ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

グラントリノ

2009年05月06日 | 映画


メンズデーを利用して「グラントリノ」を観にいく。
今回は地元の映画館なので楽なはずだったのだが、道
を間違え夜の町を彷徨するはめに。
地元と言っても、隣の市となると道がよく分かってな
いないのだ。
しかし、何とか開始時間には間に合った。
一応ここもシネコンであるが、松本のシネコンに比べ
ると一段とローカル色が増す。
こじんまりとした、教室のような部屋での観賞だ。
前回はもっと広いところで貸切だったが、今回も同じ
くレイトショウであったがそこそこ入っていた。
連休というのもあるのだろう。

「チェンジリング」と立て続けのような公開のイースト
ウッド「グラントリノ」であるが、これも前作に続き
評判がやけに良い。
それにしても、ここに来てのイーストウッド評価は、
ちょっと良すぎではないかとイーストウッド好きから
しても思うことである。
実際どうだったのか。
結論から言うと、確かに良い映画ではある。
「チェンジリング」に比べると、物語としてはすっきり
して、時代性もある。
そして、「文化を越えたコミュニケーション」というテー
マもはっきりしている。
小品的佳作というのがぴったりだが、「センチメンタ
ルアドベンチャー」よりは劣るか、が個人的評価であ
る。

親子の信頼関係を築けなかった主人公が、周りからも
偏屈な人間として疎んじられる。
しかし実際は、偏屈ではあるが、相手に対する思いや
りという基本を大事にする人間。
キリスト教的原理主義者のような保守派ではないが、
一個の人間としての倫理観の持ち主である。
これは正に「ペイルライダー」でもある。
但し人種的偏見は強い。
それは、今までそういう人間と接してこなかったこと
に拠るものだ。
保守的なアメリカの田舎町に暮らした故のことである。
そんな彼が、否応無しに違う文化の持ち主の違う人種
の人間と関わることになる。
いろんな人種の人間が、実際アメリカの田舎に普通に
存在している現実が背景にあるのは間違いない。

ここから、ラオス難民の少数民族の第二世代の少年を
中心とした彼らとの関わりが始まるのだが、職の無い
彼らがギャンググループを形成し、在来グループの黒
人と勢力を争うとかいうのなら容易に想像できるが、
そうなると単なる仁義なき戦いとなってしまう。
映画は、そのラオスギャンググループと対峙する主人
公と、同じラオスグループから主人公が守ろうとする
少年との交流を軸に話は進む。
同じ人種同士の衝突というのも、その現実的問題の根
深さを物語っている。
最後に、決着をつけるのだが、ここが「ペイルライダー」
のような西部劇とは違った。
むしろ「センチメンタルアドベンチャー」のテイスト
に近いのである。
要するに泣けるのであるが。
観てれば、ある程度想像はつくが、今回は完全にオチ
的なものなので観てのお楽しみである。
それにしてもイーストウッド、上手すぎである。



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