手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

富士山二景・清水の空も青かった!〜マーさん同窓会・同伴記〜

2016-11-07 | ぶらぶら編


マーさんの女学校時代の同窓会が清水であるというので、

何とか行かせてあげたいと思ったわたしたちでしたが、

足の悪いマーさんを一人で行かせるのは無理。

しかし、

マーさん本人は、

全く自分で行けると思ってるので、

ついてこなくていいの一点張り。

本当は、

100メートルも一人では歩けないのです。


よくよく聞いてみると、

息子一人、同窓会の間待たせるのがかわいそうという思いもあったみたい。

わたしもついて行って、

ついでに二人で観光しますと言えば、

納得してくれました。


幸い、

絶好の行楽日和になり、

夫運転の車で、ブィーンと清水まで行ってきました。


東京方面から見える富士山は、

部分的に雪を被っていて、

冬支度をしています。





↑足柄PAから



ところが、清水から見える富士山は、

まだ夏の装いでした。


↑「清水駅」からの富士山


マーさんを同窓会会場に連れて行くと、

同級生の皆さんが、

「よく来られたねぇ」と大歓待。

「マーさんは人気ものだからね」

と皆さんに言われ、マーさんも嬉しそう。


マーさんを残し、

わたしたちは、

そのまま世界遺産に登録された「三保の松原」に向かいました。

わたしは、生まれて初めて。

夫は子供の時以来。


清水の街中から十数分。あっという間に着きました。


この日は天気も良く、

それはそれは綺麗な富士山が見えました。







細かい砂の砂浜というよりは、綺麗な丸い石がごろごろの砂浜が広がってたかな。







海は本当に綺麗。







暑いくらいの日差しで、

歩いていると汗が吹き出します。



松ももちろん立派です。







松の姿を見ると、

「羽衣をかけた」という話が納得できますね。

この形ですもん。





「3代目羽衣の松」はこれ!






その後、

行ったのは、「清水の次郎長の生家」



清水次郎長といえば、

わたしの子供の頃は竹脇無我さんでした!

「清水次郎長(1971年のテレビドラマ)」


若々しく、凛々しい清廉な次郎長に、そして甘い声の次郎長に、

小さな子供だったこのわたしもドキドキ。

竹脇無我さんは、わたしが初めて心をときめかせた俳優さんだったように思います。


梓英子さんのお蝶さん、大木実さんの大政、あおい輝彦さんの森の石松なども印象的で、

そのイメージがずっとありました。

清水に行けば、次郎長の生家にと思ってましたので、

今回行けてよかったです。


夫は最初は興味がなかったのに、

行って、すごく満足してました。


その当時の調度品や雰囲気が残されていて、











その空間だけがタイムスリップしたような気持ちになりました。



↑これはお蝶さんの着ていたものですって!




買ったグッズもいっぱい。

息子に次郎長Tシャツ。

  

どういうリアクションをするかと思えば、

「かっこいい!部活で着るわ」と大喜び。

バンダナと、夫はおきまりのてぬぐい。





そして「勝札」も。

これも夫が買ったのですが、息子に渡してました。




その後、

清水駅の近くの清水駅銀座商店街を歩き、

食事をし、

「次郎長屋」で鰹節を引いてもらい、








乾物屋でたくさん乾物を購入し、




その隣のカフェ「コマメ」でコーヒーを美味しくいただき、




静岡おでんを食し、


お土産を買い、




マーさんを待っている時間、

清水を満喫しました。


ただ、帰って来る時は、結構大変でした。

東名高速は前方で事故が数回あり、

超渋滞。

なんとかトイレ休憩で下りた PAでは、こんなお土産も。




でも、

こんなに渋滞した経験はわたしたちにはありません。

あまりに混んでいるので、

厚木で下りて、地道の246号線を北上。

我が家を目指しました。


けれど、

マーさんは同級生と会えて大満足。

友達に「死なずに来年会おう」とびっくりするような挨拶をして、

再会を誓ってました(笑)。




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コメント (2)
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