(↑「お年玉年賀状の番号、ご覧になりました??〜。わたしは3等が3枚でした)
この年末年始のお休みで、
我が家の懸案の一つになったのが「新聞をとり続けるか否か」ということ。
最近は、まーさんも読まなくなってしまってるし、
わたしたち夫婦もニュースはネットで読んでることが多く、
新聞が届いても結局開くことなく終わる日もないとはいえない。
4000円以上毎月払ってるということで、
「一応」ミニマリストを目指している夫の仕分け対象となり、
夫が「どうしようか?」と相談してきました。
その時は、
「全く家になかったら困る」という返事しかできませんでしたが・・・。
新聞紙は、
ゴミをまとめたり、
小さなゴミ箱を作ったり、
野菜を包んだり、いろんな用途になる。
けれど、元々の「読む」はどうか??
はい、読んでません・・・。
本来の目的以外で取り続け、
それも月に数千円を払い続けるというのは、
馬鹿みたいだというのが我が家全員の意見。
そういう目的なら時々コンビニで買ってくれば済むのではと言われちゃいました。
さてどうする??
ところが年明けのこの日ケアマネが来られるということで、
テーブルの上のものを一掃し、何も置かない状態にしたところに、
夫が「お年玉つき年賀はがきの当選番号の記事を切ったよ」と言って、
新聞をテーブルにポンと置いていきました。
そこで、
久しぶりに広いテーブルの上で思いきり新聞を開いて、
上から俯瞰したら・・・・。
これはネットでは感じられない視野で記事が目の前に迫るではありませんか・・・。
昔からそうだったなあ、
全部を最初から読むのではなくて、
ページごとに俯瞰して、面白そうなものをつまみ読みするのがわたしだったな。
でも、そういう邪道な読み方でも、
面白い情報は目に飛び込んでくるもので、
新聞を開いて良かったと思うことが多かったなあ。
今回もいくつかの収穫がありました。
「海を越えて文通45年」というタイトルで、
朝日新聞1月17日朝刊の「ひととき」に掲載された記事。

ほぼ同年代の方で、
やはりわたしと同じように海外文通を中学の頃はじめ、
今まで続けておられるという記事。
相手がイギリス人だということ(わたしは相手はドイツ人ですから)や、
いくつかの点を除いて、まさにわたしと全てがリンクする内容で(わたしのこれまでのブログを読んでくださってる方は、きっと納得してくださると思います)、
思わず切り取ってしまいました(笑)。
(ちなみにこの記事は、残しておきたいから「主婦日記」の後ろの方に貼っちゃいます。)
特に、文通相手に対する思いなどは全く同感で、
まさに自分が書いたかのよう。
わたしの思いを代弁してくださってるように感じました。
この方、
以前、新聞の「ひととき」欄で「文通60周年」という記事を読まれたのがこの記事を書くきっかけだったと書かれていて、
上には上があるものだと同じく頭の下がる思いがしたわたし。
当時、
「海外文通」がいかに流行っていたかを感じられる記事の連鎖だと思いました。
その部分を皮切りに、
感慨深い思いで、またパラパラめくっていると、
1980年1月17日の天声人語やその時の新聞記事などが特集されているのに気づき、
また立ち止まることに。

1980年というのは、4月に大学入学をした年で、
そのころはまだ高校三年生。
前の年から始まった共通一次試験を母校で受け終わり、
自己採点をしてた頃かな(嫌な思い出!受験は嫌い!)。
あの頃の気持ちがどっと思い出されてきたと思ったら、
新聞最初のページの「天声人語」では、
阪神淡路大震災の内容で、被災者の一人であった自分が重なり、
また当時を思い出す・・・・。

当時の兵庫県知事の貝原さんの回顧文が出てましたけど、
今読むと、その気持ちわかるなあとしんみり。
その日は、いつの間にか30分ほど新聞に向き合っていました。
新聞って、
広いところで思い切り開いて、俯瞰しながら読み進めると、
その持ち味が思いきり発揮できるものなんだなと再認識。
かつて、
田舎家の、
何も置いてない広い8畳間の真ん中で、
亡き父が朝方、畳の上に新聞を開いて、
読んでいた姿が目に浮かびました。
「新聞、もう少しやめないで続けていこうよ」
「わたしが読むからさ」と夫に言ってみよう、
そう思った朝でした。
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