ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

事故米

2008年09月14日 | 食べ物


「汚染米」「事故米」、思った以上浸透してるようで、
それらを仕入れていたところは「てんやわんや」(こ
の言葉もあまり使われなくなった)の状態だ。
それにしても、政府から原価10円で仕入れ50円で
卸すというのも、なかなかあくどいというか上手い商
売をしたものだ。
その流通過程で、醸造会社は食品として仕入れたとい
うことだが、いずれにしろ安い原料として仕入れたの
は間違いないだろう。
結局、酒類も、原料が大事だ水が大事だなどと言って
も、実際はこの程度の原料で作っても味的には問題が
無かったという、実にトホホな実態があぶりだされて、
消費者もこの程度かという認識を新たにしたのが、今
回の事件であった。
一番空しいのは、本当にちゃんとした原料を使って真
面目に作っている醸造元であろう。
「良い物を作っても解ってくれないんだよな」という
嘆きが聞こえそうだ。

一般的に、酒類は二極分化が激しい。
大多数は、何でもいいという人間だろう。
その反対の、拘り派は、うるさいくらいに銘柄に執着
する。
うるさいくらいにというより、鬱陶しいと言った方が
いい。
質を求めると、自然に拘るというか、限定されてくる
のは間違いないが、酒の場合、それ以外の要素も大き
く関わってくるから鬱陶しくなるのだと思う。
まず、質だけでは測れない嗜好の部分が大きい。
それと、知識がものを言う世界であるという部分。
特にワインなど、それだけで知らない人を黙らせる力
を持っている。
本当に味が判って言っているのなら、参りましたとな
るところだが、見たところ、そういう人は一割くらい
ではないかと感じる。
知識だけで楽しめるというのも、一つの趣味としては
ありだが、それはそういう仲間の中だけでやれば良い
ことである。
そこで、どっちが上かを競う。
それも一つの楽しみ方であろう(多分関係が悪くなる
だろうが)。
しかし、真面目な醸造元は、こういう人たちを相手に
しないといけないので、ここがまた辛いところだろう。

最近は「焼酎」がそのワインに近い盛り上がり方をし
ているが、これも不思議で、そもそも「焼酎」という
のはそんなに微妙なお酒なのかという疑問が拭いきれ
ないのだ。
味は当然違うのだろうが、その微妙な部分を問題にす
るような飲み物ではないと思うのだ。
毎晩晩酌に地物の焼酎を飲む、そして今年のものは良
い味だなどと言って楽しむ、それだけで充分だと思う
が。

地産地消に徹すれば、今回の事件も起こり得なかった
が、大量生産大量消費というのは、必ずこういう事件
を生む。
大きな利益を期待できるところには、必ず不正あり。
市場原理というのは、結局、欲望を適当なところに収
めるというメカニズムで、不正には関知しない。
むしろ倫理を崩壊させる方向に働くような気がする。
他に良い方法はないのか、と思うが、ないんだねこれ
が。

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