紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

妹の入院

2009-06-25 17:39:15 | 15・心に残ること
妹が入院したのは、この間結婚した姪、Wちゃんが4歳、甥のT平ちゃんはというと、まだ1歳半の時だった。

1987年の5月7日の夜、突然、山梨に住む妹が、呼吸が苦しいといって、夜中に、家にやってきた。家族全員で。
どこか調布あたりの病院でみてもらいたいという。

妹を連れて、夜中にJ医大病院に行き、レントゲンをとったら、即入院。
自然気胸という病気だった。肺に穴があいて、空気がそこからもれてしまう。

困ったのは、翌日から、二人の小さな子ども達が家に残されたことだった。義弟は山梨で仕事があるため、帰らなくてはならない。
その頃、我が家の子ども達は、娘が5歳、息子が7歳(だったっけか?)。

困ったものの、二人の面倒をみるのは、私とトントン、母しかいない。
3人で交代でみることにした。

数日我が家にいた後、トントン宅に二人が行っている間に、私は片づけるべき仕事をすませて、その後の予定を全部あけた。

1週間くらい後、再び二人は家にやってきた。

結婚した姪、Wちゃんの誕生日(5月23日)のお祝いは、その間に我が家でした。

 


その後、Wちゃんは実家にいくことになった。でも、母もいきなり二人の面倒をみるのは大変なので、下のT平ちゃんだけ、我が家に残った。

それから、T平ちゃんは、どのくらい我が家にいたのだろう。
妹の退院がいつだったかわからないが、自然気胸は内科的治療ではなおらず、外科手術を受けた。

術後数日過ぎて退院した後、妹はしばらく静養するために、実家にいくことになった。その後も、T平ちゃんだけは、我が家でみることにした。とにかくやんちゃで、活発。元気な大人だって振り回されてしまう。

退院したその足で、妹はT平ちゃんに会いに我が家にきた。

その時のことだ。多分、T平ちゃんは一ヶ月ぶりくらいでお母さんに会った。言葉もまだしゃべれないくらいの年齢だった。チッチ(虫のこと)、ブー(水のこと)くらいしかいわない。

このくらいの年齢で、自分に何がおこっているか、どのくらい理解しているのだろう?

 


 

Tちゃんは、妹の顔を見るなり、怒った顔をして、おもちゃのブロックを妹に向かって投げつけたのだ。
ほんとうにビックリしたけど、自分のことを放っておいたことへの抗議を、言葉ではできないので、身体で示したのだろう。たった1歳半の幼児が。
今でもその時の、妹とT平ちゃんの心中を思うと、涙が出る。


妹は当然、ショックを受けたけど、身体が思うようにならないので、どうすることもできず、その日は、実家にいった。


T平ちゃんのことは、その後の話しがある。
娘も息子も、その後も家にいたT平ちゃんのことを、かわいがったり、ケンカしたり、まるで弟のように接した。

妹が快復し、迎えにきて、一緒に帰っていった時は、みんなさみしくなって、家の中がガランとした気がしたほどだった。


そして、多分次の正月のことだ。
妹は家族で家に遊びにきた。我が家ではみんな、Wちゃんもだけど、T平ちゃんに会えるのを楽しみにしていた。

それが、T平ちゃんは、家のマンションまできて、階段を上るのをいやがったのだ。妹の手を引いて、家には行かず帰ろうという仕草をする。

T平ちゃんは、その日我が家近くまで来た時、前にはお母さんが、そのまま自分を置いて、いなくなったことが、多分わかったのだ。

私達は全員、あんなにかわいがっていたT平ちゃんに、いやがられてガックリきたのだけど、でも、その時やっと2歳になったばかりの子どもの心は、なんと多くのことを理解しているのだろうと思って、驚いた。


その後、どれくらいの期間、我が家に入らなかったか覚えていない。何年間も妹家族と会うのは、実家や妹の家でだったような気がする。

翌年5月、山梨にキャンプに行った時の写真。
でも、この時は我が家じゃなくて、野外だったから、だいじょうぶだったのだろう。