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12月3日は、
教会暦のスタートの日で、
アドベントシーズンの到来です。
カトリックやプロテスタントでは、
このシーズンを「待降節」と言ったり、
「降臨節」などと言っています。
我がキリスト教会では、先週の日曜日の礼拝後に
みんなで教会堂のクリスマスの飾り付けを行い、
我が家では、
先日作ったクリスマスリースを
昨日玄関に飾りました。
リース一点主義で、
クリスマスを迎えます。
なので、
先週は教会暦では、今年最後の週。
疲れが溜まって
最近は9時にはベッドに入ってるまんじゅう顔。
このパターンだと、
どうしても2時くらいに一度目が覚めてしまいます。
ある未明、
何気なくラインを見たら、
息子から長文のライン。
ちょっとドキッとして、悪い予感。
「こんな時間にラインしたらびっくりすると思うけど」
「家にいて書いてるから心配しないで」
と前置きがあり、
「お父さんとお母さんの息子で良かったです」
という文から始まり、
彼なりのわたしたちへの感謝が長々と綴られていました。
「自分はいい友達に恵まれて、
友人から愛されている、
いろんな人に助けられている、
こうなったのは、
親が無償の愛を送ってくれたおかげだと思ってる。
自分の今にも感謝している」との内容。
「本当は独り立ちした時にきちんと言うべきだったけど、
言えなくて今になってしまった」とも。
母のわたしは、親バカですが、
そのラインを見て泣きました。
そして、
その後、なかなか眠れませんでした。
次の朝、夫に
「ライン来てたけど、読んだ?」と聞くと、
「え、ほんと?」と。
それからラインを読んでましたが、
夫曰く「こういうの、心配になるから嫌だ〜」
「そして照れ臭いから嫌だ〜」
「頑固だけど優しい父さんってなんだ!」
「頑固が余分!」とか。
夫は、
人が真面目に感謝の気持ちを述べると、
嫌な予感がするのでしょう。
この感覚もすごくわかるわたし。
こういうふうに、
親が心配するだろうと、
息子は、わざわざ、部屋で書いてること、
心配はいらないことと書き添えてるわけですね。
そして「引き続きよろしく。ポッチャマに囲まれて寝ます。
おやすみなさい」で締めくくられていました。
その朝、
夫と息子のこのラインが話題に。
夫はこういうのが苦手だと言ってましたし、
自分の親にも言えない、言ったことはないと言ってましたが、
わたし自身は、
自分の父や母にきちんと自分の気持ちを
伝えてただろうかと振り返らされました。
照れ臭くて、
結局、結婚直前にも
親にきちんとは感謝な気持ちを伝えられなかったかな。
一言「ありがとう」くらいだったかな。
亡くなった後、亡骸に何度も「ありがとう」と言ったけど、
それでは遅いのですよね。
元気な時に
そうすべきだったなあと息子に教えられ。
もちろん親は、
重々わたしの気持ちもわかってたとも思いますけどね。
息子は、大学受験を頑張ると宣言した時、
高校を卒業した時、
就職した時、
そして独立をした時と、
必ずきちんと言葉に出して
わたしたちに感謝を伝えてくれました。
「そんなふうにした方がいいよ」
と教えたことは一度もないし、
親のまねをしたのでもないのですよ。
今風の若者だからでしょうか。
「恥ずかしい」と言いながら
結局は夫も嬉しそうで、
「きちんと自分の気持ちをその時その時に言葉にする」
ということの大切さを
息子から教えられたわたしたちなのでした。
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