見てもないのに批判は出来ないとも思い「おくりびと」
を借りようと、いつも行く「蔦屋」ではなく、ローカ
ルのレンタルショップに久しぶりによる。
何だか品揃えがコミック中心になっていて、普通の映
画は益々隅の方に追いやられていた。
「おくりびと」は新作だった(ついこの前まで公開し
てたから当たり前だ)。
そこには2本だけしか置いてなかったが、どちらも貸
し出し中。
流石アカデミー賞(2本だけで判断しても良いのか)、
権威は絶大である。
どうせいつでも見られるし、わざわざ新作でなくても
と、何か違うものを探す。
直ぐ近くに「トウキョウソナタ」があった。
1本だけだが勿論借りられていない。
こちらの方は積極的に見たいものなので早速借りる。
これも新作。
「トウキョウソナタ」はある家族の物語だ。
都内に家を持つ、大企業に勤める外見上は恵まれた一
家であるが、その実、すでに崩壊の萌芽を抱えた家族
であった。
それが、父親のリストラを契機に一気に崩壊する。
その様を、監督の黒沢清はちょっと誇張しつつも冷や
やかに描いていく。
父親の権威を保とうと振舞おうとするが、すでに子供
達からはその駄目さを見破られている情けない父親に
香川照之。
こういう役は本当にぴったりだ。
その妻役に小泉今日子。
長男は、日常の不満を、日本の平和ボケのせいにし外人
部隊に志願、醒めた次男は教師の権威を貶め、ピアノ
教室に通うために給食代をこっそリ回す。
そんな家族の中ではその母親が一番まともに見えたの
だが、強盗と逃避行のようなまねをし、抑圧された人
間の欲望が一瞬噴出する。
共通するのは、家族でありながら皆それぞれに孤独を
抱えているということだ。
しかし、そんな一家が空中分解一歩手前のぎりぎりの
ところで踏みとどまる。
しかも、再生の希望が見える。
「東京物語」で始まった家族の崩壊は、「トウキョウ
ソナタ」で再生の道筋を見つける。
悲惨な内容ではあるが、最後に救いがあるところがブ
レッソンとは大きな違いだ(ブレッソンの良さがそれ
によって損なわれるわけではないが)。
イーストウッド「グラントリノ」では、家族と決別し
違う所に新たな関係を求めたが、日本では飽くまでも
家族に回帰。
これはアメリカの成り立ちと日本のそれとの違いに
起因する(のかな?)。
切実度は見る人によって大分違うと思われる「トウキョ
ウソナタ」は、否応無く時代を感じさせる映画で、少
なくとも、「おくりびと」よりは見るべき作品である
ことは多分間違いないし(ここでも見てないのに言っ
てしまったが)、黒沢清は常に注目すべき監督である。