ちはやふる2 第22話 めぐりあひて △+
接触不可能の女王
「格が違う」ってかんじですよね、相変わらず
怪我がなければもうちょっとマシな勝負になったとかならなかったとか
プレーの「正確さ」が最大の武器なんでそこを崩さないとまず勝負のアヤが期待できないという
同じぐらいのプレーの精度があって耳が超いいとかカンが鋭いとか身体能力が高いとか
ないと光が見えないねえ、ってこれはカルタなのか(笑)
俺の妹がこんなに可愛いわけがない。
第10話 「俺の妹がウエディングドレスを着るわけがない」 ○
本当は前回のお話について書くべきなんだろね、啐啄の機(そったくのき)を逃したのです
「どれだけ冗談だと分かっていても『綺麗だ』って言ってもらえるのはうれしい」ってのを
とても上等に表現できているかと。
基本的に「言葉」に対する信用があるよね、女性らしい信用の仕方というか
なぜ黒猫が前回あんなに周りを騒がせてまで桐乃の「本心」を告白させたかとか
京介が何を言おうか分かりきっていてもその言葉を「実際に」言われるのは耐えられないとことか
言葉を「冗談」ではなくチカラあるものとして原作が扱っているのをアニメの制作側でも充分に汲んでいるとおもう
ここまでくっきりすっきりやってるから最後の最後は台詞の必要が無くなるのなー
あやせは京介と関わっている時限定で自分の違う一面を
愉しんでいるよね、自覚なしに。
「自転車に女の娘をのっけるシーン」っていう最高においしいシーンの小道具が
遮光ジャマーが入るようないかがわしい自転車っていう極めてワケが分からない状況がいかすぜw
どんだけ滅茶苦茶でも兄貴の背中だけ信じればいいのだ―
とある科学の超電磁砲S 第9話 「能力追跡(AIMストーカー)」 △++
遠距離から正確に攻撃してくる相手とのしんどい戦いって感じです、まさに
それを1人で凌いでいる美琴も超パねえですね
黒子がいればどんだけ楽になったかって想像できるぐらいには華麗で熾烈なバトルだったかと
正直原作でもこんだけ強力な画がイメージできてたかったぐらい力がはいったものだった
現代の「能力者バトルもの」ってのの基準になってるからねえ、この作品。善し悪しは別で
こうやって「能力者」同士を相争うように仕向けて「レベル6」的な奴が生まれる
「実験」をしてるんだろうねえ、都市ぐるみで。
だから彼らにはある程度の破壊行為とかが容認されてるのだろうね、たぶん。
それは私たちがこの設定上のスキが大きい当作品を容認している程度のこと。
デート ア ライブ 第10話 「炎の精霊(イフリート)」 △+
俺の妹が精霊なわけがない
「同等の火力」ってのが画的には要るよね、やっぱり
「巨人」には「巨人」とか「エイリアン」と「機械の巨人(ユンボル)」とかな
そういう刺激があってはじめてラブコメとかちんたら説明とかに興味がもてるという
当作品はエンタメとして基本的なとこの保証があるから与太話も楽しめるとこはある
さて今度は「妹」の攻略ですか、もう攻略しちゃっている対象を「再攻略」するってのは
ハードルが凄いあがるのはお約束ですよね、そこが楽しみです。
RDG レッドデータガール 第10話 はじめての学園祭 △(+)
「爆弾」の位置がよくわからんからおっかなびっくり
あの手この手で掘り繰り返してるような作品ですよね、当作品
「女の娘」の扱いとはかくあるべし(ただし65年前の)といったとこでしょうか
そういうハッキリ目標が定まらない加減が思春期のモヤッとした加減とでもいうか
深行くんのギザギザハート加減と一脈通じるとこがあるような
ああ、そういや昔の文学作品は明治以来こんな感じのモヤっとした人らが
言いようのない不安を愛でていたような作品ばっかだったような気はする
「アニメ」とか「漫画」はそういう気質に対抗するように出てきた「ズバリ言う」
形式だったけど、さいきんはボーダーが曖昧になってる傾向があるかも
曖昧なおはなしに見目麗しい画がクッキリあるという奇妙な状態です。
這いよれ!ニャル子さんW 第9話「ハイスクール・オブ・ザ・ヒート」 △
今時こんだけ他作品のパロディを追っかけてる作品は他にあるかねえ
ともかくセリフのや展開の端々にひっかかればそれを「言葉にしてしまう」軽薄さとでも。
ただまあパロディが成立するには元の作品の文脈が持ってる「雰囲気」を醸造しなければ
効果が変わってしまうわけで、字面上一緒な「小説」(あるいは当ブログのような)とかは
そのあたりの処理が楽なのだけどアニメだと苦労があるよなあ、まあ「ご都合」だからいいが
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