かな文化」とは、個性的な店(質の高いものを提
供するという意味で頑固なだけの店という意味ではな
い)も許容するその懐の深さにあると思うが、傾向と
しては、どんどん駄目になっている。
ラーメン屋の隆盛もそれと無関係ではない、と思うが、
少数派の悲哀を感じるだけの今日この頃である。