布袋様の投入効果か、ここにきて「滝壺ビオトープ」の
水質は一気に改善されてきた。
透明度も上がり、臭いも収まってきた。
一体どういうメカニズムが働いたのか、何はともあれ
めでたしめでたしである。
これで、三匹となった「ヒメダカ」も大丈夫だと思う(呆
気なくヤゴの餌になる可能性はあるが)。
こうなると、また何か他の生き物を入れたくなるが、
ここは我慢。
余計なことはしないのが一番である。
折角の平衡状態なのだから。
フローベールの「感情教育」は、上を読み終わったと
ころ。
この手の小説につきものの、名前と人物が一致するま
でに時間がかかるというのは、今回も経験。
しかも、この小説、その人物の名前が突然愛称になっ
たり本来の名前(多分)になったり、職業で呼んだり、
実に紛らわしい。
この点では、かなり混乱する小説と言えるかもしれな
い。
一瞬、今のは誰だ、と思うようなことが多々あるのだ。
しかも時代は、1800年代のフランス。
貴族の社交的生活様式が、日本人の感覚からすると分
かり辛いというのもあり、結構読むのは大変と思われ
る。
プルーストはフローベールを高く評価していたらしい
が、何となくその辺は理解できる。
特別なことが起きるわけでもない世界を、ぐだぐだ執
拗に描くというのは、両者に共通している部分でもあ
る。
日本人の作家であれば志賀直哉か。
主人公に共感出来るか出来ないかという、表面的な捉
え方だと全く詰まらない小説かと思うが、或いは、わ
くわくする物語という意味でもそうだろう。
しかし、「失われた時を求めて」でも同じことがいえ
るのだが、時代、国、人間が違っても、普遍的な世界
が自ずから立ち上がるという点では、をそれらの小
説に共通することで、またそれは優れている証拠でも
あろう。
いうなれば、「小津安二郎」「ホウ.シャオシェン」
「エリック.ロメール」の世界である。
今回は特にその映画的なものを意識したのだが、それ
は単純に、最近観たロメールの「グレースと公爵」が
影響していたのかもしれない。