年賀状狂想曲
富士山に初冠雪があったとのニュースが、朝のテレビ画面に流れていた。
平年より一週間ほど早かったとのことで、吉村の住む高円寺のアパートでも、明け方の寒さは冬近しを思わせるものだった。
一昨年までなら、ウールのシャツ一枚でせんべい布団に横たわり、冬山に備える訓練を課していた時期だが、去年は久美の祖母の他界、自分のバイク事故と続き、今年は早川の滑落死が追い討ちをかけるなど、身辺に暗雲が漂った感じであまり前向きの気持ちになれないでいた。
振り返れば、早川が笑顔を残して逝ってから四ヶ月が経つ。岳沢へ下る途中で見た焼岳が、なぜか早川の笑顔と重なって想い出されるのだった。
遭難現場から戻ったあと、結局早川の遺体を確認することなく東京に戻った。あのとき松本から松代病院に向かうには、時間も気力も残っていなかった。
奥穂高岳から紀美子平に至る吊り尾根の縦走路は、珍しく集中を欠く吉村にとって負担の多い長い道のりとなっていた。
そこから急峻な鎖場を下ってやっと岳沢ヒュッテまで辿り着いたときには、ホッとして気分が急に楽になったのを覚えている。
(無事に戻る・・・・)
久美に対する責任を果たせたことで、吉村は二日間の行動をやっと冷静に振り返ることができた。
『内平らかに外成る。地平らかに天成る』
平成の年号の基となったと伝えられる中国の故事を、吉村は出典も知らないまま恣意的に取り込んでいた。
久美と共に好い家庭を築くことが、職場や社会での成功につながるものと解釈し、そのように身を処すことをめざしていたのだ。
この先久美との間に子供ができたら、両親の不和によって自分が蒙ったような悲しみを、決して味あわせたくないと切実におもう気持ちも強かった。
山登りだけではなく、日常生活においても三点確保は重要なのだ。家庭、職場、友人、どれが欠けても不完全な円しか描けない。
きょうという日まで吉村は、上手くバランスを取ってやってきたつもりだったが、早川の遺体に直接別れを言えなかったことだけが、最後まで気がかりとして残っていた。
本来、遺体確認についは家族が駆けつけたのだから、東条や自分が気に病むことはないはずだった。
むしろ朝のうちに涸沢小屋から連絡を取ったことで、当面の役目は果たせたはずである。
「どうする? こんな時間になっちゃったけど、松代まで行ってみるかい」
バスを待ちながら、東条に念を押してみた。
疲れているのは吉村だけではない。
「ちょっと、きついですね。早川君には遭難現場まで行ったことで勘弁してもらいましょうよ・・・・」
吉村の心中にも同じ思いがあって、病院まで行けなかったことを、勘弁してもらおうと感じている。
遅い時刻になることを厭わなければ、行って行けない場所ではないだけに、ふたりとも後ろめたさをなかなか払拭できないでいるのだった。
しかし、バスターミナルで新島島行きに乗り込んだ途端に、吉村も東条もたちまち眠り込んでしまった。
吉村は道中ぐらぐらと揺られながら、身体のこわばりが徐々にほぐれていくのを眠りの中で感じ取っていた。
翌日は二人とも遅番の速達便に指定替えしてあったので、なんとか出勤時刻に間に合った。
吉村が涸沢から連絡をとった日、課長は早川の母娘をともなって長野県警まで出向いたのだという。
病院から移されていた遺体を確認したあと、肉親を残して課長だけは早々に引き返してきた。
日帰りの強行軍のうえに精神的な疲れもあってか、翌朝になっても課長の目の下の黒ずみは消えなかった。
「よしんば昨日ぼくたちが病院に回れたとしても、すでに移送されたあとだったんスね」
「状況から滑落死と判断できても、直接の死因が分かるまで身体についた傷などを調べるらしいね」
遭難死だからといって死亡原因は一様ではないわけだから、たとえ目視中心であっても検死は行なわれるらしかった。
「知らなかったなァ」
吉村は課長の話に深くうなずいた。「・・・・ほんとうに、ご苦労さまでした」
立場を超えて互いに理解しあえるものがあった。
「キミの方こそ、大変だったな」
課長も吉村を労った。
たまに大きな出来事があると、日頃抱いている小さな不満など乗り越えて、急速に近しい関係を築けるものらしい。
「・・・・私には想像も付かんが、早川君はどんな場所で落ちたのかね」
遺体を目にした者とすれば、亡骸が横たわっていた風景を確かな立体図として脳裏に納めておきたかったのかもしれない。
吉村は、涸沢カールから見上げた峻険な山並みを描写してみせた。
登山者の遭難に備えて夏場に増強された長野・岐阜県警山岳遭難救助隊の活躍ぶりも、見聞きした範囲で伝えた。
「民間の団体や大学からも、救難や治療のためにチームが派遣されているんスよ。啓蒙活動もしているそうですが、事故は毎年増えているようです」
吉村は、彼のなかに棲みついた憧憬と、裏返しの恐怖の感覚をぼそぼそとしゃべった。そうすることで、北アルプスに取り憑かれる登山者の心理を分かりやすく説明しようとした。
「うん、どこも危険なんだろうが、早川君はどの山のどんな場所で転落したのか、なかなかイメージが湧かないんだよ・・・・」
課長はもどかしげに言った。
「西穂高岳に向かう途中の、ナイフブリッジを越えたあたりといったら分かりますかね。幅一メートルぐらいしかない難所で、そこを過ぎると誰もがホッと息を抜くんスよ。でも、足を踏み外すと一気に数百メートル滑落します。たぶんピッケルを持っていても止まれないでしょう。それほど岩が脆いんス」
話が具体的になった途端に、課長が押し黙った。
「当日の状況は分からないっスが、ガスや風が災いしたかもしれないっスね。それに荷物の重さや身体の疲労も・・・・。足元には不安定な浮石が潜んでいるので、這って渡る人もいるぐらいっスから。早川君が落ちた場所を示す赤い目印が、遥かな谷底に確認できました」
吉村は、これでもかというように課長を見た。
「山って、そんなに凄いのか・・・・」呻き声がもれた。
「岩場とかは別ですが、一般のコースの中では凄いほうじゃないっスか。ぼくも怖いとおもいました」
「そうか、キミらも気をつけたほうがいいな」
「そうっスね」
言われるまでもなく、心に刻み込んでいた。
早川の遭難事故から時間が経ったことで、職場の動揺も一通り収拾がついた。そろそろ年賀状の準備も始めなくてはならない時期で、集配課全体に活気が戻ってきた。
このところ朝礼にも新機軸が持ち込まれ、ミーティングの司会が職員全員の持ち回りの形で実施されるようになっていた。
「きょうは提案の締切りの日です。必ずひとり一点以上、提案用紙に書いて提案箱に入れてください」
当番の職員は、慣れない進行役に戸惑いながらも、郵便局の方針に沿ってスローガンを読み上げていた。
<提案>といえば、吉村には前年二等賞の評価を得た提案があって、その実現を今年試してみようと思っていた。
年賀状の準備がまもなくスタートしようというこの時期が、まさに彼の待ちに待った時節の到来だった。
十二月始めの年賀状発売日から受付開始日までの間に、通常配達ブースとは別の場所に<年賀室>を設え、元旦の配達をめざして万全の準備を進めていくのだ。
最初に行なわれるのは、年賀室のフロアにテープで補助区分函の配置位置を決めていくことだ。おおかた前年のデザインを踏襲するわけだが、郵便課との連携やアルバイト学生の投入具合などを加味して、少しは手直ししたりする。
それが済むと、倉庫から段ボール製の組立て式区分函を引き出してくる。
埃が舞う中、マスクをする者しない者みんなが力を合わせ、それぞれ自分たちの班に割り当てられた区分函を組み立てていく。床に示されたテープの位置に設置し、責任者の確認を受けると、やっと準備の第一段階が終わるのだ。
吉村たちのチームには、もう一つ別の作業が残されていた。それは道順組立て用の細分化された区分函を作ることだった。
ハウス番号と氏名によって細分された仕切りに差し込んでいくと、最終的に配達順に組立てられるという仕掛けだった。
この区分函を使うと雇ったばかりのアルバイト学生でも、なんなく道順組立てができるのだ。
ハウス番号が右回りにきれいに増えていく都会ならではの区画整備が前提だが、町名などによる大区分、丁目で区切る中区分のあと、小番号で分けて組立て用区分函に戻しておくと、大晦日まで貯められた年賀状が自動的に組み立てられていることになる。
もちろん集配担当者による最終チェックは必要だが、一応配達可能な道順組み立てができることは間違いなかった。
吉村の示した方式は、ベテランの集配課員からはなかなか評価されなかった。
一口に言えば、一区画ごとにぐるりぐるりと円を描くように配達するのだから、次の区画に移るのに無駄な距離を移動しなければならないのだ。
その点、向かい合う家の郵便受けを念頭に左右の区画を縫うようにジグザグ配達する担当者からは、賛同の声など起こりようがない。
しかしそれは、道順組立ての段階からジグザグ地図が頭に入っているからで、初心者が覚えるには時間が掛かりすぎて無理なのである。
「配達の時間ロスを言い立てるより、誰でも組立てと配達ができるこの方式を採用するほうが、よほどメリットがあると思わないっスか」
口がすっぱくなるほど説明して、やっとこぎつけた実験である。
通常の仕事が終わったあと二時間の超勤を得て、三人の班員が数日間段ボールと格闘した。
入れ替わり立ち代わり、冷やかしの人間が集まったのも最初だけで、いざ年賀状取り扱い期間が始まると、誰も他に目を向けている暇はなくなった。
元旦までの十日間は、昼夜興行の演劇ばりに二部体勢が組まれる。とはいっても昼も夜も主役はホンチャンと呼ばれる集配課員で、午前中の一号便と午後の二号便をアルバイトの男子学生に持たせて送り出したあと、余裕の時間を年賀状の大区分に当てるのだった。
配達に出たアルバイト学生が戻ってくる時刻を見計らって、通常配達のフロアに舞い戻る。
その日の宛名不完全郵便物や転送郵便物を処理し、再び年賀室に駆けつける。
一日三時間ほどの残業をこなして大晦日を迎えるころには、喉も腕も疲労困憊の状態におかれることが多かった。
「吉村さんの区分って、手品のカード飛ばしみたいですね」
まだ幼顔のアルバイトに褒められて、つい気張ったツケが出たのかもしれない。吉村自身は、自分の区分速度を速射砲のようだとイメージしていたのだが、十歳も年下の少年に思いがけない持ち上げ方をされて、すっかり舞い上がってしまったのだった。
たしかに吉村の手は速い。年賀ハガキのように形状が一定のものになると、区分口に差し込むというより、二、三十センチ離れた位置から手裏剣のように放り込むことができるのだ。
数十枚のハガキを左手で掴み、右端の住所を瞬時に判読して、次の瞬間には右手が勝手に動いているのだ。何年か前に数人の班員と競争してみたが、吉村に勝てる者は誰もいなかった。
自信があるから区分が楽しい。
褒められるとつい調子にのってしまう。
乾燥した空気の中で腕が疲れるほど頑張ってしまうのは、新機軸の区分函の威力を顕著なものにしたいという思惑も関係していたようだ。
大区分、中区分を早く終わり、アルバイトに割り当てられた小区分を手伝うことで、大晦日の組み上がりを他班より一分でも早く仕上げたいとおもっているのだった。
郵政関係の外局が発行する『ゆうふれんど』という冊子に、今年採用の新人職員が五人ほど紹介されていた。
十二月号の特集にしては時期はずれだなと思いつつページをめくると、そのなかの女子職員の写真がいきなり吉村の目を射た。きょとんとした目をカメラに向ける白い顔の輪郭が、妙に親しい感覚を呼び覚ましたのだ。
(九月ぐらいに中途採用があったのかな?)
急いで名前を確かめると、本文のなかに早川エリカの名が記されていた。七月に滑落死した早川の妹に間違いなかった。
自治会室のお別れ会では、母娘とも項垂れたままで、吉村は正視することができずに早々に引き上げてきた。そのとき受けた印象が、輪郭と雰囲気をともなって甦ってきたのだった。
「エリカちゃん、郵便局に入ったのか・・・・」
驚きとともに安堵の気持ちが湧き起こってきた。
あらためてインタビュー記事を読んでみると、フレッシュな抱負とともに、現在も続けているボランティア活動の紹介がなされ、街の人びとに愛される郵便局を目指したいと結んでいた。
山を愛した兄の死と、死の前日まで続けられていたバス停周辺の掃除のことが、短く取り上げられていた。
吉村は記事をたどりながら、目頭が熱くなるのを押さえられなかった。
「そうか、特定郵便局にはいったのか・・・・」
おそらく地元の名士である誰かの引き立てがあったのだろうが、こうした場合のつながりについては心からの応援ができた。
折から国民の公務員に対する不満が漏れ聞かれ、郵便局窓口職員の応対に関する批判が、街頭インタビューの庶民の口から語られる場面も見られるようになった。
保険課外務員や貯金課職員の不祥事も、これまで以上に詳しく報道されるようになった。ユニークな視点で諸問題に切り込む雑誌社が、郵便局をテーマに別冊まるごとの特集を出して注目を集めたりした。
新聞やテレビで、構造改革の議論がしだいに取り上げられるようになってきた。郵便局の民営化についても、電電公社の例に倣って段階的な移行が有力になるなど、いっとき鳴りを潜めていた動きが再び胎動し始めていた。
『ゆうふれんど』の特集は、そうした世論を意識したささやかな反撃なのかもしれない。あるいは内省を含んだ職員教育の意味合いがあったのかもしれなかった。
「課長、エリカちゃんの記事が載ってましたね」
「えっ、どこに?」
とぼけているわけではなさそうだった。
吉村が配られたばかりの冊子を開いてみせると、課長はしばらく読み進めたあと眼鏡をずらして曇りを拭うふりをした。
「よかったよ。これは内緒だが、エリカちゃんが兄さんと同じ仕事をしたいというので、私のほうからも人事畑の先輩に話を通しておいたんだ。・・・・もちろん実力で合格したに決まっているが、名前だけでも知らせてあれば二次の面接で声の一つもかけてもらえるかと思ってね」
課長は今日まで、早川エリカの入局のことを全く承知していないようだった。
「課長、年賀もあと一息ですね」
「ほんとだ。今年もいろんなことがあったが、身を引き締めて頑張るしかないな」
いつもに似ず抽象的すぎる気もしたが、何がなし課長の人間味が伝わってきて、吉村は気分よく帰路に就くことができた。
大晦日の年賀室は、例年通り戦場のような雰囲気だった。
明日の配達年賀に組み入れる最終便が到着すると、どの班も競争で区分をし、年賀要員が総がかりで組立てに入るのだ。
ホンチャンが最後のチェックを施し、家ごとに<あけましておめでとう>の文字が入った仕切り紙を挟んで輪ゴムで括る。吉村の提案で作った区分台では、年賀状が引き出された順に組み立てられ、サオと呼ばれる横長の木製ハガキ立てに並べられて通常の集配室に運ばれていった。
事業所の多い配達区が置かれたコーナーからは、早くも組立て式区分函を壊す音が響いてくる。
段ボールの継ぎ目を外して元通りのパーツにしていくのだが、年賀が終わった昂りとトップのゴールをアピールする雄叫びが、解体する騒音の中に含まれている。
「おいおい、もう終わりだとよ。楽なところはいいよな」
手を動かしながらぼやいている。
毎年、早く終了する班は決まっていて、それにはれっきとした理由がある。日本有数の会社の本社ビルが軒を連ねる地域だから、せいぜい中区分までで作業が完了してしまうのだ。一番時間のかかる小区分がほとんどないのだから、早い終了は当たり前のことだった。
(しかし、年賀の実感はないよな・・・・)
やっかみと取られるのは癪だから、口にはださない。
吉村は解体音に聞き耳をたてながら、初めのうちはまだ余裕を持っていた。
「おっ、五班が終わったらしいぞ」
班員の声があがる。
とたんに体が熱くなる。アドレナリンが分泌されたようだ。頭の芯がちりちりと音を立て、焦りの塊が胸元を降りてくる。
「あと少しだな。去年よりいいペースだから、あわてずに仕上げよう」
同じ班内でも、年賀状を収めたサオをすべて運び出した配達区は、もう補助区分函の解体に取り掛かっていた。
ドスンドスンと音のするなかで最後の組立てを終わり、吉村の担当区も隣の班とほぼ同時に解体を始められたのは上出来だった。
「今年は七班に勝ったぞ」
昨年の惨めさを想い出して、こぶしを握り締めた。最初の班が終了してから一時間も経って、まだもたついていた。
じれた他班の職員が、吉村たちの様子を覗いて冷やかしていく。あからさまに嘲笑を浮かべる者もいて、腹の中が煮えたぎる思いをしたのを忘れていなかった。
昔からの住宅地を多く抱える区域は、時間がかかって当然なのだ。配達箇所数もはっきりデータ化されているのだから、その困難さが分かりそうなものなのだが、もう何年来改善の気配もない。
選挙区の定数格差が三、四倍とかいわれていたようだが、似たような状況ではないかと強く訴えたこともあった。しかし、配達される年賀状の物数を楯にあっさりと却下された。
例年行なわれる通常郵便物の物数調査の結果からも、吉村の主張は根拠の薄いものとされた。あまりごり押しすると、局内に残存する反動分子と同一視されかねないので、仕方なくあきらめた。
『年賀用補助区分函の改善について』と題する提案を出したのには、そうした経緯があったのである。
腕が抜けるほど大区分で頑張った甲斐もあって、今年はビリにならなくて済んだ。提案の効果をどのように判定するかは上司の見方に任せるしかないが、とにもかくにも彼の面子が立ったことは間違いなかった。
正直のところ今回の試みは上手くいった、と吉村自身は考えている。アルバイトの女子高校生に組立てを委ねて、安心して年賀室を離れていられる時間が増えたのがその証拠だった。
全体に目配りをすることができたので、事故郵便物の処理も年内に完了することができた。そうした点も、効果の現れと感じていた。
課長の指示で、使用車両の清掃が始まった。用意されたぼろ布と油さしを持って地下の自転車置場に向かう。吉村も男子学生をともなってエレベーターで降りた。自転車と併設されているバイク置場で、念入りに手入れをした。
あとは明日の配達だけである。
紅白の幕に囲まれた元旦の式典が待っている。出発式を終えて、バイクと自転車がいっせいに構内を出て行く映像が目に浮かぶ。
今回は民放テレビの取材も予定されていて、朝のニュースで繰り返し流されるはずだ。晴れがましくも吉村はバイク要員として、最前列の配置を言い渡されていた。
四台が並列で構内を進み、道路に出るところで二台ずつ左右に分かれる。あたかも白バイのデモンストレーション走行か、航空ショーの編隊飛行気どりで、吉村は空想を逞しくしたまま胸を張って磨きたてのバイクに跨った。
元旦当日、バイク隊が局舎を一回りして舞い戻ってくるとは、誰も思うまい。
年賀状を満載して出発したアルバイト学生を見送った後、通常郵便物や速達便の配達の準備に再度取り掛かる。華やかな出発式は演出で、本当の仕事はそのあとから始まるのだった。
「アルバイトの皆さんも、職員の皆さんも、本当にごくろうさまでした」
課長の挨拶が始まった。各自に配られた缶ジュースで、締めくくりの乾杯が行なわれる。「・・・・明日の元旦は、朝遅れないように出勤してください。今晩は紅白でも見て、とりあえず緊張を解いてください」
残業のない頼りなさを肩のあたりに感じながら、ホンチャンもバイトもふわふわと局舎をあとにするのだった。
(第十話)
(2007/03/12より再掲)
通常配達ブースとは別の場所に年賀室が出来て、そこに段ボール製の区分函を組み立て、更に、道順組立て用の細分化された区分函を作る、など具体的な工程が詳細に描写されていたので、長年の謎が解けて楽しかったです。
富士山の雪はいろいろの意味でバロメーターにされていますね。
初冠雪は気象庁が大切にしている指標ですし、例年と比べて雪が多いとか少ないとか。
おっしゃる通り今年は雪が少ないみたいですね。
スキー場も四苦八苦しているみたいだし・・
富士山の雪化粧の写真撮れましたか。
郵便局の年賀状への思いれは「イノチ」だったでしょう。
俗にいうドル箱ですからね。
その後SNSなどに押されて先細りが止りません。
小説に登場する時代はピークに近かったのかもしれません。
そうそう年賀状を出す人が少なくなってきたこともあって郵便料金の値上げを総務省(なんと郵政省はもうないのです)が発表されました。
読んでくださる方も隔世の感がするのではないでしょうか。
なんでも値上げで郵便出す人がさらに減らないことを祈るしかありませんね。
小説の年は、分かりませんが富士山は雪化粧が良く似合います。
年末年始の郵便局の忙しさは大変でしょうね。
元旦に式典や出発式があるんですね。
年賀状を出す人が少なくなってきて、葉書も値上がりするようですが、何でも値上がりするようになりました。
大みそかから元旦にかけての年賀状配達準備の様子を見ていただけたでしょうか。
お兄さんが山で滑落死したあとの妹さんは特定郵便局で働くことになりました。
バス停に野の花を飾ったボランテイア活動が新聞に載ったほどですからどんな職場でも引く手あまたでしょうが、特定郵便局に入ったんですねえ。
(koji)さんも地方における特定郵便局長の権力を容認してくださったようで嬉しいです。
選挙のときにも「特定郵便局長会」という組織が動きますが、そちらの方は自民党の1,2を競う集票マシーンですからちょっとちょっとですが。
いずれにせよリアルな功罪です。
いつも的確なコメントありがとうございます。
『「そうか、特定郵便局にはいったのか・・・・」
おそらく地元の名士である誰かの引き立てがあったのだろうが、こうした場合のつながりについては心からの応援ができた。』
と、この辺も妙に生々しくリアルで共鳴できました。