ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

小早川家の秋>>>おくりびと

2009年05月16日 | 映画


「トウキョウソナタ」を返却しにいったら、「おくり
びと」も返却されていたのでついでに借りてしまった。
昨日は、いつでもいいようなことを言っていたが、い
つでもいいという状態だと、まず見ることもないのが
現実だ。
折角見る気になっている今を除いたら、一生見ること
もないと思い(それでもいいのだが)借りることにし
たのだ。
先入観は持たないように(この場合、アカデミー賞と
いうことではなく、どうせつまらない映画だろうとい
う先入観)と努める。

出だしの雪の中を走る車のシーンは悪くない。
いかにも映画的。
しかし、そこまでだった。
最近の映画の特徴である、MTV的めまぐるしいカット
割りが何故この映画に必要なのか最後まで理解できな
かった。
その割には退屈で、単に物語をなぞっているだけの映
画にしか見えないのだが、そこがまた分かりやすくて
良いのだろうかとも思える。
アカデミー外国賞は、この分かりやすさと、最近の映
画の基本ともいうカット割の技術で獲得したのかとい
うなら納得である。
それにしても、アカデミー賞をあまりに過大評価しす
ぎである。
ハリウッド関係者が選んでるだけの賞という事実を、
もっと考えた方が良いのではないか。

結果的には予想通りだったが(終わり三分の一は早送
り)、ネット上などで判断すると、八割方は高評価で
ある。
日本人の死生観が表現されているとか、死を正面から
見つめているとかさもありなんという感想が兎に角多
い。
そういう風に映画が説明しているのだから、当たり前
といえば当たり前。
想像力を問わないという点がポイントか。
個人的には、単に納棺師という職業を紹介している映
画としか見えなかったのだが。
話としては上手いのか?
例えば、風呂屋で会う常連が、焼き場の職員だったと
か、女と思った遺体が男だったとかのシーン。
これらはオチ的とは言えるが、果たして映画的と言え
るのだろうか。

例えば、小津安二郎「小早川家の秋」の、焼き場から
上がる煙を見上げるシーンは、間違いなく映画的瞬間
だ(これこそ死生観というのに相応しいシーンだ)。
しかし、この映画ではそういう瞬間は一切なかった。
どう考えても良い映画(私の)には入りようがない
のだ。
ある映画雑誌のワーストワンが「おくりびと」であった
が、そこまではっきりワーストと言うほどでもないが
(映画館で観たらそうなるかもしれない、Yのように)、
全く印象に残らない映画という評価は変わらない。
後、問題の広末涼子だが、思った以上のひどさは無く
いつものような広末涼子だった。
鼻から口にかけての表現が、喋りを含めどうにも良く
ないのは今に始まったことではない。

コメント