相変わらず、芝生のあちこちから歓声が上がっていたが、その声は乾いた風にのって拡散し、青空に吸い込まれていった。
数馬には、公園がその面積を少し狭めたように感じられた。
いつの間にか木々の影が伸びて、走りまわる人も犬も、ときどき光の円を踏み外していく。
折りしも、立ち話に夢中の母親の隙をついて、よちよち歩きの幼児が光と影の境界を越えた。一瞬、目くらましにあったように幼児が消える。はっとして目を凝らす数馬の緊張に、母親のアンテナも反応したのか、慌てて子供の後を追う。
心なしか気温も下がったようだ。
右手に視線を移すと、体育館の屋根に迫る高さの築山が、枯れ色の芝草に満面の陽光を受けて裾を広げている。春になれば、緑の斜面をダンボールに乗って滑り降りる子供たちや、頂上近くで肩を寄せ合うカップルなどでにぎわう場所だ。
すり鉢を伏せたような、というより天辺の丸さから甘食パンに見立てて気に入っている数馬は、冬へ向かって芝の養生に入った人工の丘を、懐かしげに見やった。
気持ちよさそうに足を伸ばした築山の裾には、立ち入り禁止のロープがぐるりと張り巡らされている。
大人の膝丈ほどの木の杭を、二三メートル間隔で打ち込み、順々に結んだ太目のナイロンロープに<養生中>の木札をぶら下げている。
ロープは、一部緩んで地面に接している。
どこにでも注意を守らない輩がいて、跨いだり、踏み付けたりしたのだろう。管理の者に余計な手間をかけさせる無神経にも、気が付かないでいる。
(どんな奴が、どんなつもりで芝生を踏み荒らすのか・・)
築山の下を通り抜けるたびに感じるのは、むしろ悪意の方である。そう思う不快さを振り払うように、いまは遠目の眺めにゆだねて嘆息を漏らすのだった。
そのとき、数馬の視野の端に、築山の裏側へ回り込む黒い影が映った。
「おっ」と、直感するものがあった。
影は、数秒の間をおいて、いくつか続いた。
数馬は息をつめ、鼓動が早くなるのを抑えようとした。だが、その試みは逆効果だった。いま目にしたこととの間合いを計りながら、ついに遭遇してしまった試練の前で逡巡した。
一人娘が、理不尽な強要に曝されたときには、躊躇することなく突進できた。
あの時に比べ、立ち入り禁止場所を侵した者を咎めるかどうかの判断は、難しかった。取るに足らないことかもしれないし、わざわざ古希近い老人がでしゃばる事柄ではないようにも思われた。
数馬は、ベンチに立てかけておいたステッキを、手さぐりで掴んだ。
テーブルに左手を突いて、右手の杖に力を込めた。年齢相応に軽くなった体重だが、立ち上がるときの負荷が腕の筋肉をぶるぶると震わせた。
とりあえず、歩いてみる。どの方向を目指すのか、まだ決まっていない。歩道は築山に向かっている。山裾を巻いて、東側の出口につながっている。
頼りなく踏み出した一歩だが、数馬の好奇心はそれを上回った。運動靴のラバーを通して伝わる土の感触が、足裏を刺激する。小さな砂利が指の付け根に当たって、痛点をくすぐる。
数馬は、先刻見た影が少年のものであることを見極めていた。おそらく体育館から抜け出してきたのだろう、ブルーのトレーナーに身を包んでいたように見えた。
年をとると、遠くがよく見えるようになるものだ。
老眼のことだけをいうのではない。明日や、あさっての近間のことよりも、自分が死んだ後の事が、よく見えるのだ。妻や子は、主人亡き後どのように過ごすのだろうか。自分の痕跡など、薄皮をはぐように忘れていってくれればいいと思う。
財産や名誉を獲得した者は、それを守るために苦労を引きずるものだ。ある時期を境に、松風の音を聴き、水の流れにたゆとう境地に誘われるものだが、生木は折られることはあっても枯れて落ちることはない。
哀れだ。・・その点、数馬は、なんとなく先が見える人生を送ってきて、割合に短い時間で生きた痕跡が消えそうに思うから、気は楽だった。
(続く)
(2006/01/31より再掲)
修理してもらい昨日放水・撒布開始出来、里芋&畦道朝顔畑まで潤うことが出来ました。
台風接近で畑全体が潤うことになるのでしょう!
揚水ポンプとは大掛かりですね。それほど6月の猛暑は異常でしたからね。
でも、見事修理ができてよかったです。
ちょっと台風があまのじゃくですが、また猛暑はきそうですから、備えあれば憂いなしですね。